猿橋小学校の日々

思いゆたかに 学びを拓く

終戦2日前・・

2024-07-09 | 日常生活

あっという間の2時間でした。そして・・・、

「貴重なお話」という言葉がストレートに響いてくる内容。

 

6年生の社会科、歴史学習の一環で、元大月市の教育長で、大月高校の校長先生でもあられた加納健司先生と、

やっぱり元校長先生で現在郷土資料館の館長である深澤眞先生に、スペシャル講師としてお出でいただきました。

 

現在88歳である加納先生、当時は国民学校の4年生10歳でした。

8月13日月曜日の朝、空襲警報に驚き避難する加納先生。

お話は日米開戦から始まりました。

ミッドウェー海戦、玉砕の島、アリューシャン列島アッツ島、ポツダム宣言、B29爆撃機、艦載機、焼夷弾・・・、戦争に関する言葉が次々と出てきます。

そして・・・、

 

まず急いで自宅の押し入れに、家族と逃げ込みます。その後南側の林宝山へ。

しかし・・、

「ここに写っているのが10歳の私です。その隣にいるのが弟分の~」

大月空襲で最年少の犠牲者となった一つ年下の小宮やすひろ君。

ゆっくりとつとつと、それでいてはっきりした言葉で話す加納先生に、そこにいた全員の目が注がれます。

集中して、時にメモし、真剣なまなざしの6年生。

 

 

「戦後79年を経っても、今でも9歳のやすひろ君が、そのままの姿で記憶に残っています。」

 

6年教室のワークスペースは、さながらミニ資料館。

 

続けてバトンタッチしてくれた深澤先生は、大月空襲に関する書物も発行している方、圧倒的な資料と史実に基づくデータから、大月空襲を語ってくれました。

 

 

投下された爆弾の破片もお持ちいただき、持ってみると・・・。

 

なぜ大月が? 歴史にifはご法度ですが、もしも空が・・・。

繰り返し話してくれた、

「戦争は、君たちも知らないが私も知らない。だから、

体験していないからこそ、学んで、イメージ想像して、そして考えること。」

 

わずか終戦2日前、ここ大月にも空襲があったという事実。

何人も質問に立つ6年生。どんな風に受け止めたでしょうか・・。

 

8・6広島、 8・9長崎、 8.15終戦。大月に育つ者として、それに8.13を忘れてはいけませんね。

最後に質問に立ったSさん、

「2度と繰り返さないために、できることはなんですか?」

核心の質問です。

「歴史を知ること、そしてよく考えること、さらに語り継いでいくことだと思います。」

そうお応えいただいた深澤先生。

 

お二人の先生方、本当にありがとうございました。

この語りを次の学習へ・・・・。

 

帰り際、加納先生が、

「いやあ、6年生が本当によく聞いてくれた。子どもたちの顔を見ると、見つめ返しながら聞いていて、こちらもすごくうれしくなりました。」

 

<四方山話>

ネット社会となり、世界で起きていることがリアルタイムで知ることができる今、戦争を知らないちょっと大人の私たちよりもまた別の感覚で受け止めているのではないでしょうか・・・。

お二人のお話を拝聴するのはもう何度もありますが、

この展開でお聞きした今回、ズドンと入ってきました。戦後79回目の夏は間もなくです。