今日の一枚は、純喫茶ベアで知り合った常連客のおばあさんに頼まれた絵。何でもご友人のわんちゃんで、最近亡くなって悲しんでおられるから描いて欲しいと頼まれたのだ。
もう一枚別の写真を起こして描いて、なかなか好評だったのだが、写真を保存せずに削除してしまった。キャバリアは心臓が弱く、短命な子が多いと言っていた。
自分の意見を持つ
この国で自分の意思を持って生きるのは至難の業であろう。欧米のような個人主義ならともかく、日本のような準共産主義国では自分の意見を持つこと自体が難しい。マスクやワクチンに見られるように、人と同じことをするのが良いとされている。それが正しいかどうかの評価さえされないのがこの国だ。
この国では、自分の意思や意見を持てば敵を作ってしまうことにもなる。右に倣えに従わない人をよしとしない風潮があるからだ。人と違うことを言えば変人扱いされる。それでも自分の意思や意見を持ち続けるには、それなりの強い精神力が要るであろう。また反論できるだけの理論をも持ち合わせていなければいけない。例えばコロナがそうだ。
なぜマスクをしないのか、ワクチンを打たないのか、コロナがフェイクであることをわかりやすく説明できなければいけない。最もコロナフェイクは余りにも単純なので、わからない方がおかしいのだが。
この方のブログにあるように、人生は我慢して生きるほど長くはない。本当にその通りだと思う。日本人は我慢することを美徳とするところがあり、本来手段であるはずの我慢が目的になってしまっている。
Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)
https://blog.goo.ne.jp/syousyu-wainai123753/e/9209b76ed853334c459e7e3af0c36963
しかし、一体何のために我慢をするのだろう?何のために“我慢”してマスクをし、自粛をするのだろう?我慢している人に明確な答えはないはずだ。なぜなら自分の意思を持っていないからだ。
何であれ我慢するのであれば、何のための我慢なのか目的を明白にし、我慢する期限を定めて、その期限が過ぎれば自分が思い描いていたことを実践に移さなくてはいけない。
私がフォローしている「箕面三中もと校長から~教育関係者のつぶやき~」さんの今日のブログにコスプレの話が出ていて興味深い。https://blog.goo.ne.jp/mi3chu-kocho/e/1b84b1b4514c23bea08d3133cef1a032?st=0#comment-form
ここで出ているコスプレは一例に過ぎず、問題は表現の自由である。若者のみならず、日本人は常に“抑圧”されて生活している。遠慮することが良いこととされている。他人への配慮の余り、自分自身を抹消してしまっている。何のための人生なのか?本当に必要な遠慮や配慮と、不必要なものを混同してしまっている。
もう少し遠慮を捨てて、自分を大切にすべきではないだろうか?
コロナに怯えている人達は、人間の生命が永遠だと勘違いしている。いつまでも死なないと思っている。明日死ぬかも知れない。いつどこでどうなるかわからない。人生は長くはないのである。
おススメ記事(これを読めばコロナのカラクリがよくわかる)
集英社オンライン