パップ期のジャズコード進行(というより現代ジャズ理論のクラシカルアプローチ)は不安と安定の繰り返しによって曲が進行するものが多い。
例えば、増4度⇒長3度へのドミナント・モーションのように、その局面、その局面で安定感が得られるわけだが、そいつをつなげてゆくことによって、曲が進行する。結果、不安、安定の繰り返しで曲が進行してゆく。
これは・・・夫婦喧嘩もそうではないか?そう思ったが、実際の夫婦喧嘩はちょいと違う。
「あら、あなた。なんでそんなことするの?」(C7)
「だって普通そうするだろう」(F7)
「しないわよ。普通。」(B♭7)
「いや、する普通。」(E♭7)
この会話からわかるように、この会話にはケーデンス(終止形)が存在しない。
どこまでも平行線なのである。ジャズ理論的には、4度のサークルにセブンスをつけた展開のようなものであり、いつまでも終わらない。これでは夫婦生活が破綻してしまう。
緊張ー緩和のサイクルでドミナント・モーションが続けられれば、夫婦間の関係を推進させるエネルギーになるのだろうが。
逆に、モードみたく、コードによる推進力をとっぱらってしまい、響きを楽しむ夫婦関係ーこれはジャズと同じく、年季と熟練が夫婦関係においても必用なのかもしれません。
モードが誕生した背景にはそういった、コード推進力による楽曲構成にマンネリが生じたためとも言われているしね。
では、最初の例にもどり、正しい?ドミナントモーションを最後に提示したい。
「あら、あなた。なんでそんなことするの?」
「ごめん。迷惑だった?」
「あら、いいのよ。今度から気をつけてね」
これが、夫婦間における正しい?ドミナントモーション会話であると思うのだが・・・。
大概、
「あら、いいのよ。今度から気をつけてね」ではなく
「いいかげんにしてよ。何回言ったらわかるの?」とコードが展開されると最初の収束しないサイクルにハマってしまう。よって、この、3番目のコード展開は実に重要なのである。
何を言ってるのか自分でもわからなくなってきた。
例えば、増4度⇒長3度へのドミナント・モーションのように、その局面、その局面で安定感が得られるわけだが、そいつをつなげてゆくことによって、曲が進行する。結果、不安、安定の繰り返しで曲が進行してゆく。
これは・・・夫婦喧嘩もそうではないか?そう思ったが、実際の夫婦喧嘩はちょいと違う。
「あら、あなた。なんでそんなことするの?」(C7)
「だって普通そうするだろう」(F7)
「しないわよ。普通。」(B♭7)
「いや、する普通。」(E♭7)
この会話からわかるように、この会話にはケーデンス(終止形)が存在しない。
どこまでも平行線なのである。ジャズ理論的には、4度のサークルにセブンスをつけた展開のようなものであり、いつまでも終わらない。これでは夫婦生活が破綻してしまう。
緊張ー緩和のサイクルでドミナント・モーションが続けられれば、夫婦間の関係を推進させるエネルギーになるのだろうが。
逆に、モードみたく、コードによる推進力をとっぱらってしまい、響きを楽しむ夫婦関係ーこれはジャズと同じく、年季と熟練が夫婦関係においても必用なのかもしれません。
モードが誕生した背景にはそういった、コード推進力による楽曲構成にマンネリが生じたためとも言われているしね。
では、最初の例にもどり、正しい?ドミナントモーションを最後に提示したい。
「あら、あなた。なんでそんなことするの?」
「ごめん。迷惑だった?」
「あら、いいのよ。今度から気をつけてね」
これが、夫婦間における正しい?ドミナントモーション会話であると思うのだが・・・。
大概、
「あら、いいのよ。今度から気をつけてね」ではなく
「いいかげんにしてよ。何回言ったらわかるの?」とコードが展開されると最初の収束しないサイクルにハマってしまう。よって、この、3番目のコード展開は実に重要なのである。
何を言ってるのか自分でもわからなくなってきた。