皆様こんばんは。KCBニュースの時間です。本日もKCBテレビのアナウンス部山田がお送りいたします。まずは最初のニュース。芸能ニュースからお送りいたします。芸能レポーターの宇の家号蔵さんとご一緒にお送りしてまいります。 . . . 本文を読む
一昨年の年末、昔からの知人に久しぶりに会った。暇な高齢者の二人は、当然のように昔話に花を咲かせた。話しの中で、それはそうと加藤さん、夜寝る時にベッドヘ炬燵とか何か入れて寝るのと彼女が聞くので、電気毛布を入れておいてベッドに入る前にスイッチを切るんよ。でも寒くて夜なかに目が覚めて、又スイッチを入れることもあるわと言うと、私はずっと湯たんぽを入れてるんやけど、朝まで温かくて凄く気持ち良いよ、加藤さんも使ってみたら?丁度使わないのがあるからぜひ使ってみて、ということで彼女の家に寄り、オレンジ色のプラスチックの可愛い湯たんぽをもらってきた。そして早速その夜湯たんぽを入れた。 . . . 本文を読む
えー、またまた懲りもせんと一席お付き合い願います。ここはある介護サービスの会社の集団面接会場です。そこへ男子学生二人と女子大生が一人面接を受けております。
面接官 これから皆さんに質問いたします。日本で一番南にある県はどこですか。
本松 そんなんわかってますがな。鹿児島県ですやろ。
原松 ちゃうぞ。言い直せ。下に島ばっかりの県あるやろ。
本松 あ、はい。沖縄県でした。すんまへん。
どうもこの男子学生二人落語によう出てくるどことのう頼りなーい学生のようでございます。 . . . 本文を読む
若い頃に腰を痛めて以来、時々腰痛が出て仕事にも差し支えるため、整体院へはずっと通っている。知人友人からあそこの整体院が良いよと聞くと転院したりしながら、定年まで勤める事ができ、その後も通院してきた。
六年位前に治療効果が凄いと評判の整体院へ替わり、待合室でよく顔を合わせ、いろんな話をするようになったIさんが「私少し前から俳句を始めたんですが毎日が楽しくて、加藤さんもされませんか」と誘われた。そして、市内で夕刊を発行している新聞社の俳壇に入会した。 . . . 本文を読む
私には青春時代と言われてもいつからいつまでがそうだったのかまったくわからない。
青春って何かのスポーツに打ち込んだり恋に身を焦がしたりする。若い頃スポーツなんかとまったく無縁だった。何かに打ち込んだこともない。女の子と恋をするどころかクラスでもほとんど目立たない存在だった。と言ってもドラマのような青春を送っていた若者ってどのくらいいるんだろう。 . . . 本文を読む
介護保険を詳しく知るほどに、こんないいものができたことで、老後は安心って思えるようになった。ずっと人のお世話にならずに人生を終わりたいと思ってきたが、思うようにならないのが世の中、いつ自分で生活できない状態になるか解らない。そして加齢と共に自信がなくなってきた。でも、介護保険がなかった時代に比べ、必要なら何時でもお世話になれると思うと、安心して歳を重ねられるというものだ。 . . . 本文を読む
ある熱心なクリスチャンのご婦人から貴重な手記をいただいたのは一年ほど前のことだ。
内容に感動した私はずっとエッセイに残したいと思いながらどう表現すべきか迷い、いたずらに時だけが過ぎた。
なぜなら、このエピソードには多分に思想的なエピソードが含まれていて表現するのが難しく、当時の日本の社会的な背景に触れないわけにはいかなかったためだ。けれど、この手記を託された私は書かれたエピソードをより多くの人に知っていただき後世に伝えていかねばならないと感じた。そう思い敢えて取り上げさせていただいた。ということで今回はいつものおちゃらけは封印させていただくことお許しいただきたい。 . . . 本文を読む
高校生だったと記憶しているが
祇園精舎の鐘の声 諸行無情の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
驕れる人も久しからず 春の夜の夢の如し
平家物語のこの一節の説明を聞き、一日で散ってしまうというはかない沙羅の花(夏椿の別名との事)の名前を知って、花好きの私は是非一度見てみたいと思った。しかし、住んでいる市内でも沙羅の話は聞いたこともないし、四十数年見る機会はなく、物語の中の幻の花なのだろうと思っていた。 . . . 本文を読む
世間一般の家庭とはちょっと違う家庭だった。
我が家のテレビではいつ見ても『奥様は魔女』『スパイ大作戦』『アンタッチャブル』『かわいい魔女ジニー(主役のジニー役の女優さんが子供心にきれいな人だと思っていて私も大好きだった)』などアメリカ製のドラマが映っていた。
家族で映画を見に行く時は必ず洋画だった。家には当時どこの家庭にもなかったステレオが鎮座していてフランクシナトラやエディットピアフ、アンディウィリアムスやプラターズなどが流れていた。
父は私と妹に自分のことをパパ、母のことをママと呼ばせた。前にも描いたと思うが、私が生まれて育った家は大阪の下町と言えば聞こえはいいがタクシーでさえ行くのを嫌がるような町だ。父は決して高収入ではない。ごく普通のサラリーマンだ。
私も妹もどうしても学校で浮いた存在になった。それでもよそはよそ、うちはうちと言ってはばからなかった。
息子に自分の敷いたレールの上を歩かせようする親父と自分の好きな道を勝手に進みたい息子。私と父の関係を一言で言うとそうなると思う。 . . . 本文を読む
我が家は十九年間五人家族であった。息子夫婦と孫の男の子二人で、私は二人の成長を見守りながら、そして一緒に遊びながら、楽しい思い出一杯の月日だった。
この五人家族が、上の孫の陽輝が社会人に、下の孫の聖輝は大学生になり、四月から家を出て三人になってしまうのだから、後の寂しさを考えると、二人の発の日の来るのが怖かった。 . . . 本文を読む