アーサンのネーチァーワールド

春は山菜、夏は沢、秋紅葉、冬は樹氷を求めて・・・・・!

「プリメテウスの罠」で語られる罹災者のコト!!~経産省交渉10月27日

2011年11月01日 | 日記
10月27日は、親戚が仮設住宅に引越しする日で、息子に代理で向かわせた・・

同日、ヨメは東京で母親連絡会などの経産省交渉に参加した

3分間時間をやるから思うこといっていいと言われ

つくったのは7分間の原稿・・って話をしたら

他の人も自分の発言時間をやるからと、

原稿は見ないで経産相の担当者の目を見て、

結局7分間訴えたと話していた

我が家だけでなく

地域が破壊された現実を少しでも多くの方に知ってほしい

最近、畳を敷くことと

エアコンをもう一台付けることになったと連絡があったようだ





置き去りにされた浪江町の住民から経済産業省へ伝えたかったこと
      「国はわたしたちを棄てたんですね 」       
                               浪江町 ○○○○○

 置き去りにされた住民の一人として直接国に伝えられる機会を与えてくださったことを主催者のみなさんに感謝します。
 自宅は浪江町の原発から27キロのところにあります。裏山を越えれば、一時期ホットスポットの代名詞のようになった飯館村長瀞です。当然私の住む地域も高濃度に汚染されています。目の前の国道は舗装されており、今月23日には4.8μ㏜でしたが母屋に近づくにつれて上がり玄関前で18.6μ㏜、地表5センチでは44μ㏜、裏の雨が落ちる場所では実に202μ㏜ありました。東京の公園で1μ㏜を超えれば全国的ニュースになるのに、わたしたちの町の現実は問題にもなりません。みんな避難しているからですか?それとも東京の命は重くて、東北の、福島の、命は軽く扱われて構わないからでしょうか。
 3月11日電源を喪失した時点であらゆる危機を想定し、最悪の事態、つまり今の事態を想定し、いかに国民を守るかの立場に立たなかった、原発政策を後退させてはならないということを重要視しましたね、そのことがすでに私たちが棄てられたことの始まりでした。経済産業省管轄の原子力安全・保安院の役割はまさにこの事故のような惨事を防ぐよう機能するはずと思うのですが、1号機の水素爆発のあと即刻海水注入を東電にさせたんでしょうか。繰り返しますが人命より原発政策を後退させないことを優先したのではありませんか。この先経済が後退するより多少のリスクは仕方ないと判断したのではありませんか。つまりわたしたちの命や普通の暮らしを奪うことを「多少のリスク」と判断し切り捨てたのですよね。
 3月12日浪江町の住民は20キロを越えれば安心とわたしたちの住む地域に集められました。町に対して東電からも国からも何の情報も、指示も無かったことは既に明らかになっています。国は私たちを見捨てたのです。今朝日新聞の「プロメテウスの罠」シリーズで、国は放射性物質による汚染の事実を、データーとして把握しながら、町民に何も知らせようとしなかったことがレポートされています。それらの一つひとつの事実が国によって見捨てられたことを知らせています。
 12日どこの誰とも分らない、あの頃普通の民間人は着ていたとは思えないガスマスク完全防護服の男たちがやってきて「なんでこんなところにいるんだ、すぐに逃げてくれ、30キロ以上福島方面へ頼む逃げてくれ」と言ったのです。我が家に避難していた人たちはとにかくより遠くへと避難して行きました。息子は職場が閉鎖され自宅待機を命じられて近くの避難所の炊き出しのボランティアに出ていました。逃がそうとするわたしに、「流動食の人の食事は自分しかここでは準備できない、今、おれがいなくなったらその人に死ねって言うんやで、おれの命とその人の命とどっちが重いなんておかんは言えるんか」と怒りました。「こういう時、流言飛語に惑わされず、国の指示に従わないと大変なことになるんやて知らんのか」とも言いました。でも国は息子の国に対する信頼をすでに裏切っていたんですよね。情報を隠して。国民を信頼せず、事実を知らせれば暴動がおこるなどと、本来の目的は速やかに国民を被爆からより安全に避難させる目安となるはずのSPEEDIを活用せず隠匿しましたね。一人の青年が命の大切さを当たり前にわかっていたとき、あなたがた国の機関はわたしたちを大切にしてくれませんでしたね。
