新井 香里

新井 香里

ソン・イェジン「徳恵翁主」朝鮮王朝最後の皇女

2016-08-16 17:06:42 | 日記
朝鮮王朝第26代王で後に大韓帝国初代皇帝となった高宗(コジョン)の娘、徳恵(トクヘ)翁主(1912~89年)の生涯を描いた韓国映画「徳恵翁主」(原題)の累計観客動員数が200万人を突破した。

 

ソン・イェジンが主演の映画『徳恵翁主 DVD』は14日で観客動員数350万人を突破した。これで『徳恵翁主』は損益分岐点を越えた。同作は日本に連れて行かれ、一生祖国に帰ることを望んでいた大韓帝国の最後の皇女・徳恵翁主の物語を描いている。。ソン・イェジンがタイトルロールを引き受け、パク・ヘイル、ユン・ジェムン、ラ・ミランらが出演している。

 

徳恵翁主の生涯

 

日韓併合後の1912年、日本の王公族・徳寿宮李太王となっていた高宗と側室・梁氏との間に生まれた。1925年に12歳で渡日し東京の学習院に留学、1930年に旧対馬藩主・宗家の当主である伯爵宗武志(そう たけゆき)へ嫁いだ。朝鮮人である徳恵と武志との結婚には、宗家側に反発が少なからずあったというが、このころ宗家は経済的に困窮しており、徳恵の実家である李王家からの支援を期待できるこの縁談は悪い話ではなかった。そういう事情はありながらも、武志は妻となった徳恵を深く愛し、2人の仲は睦まじく、2年後の1932年8月14日に長女正恵(まさえ)が生まれた。

 

しかし、徳恵は精神・知能双方に先天性疾患ならびに障害を抱えており、その病状は少女期から新婚時代には小康状態にあったが、正恵出産から数年後に再発した。武志の献身的な介護の甲斐なく症状は悪化の一途を辿り、1955年に徳恵の実家・李家から宗家に対する離縁要求により、武志の反対も空しく徳恵は夫との離婚を余儀なくされ、母方の姓を名乗って梁徳恵となった。1962年に療養のため韓国に移り住み、このときに韓国の国籍を取得している。。

 

帰国後は異母兄李垠の妃だった李方子とともに昌徳宮内楽善斎に住み、1989年4月21日同所にて死去。ライト/オフ DVD 長らく病に伏していたと言う。

 

のちに、詩人でもあった武志は、愛妻徳恵との別離の深い痛みと悲しみを山幸彦と豊玉姫の離別譚に託した詩を綴っている。

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