2008年9月28日(日)
向島周辺の散策。
新東京タワー(仮称)建設予定地周辺は「新開発と下町の混在する町である」と言った噂を聞いたので散策に出かけた
何にも調べずに出かけたのがまずかった。想像していたようなところが見つからず
迷いつつ散策していると、『向島百花園』なるものを偶然見つけた。
向島百花園なるもの全く知らず(スンマセン)に、ただ人の流れの後に続いて入場(150円)・・・。
向島百花園の紹介
向島百花園は、国指定 名勝・史跡らしい。
(以下、ガイドより引用)
江戸の文人趣味漂う 四季の百花咲く園。
江野の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園されました。百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。開園当初は360本のウメが主体でした。その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。唯一現代に残る江戸時代の花園です。
昭和13(1938)年、永久保存のため所有者から東京市に寄付され、翌14(1939)年に東京市が有料で制限公開を開始。なお、昭和53(1978)年に文化保護法に頼囶の名勝・史跡に指定されました。
(以上)
向島周辺の散策。
新東京タワー(仮称)建設予定地周辺は「新開発と下町の混在する町である」と言った噂を聞いたので散策に出かけた
何にも調べずに出かけたのがまずかった。想像していたようなところが見つからず
迷いつつ散策していると、『向島百花園』なるものを偶然見つけた。
向島百花園なるもの全く知らず(スンマセン)に、ただ人の流れの後に続いて入場(150円)・・・。
向島百花園の紹介
向島百花園は、国指定 名勝・史跡らしい。
(以下、ガイドより引用)
江戸の文人趣味漂う 四季の百花咲く園。
江野の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園されました。百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。開園当初は360本のウメが主体でした。その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。唯一現代に残る江戸時代の花園です。
昭和13(1938)年、永久保存のため所有者から東京市に寄付され、翌14(1939)年に東京市が有料で制限公開を開始。なお、昭和53(1978)年に文化保護法に頼囶の名勝・史跡に指定されました。
(以上)