@ms08_80 @gunji_T07 及川デンジャラスさん?
サンパチオの新聞 is out! paper.li/sanpachio/1345… Stories via @sanpachio
2005年、毎週府中二小での活動は続いていたものの、責任を持って定期的に5人集めることに自信がなかったサンパチオ。試合は不定期のワンデイのみに舵をきっていたものの、ゴラッソなどか奮闘し、活発化してる公式リーグが、正直気になっている時期ではありました。
そんな中での増田選手からの誘いは非常に魅力的でした。ちょっとした都リーグ体験。当時は登録ルールも今ほど厳しくなく簡単に選手になることができました。段取りはすべて増田選手なので当日行くだけて良いというピップ待遇でしたw。
負ければ降格ほぼ決定というバネスパの試合。選手は増田選手の友人らが5人くらい、サンパチオが5人くらいという編成でキックオフ。ひとまず先発はサンパチオメンバーだけで固めることになりました。
始まってみるとやはり普段ゴラッソのほうがぜんぜん強いな…とう印象。彼らのレベルに慣れていたサンパチオは、2-0で前半を折り返したことを覚えております。その試合は結局勝ったか、引き分けたか?ただこの試合を含めた最終2試合を一勝一分けで終えパネスパは残留を決めたのです。
ところがパネスパは解散寸前。サンパチオのメンバーが来ないと来期も人は足りないし成り立たないとのこと。少なからず気持ちよく都リーグ体験させてもらったサンパチオは不安な運営面、その他の選手集めをすべて増田選手が引き受けてくれるとの話もいただき、翌年も顔を出していくことになりました。
2006年春だと思いますが再び来期のパネスパは二部リーグでどうするのか…という決断に迫れていました。都リーグの様子は三部があったか?なかったか?オープンリーグはあったかな?二部に入りたい!と思っても最下部のリーグから参入しなければならなくなっておりました。
@betaomi きっとサンパチオメンバーも気になっているでしょう、流行のゴーストライターがいるかもしれないし(笑)ま、深い詮索はしないで楽しんでくださいね♪ただ一つ言えることは裏さんぱちおとは別人です!
サンパチオさんの昔語り。すっげー読み応えあり!朝刊ほっといてよみふけっちゃった。ありがとうございます\(^o^)/しかし、サンパチオさん、ドッチボールで日本一になったこともあるとは
2006年春、そんな中で増田選手は高志と齋藤に提案します。バネスパをサンパチオに書き換えても良いので続けませんか?と。また2006年シーズンから今後登録したチーム名の変更は認めない、のお達しが出ていたこともあり、高志と齋藤らはその事の重大さにかなり慎重になっておりました。ですが…
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