 わが子を護りたいという親の気持ちをわかってくれますか。避難指示が町から出るまで、どれだけ苦しかったか、国民を見捨てた国の役人に解れというのは言うのは空しいことです。あの時若い世代への放射性物質による被爆の恐怖は、多少なりとも放射線被害の恐ろしさを知っているものにとっては耐え難い苦しみでした。15日町から避難指示が出て、もう何年も帰れないと思って家の中の食べ物をすべて外にだし、春に向けて準備していた種類を棄てた時の農家の切なさ、わかりますか。盆栽も畑に預け、鉢植えのものを寒さに枯れると思っても土に預けたかった気持ちわかりますか。位牌を包み逃げ出す気持ちわかりますか。
 3月16日に「文部科学省のモニタリングカーを用いた福島第一発電所及び第2発電所周辺の空間線量率の測定結果について」というものがありますね。「待避している住民や周辺住民の安全・安心の確保のために20キロから30キロの範囲で実施した」とあります。日時は3月15日20時40分~50分となっています。わたしの住む地域は車内で300μ㏜ 車外で330μ㏜とあります。ご存知のはずですね。あの日雨が雪に変わりました。その少し前の時間わたしと息子は郡山で3時間並んでスクリーニングを受けました。30μ㏜までしか測れない計器でした。出かける前に雨の降り出した中準備する間だけ外で着たコートの検査で針が端っこまで振り切れました。準備されていた厚いビニール袋に脱いで入れるよう指示され、1週間入れておいて洗濯するように、髪は洗うように言われました。その時は30μ㏜の値の示すものがわかっていませんでした。今ここでわたしの服が30μ㏜あったらどうしますか。あなたがたの隣に座ったら逃げませんか。
 津波でさらわれた人たちは、一度は震災で、二度目は原発で殺されました。助けにも、遺体収容にも行くことができなかったからです。数か月たってやっと遺体を探しに出られたときには、本人確認が困難になっていて、何か月も行方不明で夏に実は春に火葬されていたことが分かったご家族もいます。家族の切なさや悔しさやり場のない悲しさがわかりますか。
 未だにわたしの身近で被曝線量検査を受けた人は誰もいません。線量計さえ支給されていないし、集積計を持っているのは、ほかの県からの応援の人だけです。浪江町民には何も支給されていません。ああ、棄てられてると思わされます。
 この避難はわたしたちに落ち度があるからですか。違いますよね。なのに助けてやるから、我慢して暮らせというような酷い仮設住宅です。最初は二人まで1K、三人で2DK と言われました。 今は二人から三人までは2DKですが、親子3人の大人が4畳半二間はきついものがあります。盆地の暑さの厳しい福島で、玄関前に前の家のエアコンの室外機が設置してあり、送風がまともに入り込みます。嫌なら自費で直せと言われた住民がいます。むき出しの鉄骨は夏は触ると火傷するくらい熱くなりました。クーラーを点けない部屋は48度になりました。冬はその柱が冷え切って熱を奪います。基準が阪神淡路大震災の時に準じるそうですね。西日本と東北の冬の違いも考慮されない、そこにも東北の命の軽さがありませんか。子供だって冬の寒さの違いは解かるでしょうに。あなた方は解かろうとしない。作ってやったという気持ちがありはしませんか。窓も二重窓になっていません。ペアガラスの暖かな家を追い出され、板の上に薄いカーペットを貼っただけの床に鉄板の壁。隣のおならがわが家のおならかと思うほどの壁の薄さ。隣の電話の声が丸聞こえ。カーペットのごみをコロコロして取っているのさえも分るのですよ。
 家があって、米や野菜は自給自足で水も井戸で、地域の助け合いがあって、老人会の旅行や、ゲートボールで楽しみもあった。おしゃべりする友達もいた。だから最低限の年金でも暮らしが成り立ち、地域文化もあって一人暮らしでも困らなかった老人が、これから全てを購入していく暮らしがどれほど困難かわかりますか。
 仕事も職場も失いました。わたしたちはあの震災の後、原発事故さえなかったら、大変だったべぇと同じ苦労を分かち合いながら一緒に乗り越えていくはずの明日でした。それなのに、たった一晩でさよならも言えないで誰がどこにいるかさえわからなくなりました。今頃わたし達は運動会をしていたはずです。その明日を失くしました。友達がこんな漬物を作ったと訪ねてくれて一緒に作り方を習うはずの明日を失いました。毎日小学生から高校生まで朝夕の挨拶をしてくれる町でした。わたしはそれが楽しみでした、その普通の毎日を失くしました。今年も毎月第3日曜日は地域の自主デイケアの予定でした。3月9日に今年の計画を立てていました。その明日を失くしました。今年冬を楽しもうと、子供から年寄りまで氷で灯篭を作って雪明りの冬祭りをやるべとこの冬の発案もしていました。そのすべての明日を失くしてしまったのです。その切なさやり場のない悔しさを、国は解ってはくれませんか。何も特別ではない普通のささやかな暮らしを奪ったのは原発事故です。
