先日、蕨のジャズ喫茶「シグナル」で、店のお客さんでもある
蕨のデクスター・ゴードンにコードの解釈について教えてもらった。
目からうろこが落ちた。
きっかけは「ジョシュア」(by Miles Davis)のブリッジに移る前の
コード進行についての議論が始まりだったのだが。
「そこは、一部だけ解釈が不明なところがあるけど、基本的に一発
でいいんじゃないか?」
との事。
そうか。スケールの流れで解釈すればいいのか。
確かに、動き回るコードの中で、そのコードの中で演奏を完結させよう
とするのはコルトレーンくらいのもんである。
ジャイアントステップも見ようによっては2,3のスケール(だったか?)
で解釈できるというし。そこでコルトレーンは「コード感」バリバリの
ソロをとっているんだけど。
モンクのエピストロフィーでもコルトレーンが、
やはり半音ずつ進行するコードの中で同じようなことをやっている。
もちろん、後期のコルトレーンは
そういう世界から完全に離脱してしまうのですが。
蕨のデクスター・ゴードンにコードの解釈について教えてもらった。
目からうろこが落ちた。
きっかけは「ジョシュア」(by Miles Davis)のブリッジに移る前の
コード進行についての議論が始まりだったのだが。
「そこは、一部だけ解釈が不明なところがあるけど、基本的に一発
でいいんじゃないか?」
との事。
そうか。スケールの流れで解釈すればいいのか。
確かに、動き回るコードの中で、そのコードの中で演奏を完結させよう
とするのはコルトレーンくらいのもんである。
ジャイアントステップも見ようによっては2,3のスケール(だったか?)
で解釈できるというし。そこでコルトレーンは「コード感」バリバリの
ソロをとっているんだけど。
モンクのエピストロフィーでもコルトレーンが、
やはり半音ずつ進行するコードの中で同じようなことをやっている。
もちろん、後期のコルトレーンは
そういう世界から完全に離脱してしまうのですが。