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森鷗外をしのぶ会 小倉

2018年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

明治32年(1899年)6月19日は、明治の文豪森鷗外が陸軍第12師団軍医部長として東京から小倉に赴任した日です。今年で118年目。折しも、今までの「鷗外文学碑」が公園整備で小移動したのを機に、文学碑の除幕式を兼ねて「しのぶ会」が行われました。鷗外は軍務の傍らいくつかの作品を発表し、小倉に文学という文化の種を撒きました。以後、火野葦平、岩下俊作、松本清張等を初め多くの文学者を輩出しています。この功績を顕彰する目的で56年前に有志による「北九州森鷗外記念会」が発足し、この日150名の会員による「しのぶ会」が毎年行われています。しのぶ会には北九州市長や多くの文化人更には小倉商業高校の生徒達も参列し献花が行われました。鷗外が関わった陸軍病院となる「衛戍病院」の跡地碑は北方の陸上自衛隊小倉駐屯地の近傍に残っています。19日はあいにくの雨。思わぬ「しのぶ雨」となりました。

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2 コメント

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森鴎外偲ぶ会 (支笏 湖次郎)
2018-06-23 10:37:49
北九州は、ほんとに歴史の町ですね。ところで、小倉商業高校と森鴎外とはどのような関係があるのでしょうか?
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記念会のこと (サンセイ)
2018-06-23 11:20:07
支笏様、良いご質問を頂きました。56年前にこの記念会を創設されたのは「劉 寒吉(りゅう かんきち)」(本名 濱田陸一)氏で、北九州では火野葦平、岩下俊作、松本清張に並ぶ文人のお一人です。彼がこの小倉商業高校のご出身で、ここの校歌も作詞した縁で、毎年ここの生徒たちが参列します。劉寒吉氏は既に他界されましたが、現在の会長がご長男の濱田源一郎氏、彼は小倉高校のご出身で、北九州市の著名な財界人のお一人。北九州とりわけ小倉を強力に愛されています。新人の私も可愛がっていただいています。
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