 ちょっと国民の命や暮らしを大切にしてくれていたら、東電が企業としての社会的責任を理解していたら、国が安全に配慮して、原子力安全・保安院を国民の生活を守るために独立して厳しく企業を監視する機構として機能させてくれていたら、防げたはずの事故ではなかったのですか。なのに社長は責任も感じず、2億の退職金。わたし達の財産を奪った責任も取らないでですよ。賠償ではこの請求をすれば2度と請求しませんとサインしろと書いてきました。悪いことをしたと思っていないのです。
 わたしが国に棄てられたと思うのはこれだけではないのです。あなた方は本当の数字を明らかにしていません。どれぐらい人が、土が、空気が、水が汚染されているのか、知っているのに教えない。混乱するからと子供だましみたいなことを平気でしていますね。あなたがたは国の未来を棄てているのだと思いませんか。
 こどもはこの国の未来、それなのに福島の子供たちを大切にしようとしない。いいえ全国の子供たちを棄てようとしています。食べ物の基準をはっきりさせない。プルトニウムは飲んでも大丈夫なんて大学教授が宣伝してましたよね、数年前から。危ないことは防いでやるのが大人の責任ではありませんか。
 除染などと出来もしないことを、さも出来るかのように希望を持たせていつまで待たせる気ですか。このまま仮設で死なせますか。わたしたちは何度も国に棄てられ、揚句に自助努力で立ち直れ、基準を上げて、安全だから帰っていけ、と言われる日がそう先ではないような気がしています。
 いい加減国はわたし達を護ってくれませんか。あの山の木をすべて切り倒し、表土をはぎ取って、幾多の植物を絶滅させてさえ、本当に除染できるとは思えません。わたしの家の田畑、里山を取ってみても不可能です。枯れ葉を集めれば除染できるなどと安易に言わないでください。家の周りの枯れ葉だけでもとても集めきれません。2番目に広い福島の大きさを考えてください。その山から流れ出る水で作物を作り、基準を緩めて出荷すればどれだけ汚染が広がるとも計り知れません。二本松の高い数値の出た米の田んぼは山水の入る砂地の田んぼでした。汚染された山からの水の怖さです。やがて水は海に注ぎ、鮭は川に上って産卵し、今までよりは孵化率は低くても海にと帰ります。福島で産まれたと名札もつけずに世界の海へ出ていきます。そういう風に汚染を広げた責任を感じてください。
 大切な故郷ですが、孫子の未来はもっと大切です。これだけ不安なところへ帰れ、解除するなどと安易に言わないでください。町ごと、無理なら小さなコミュニティごとに安全なところに集団移転させてください。仮設ではなく復興住宅を建ててください。農民が耕作できる代替え地を本気で考えてください。
 そしてもう一つ、除染についての研究にお金を出してください。放射性物質による疾病、障害について研究を進めてください。きちんとデーターを取ってください。これ以上わたし達を棄てないで、どうか死の町とさせた責任をほかに擦り付けないでください。「死の町」は本当のことです。死の町と認めなければ、誰が町を殺したのか追求しようがないのです。
 福島県は先の県議会で全原発の廃棄の請願を5名の議員の欠席で満場一致で採択しました。わたし達は愚かでした。これほどのおおきな犠牲を払ってようやく分かったのです。
 でも国はまだこの愚かさに気づいてはいないのです。おなじ造りで、同じ考え方でできている原発です。これほどの被害を見ても「やらせ」などという卑劣な手段を使ってでも国民をだまそうとしているではありませんか。その社長は辞める気さえないですよね。安全を見直す気もないところでは、何れ同じ事故は起こります。福島の苦労はやがてきっとこの国の誰かの苦労になる。それを本気で防ぐと、国の姿勢を転換してください。やりきれない現状にどうか本当の希望をください。心からお願いします。棄てられたわたし達の願いをどうか受け止めてください。それが一度、いいえ何度も見捨ててきた命への謝罪です。






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