アーサンのネーチァーワールド

春は山菜、夏は沢、秋紅葉、冬は樹氷を求めて・・・・・!

2011年3月11日メルトダウン余波・・・・②

2011年08月04日 | 日記
とにもかくにも、大阪にきた二人は安心感とともに、

帰ってきてよかったんだろうかと、葛藤し始めた・・

息子は年齢が若いから放射能の影響を受けるので

しばらく戻らないことにした。

  内壁のひび割れ①

  内壁のひび割れ②他無数に


 ヨメは、知り合いの手助けができるかも・・

電話のやり取りをしているうちに、

知人の町の職員も疲弊してきて、手助けしてほしいとの要請で

二本松の避難所のボランティアに行くことになった。

置いてきた車と荷物の移動や避難所の確認のため

4月1日夜大阪を出て、2日元職場の避難所に寄り、それから自宅に行った

以前避難所になった公民館などの駐車場には

車がそのままたくさん置かれていたままだった。

(ガソリンがなく町の手配したバス等に乗ってさらに二本松市に避難したため)

スバルには荷物を積めるだけ積んで・・・・

しばらくは戻れないだろう我が家に別れを告げた。

それから二本松の避難所に行く途中で、

遅い昼ご飯を食べて避難所へ

職場からの避難所への支援物資・・歯磨きなどを届け

ヨメとは避難所で別れた。


 町の避難者は二本松の避難所から、福島県内の旅館や公共施設に

三度移動することになり

二本松の避難所でのボランティアは終了することになり

4月18日に福島を発ちヨメが帰ってきた。


 5月23~25日、実家の様子を見にヨメと息が福島へ


ヨメの知人から、仕事と仮設住宅の申し込みができる・・

来ないかと連絡があり、

「先行きを見ないと・・福島にいた方がいつでも家を見に行ける・・」

話しあった結果、仮設住宅を申し込むことになった。

期間は1年、延長2年なので、

その時点で戻れるのか戻れないのか判断することに・・

そして、6月5日夜、ヨメと息子は大阪を出て、6月6日仮設住宅入居した。

 
浄化槽のコンクリートの地盤沈下