サンパチオフットサルクラブ

東京都府中市を拠点として活動するフットサルチーム『サンパチオフットサルクラブ』の気ままなつぶやき。

2月5日(木)のつぶやき その1

2015-02-06 04:18:57 | 日記

2000年から2002年頃?もう細かい年代は忘れてしまいましたがサンパチオ創世記のメンバーは自らのアイデンティティーについてよく考えていたような気がします。というのも身近に向上心の高い強豪がいたために、それに比べると自分たちの目指すべき物の曖昧さが際立っていたからです。

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とくにサンパチオはトレンドに乗るということに抵抗を感じていました。それが分かりやすく現れたのがユニフォームです。当時もてはやされていたのはアスレタなどのブラジルのブランド。雑草であることを自覚していたサンパチオはそこに手を出すことが照れ臭く、たどり着いたのがプーマでした。

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それと、なぜでしょうか。あの頃のフッサル界ではスウェットがかなりのオシャレアイテムでした。見た目パジャマです。なのにパジャマのようなスウェットにペナルティまたはアスレタなとどロゴ入るとなんだか最先端のファッションのように見えていました。

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サンパチオはやはりこれにも手が出せませんでした。スウェットを着た時点でフッサルへの向上心を感じさせる格好が、強豪ではない自分たちに不釣り合いとしか思えなかったように記憶しています。また当時のたかし会長が熱く語っていましたが、スウェットはスポーツウエアとしてどうなのかと。

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当時たかし会長は、某スポーツウエアメーカーの広告デザインの仕事に携わっていました。曰くスポーツウエアがアスリートのパフォーマンスをサポートするための機能として重視するポイントの一つが吸汗速乾性。スウェットはただでさえ重いのに汗を溜め込んでしまい理想とは間逆だとの話でした。

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そんな時代にサンパチオはサンパチオエンタテイメントの名前を掲げることになります。これにも発展し続けるフットサル業界の中で違いを見せたいという思いがありました。安易にFCとかSCとかをつけたくなかったサンパチオ。人を楽しませることで生計を立てる芸能人の生き方に興味が湧きました。

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ちなみにさきほどのプーマのユニフォームはこれです。 p.twipple.jp/pYmLC

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前述のファイルフォックスの試合でもらった拍手がうれしかったと書きましたが、とにかく観る人を意識した頑張りをみせたら楽しいなと。技術的に魅せられないサンパチオは上手くないのに頑張ること、健気で愛らしいスタイルにアイデンティティーを見出し、チームの方向性を名前に込めたのです。

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この時、サンパチオエンタテイメントの魂の象徴だった人物こそ、高橋選手です。実際に芸能界に身を置いていた彼のパフォーマンスはコート内で異様な愛敬を放っていました。大袈裟なシャウト、しかし時に見事に相手をかわすドリブル、人懐こいキャラクター、サンパチオのマスコットでした。

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そしてサンパチオのアイデンティティーを確固たるものに仕上げたのがチームロゴです。たかし会長主導でデザインされたロゴはさっきユニフォーム写真も紹介しましたが、四角いロゴ。たかし会長はとにかくカタカナにこだわっていました。

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サッカーやフットサルのチーム名はなんでみんなのアルファベットなのか?しかも最近のポルトガル語はブームはなんなのか?カタカナはダサい?どこが?かわいいじゃん!モーニング娘。って変な名前だったけど今や人気者。あんな風になりたいよ!というたかし会長の熱い意見がありました。

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結果、サンパチオエンタテイメントロゴを印刷したユニフォームはワンデイの遠征に出向くと異彩を放っていました。ゼッケンで出場するチームもいる中でしっかりデザインされたロゴのユニフォーム。リーヴ新百合ケ丘のコートでは、テレビ番組の企画チームですか?と聞かれることもありました。

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あるときには、そのユニフォーム、私にもください!とはるばる新潟から問い合わせが来たこともありました。新潟の選抜チームにも所属していたという彼は今あのウエアをどこで来ているのでしょうか?もうなくなっちゃったかな…

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2003年ぐらいになると東京都には府中以外にもたくさん強いチームがありました。チーム名もいろいろ、ユニフォームもいろいろ、みんな様々な個性を放っておりました。77年組中心のサンパチオはおそらくこの頃がピークだったような。

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強いチームがたくさんいる中、学生なのに強いチームがいるぞ、と噂が流れてきて、あるとき対戦したのはゾットでした。府中のワンデイ大会でしたが予選で同点。あの位のチームに勝てないとダメだね、なんて話していたのが恥ずかしい過去です。その後、決勝で再び対戦、

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予選は朝一だったからさ、なんて思ってたら見事に負けました。ゾットの若さはあったとは思いますが気合がすごかった、ベンチも我々よりも多くて熱のこもった戦い方に完敗したのを覚えています。当時は学生チームは強くないという風潮があった?のですが、そのイメージはゾットで変わったと思います。

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東東京方面の情報には疎かったのですが、森のくまさんというチームは衝撃的でした。サンパチオは対戦できませんでしたが、サッカーダイジェストが主催する全国FDCカップ決勝大会出場時に初めて見て若いのにみんな上手い!

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BFC-KOWAという当時日本最強か?という日系人チームがあったのですが、そこを相手にテクニックで凌駕しての勝利。その後日本フットサル会を牽引する稲葉選手と北原選手がおりまして、個人的には稲葉選手のしなやかなプレーに心奪われました。上村選手と同じぐらい凄いかもと思いました。

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残念ながら決勝戦では稲葉選手は怪我してたようで出場してなかったですが、北原選手ら他の選手もすごくて楽しかったです。その大会にはゾットや府中アスレチックも出ていました。サンパチオは予選でBFC-KOWAに2-4で負けたりしてましたが、その後、予選敗退チームの中で優勝し、

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宮内選手がベストGK賞に選出されるなど、77年組が中心の時代ではピークだったとも言えます。あのメンバーで全国区の大会に出れたのは、おそらくあれが最後です。ただデッドボールと言う名のドッチボールの全国大会に出場し、なんと日本一に輝いたことはありました。あのスポーツは何なんだ…

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ついでに。森のくまさんは本当に強いチームでしたが、悔しかったのはそのチーム名、サンパチオもそこそこごだわりある名前だったの、チームの実力と名前の印象のギャップによるインパクトには嫉妬しておりました。

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2003年頃になると向上心のあるチームは、活躍の場所をワンデイから公式リーグへと移行していた時代かと思います。サンパチオエンタテイメントはワンデイ中心の活動にら舵を切っていました。公式リーグはお金も責任も変わってきそうで経営不可能と考えていました。

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2005年、当時東京都二部リーグに所属していたバネスパというチームの増田選手から相談が入りました。残り二節、このままだと最悪人数不足の不戦敗などで降格しちゃうというかリーグに叱れるので助けてくれと。助っ人に来てくださいと。増田選手とはもちろんあの増田ぐっけ選手です。

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