明治34年(1901)、北九州の八幡村で操業を開始した「官営八幡製鉄所」はわが国の近代化の牽引力として、大きな役割を果たし続けてきました。昭和9年(1934)には、民間業者と合同して「日本製鉄」となり、戦後の昭和25年(1950)には、「八幡製鉄」となり、引き続きわが国再興の原動力となりました。この頃、私は八幡地区に住み、多くの煙突から噴出される煤煙を眺めながら、公害とは思いながらも、その存在の中にあることが誇らしくもありました。北九州の街は正にこの八幡製鉄所とともに発展を続けてきたのです。でも、昭和45年(1970)には「鉄冷え」といわれるような産業構造の変化により「富士製鉄」との合併で「新日本製鉄」となり、ここの工場群は「新日本製鉄 八幡製鉄所」となりました。更には、平成24年(2012)には「住友金属工業」と合併し、「新日鉄住金」となり、この会社の「八幡製鉄所」となりました。ところが、このコロナ禍の令和2年4月(2020)に再び「日本製鉄」の名称変更となり、唯一、戸畑の工場の「飛幡門」にあった「八幡製鉄所」名前は消えてしまいました。写真にあるように「NIPPON STEEL 九州製鉄所 飛幡門」となったのです。少年時代、八幡製鉄所と共に過ごしたあの思いは消えてしまいました。悲しいものです。
下の写真は、3年半前の秋「起業際」で訪れた時のものです。