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無題010

2024-09-10 07:27:25 | 日記
「能力の『獲得』」というよりも、
「能力の『解放』」という言い方の方がしっくりくる感覚。

見るところ、
多くの人々は
(もちろん私を含め)
サイドブレーキを引いたまま走り続ける車のように映る。
そして能力「獲得」とは、、、
そのままアクセルを踏み込む、ことの
ように思われる。
(サイドブレーキ焼けるっつーの)


人間には無限の能力がある、、、

自己啓発業界でも、
コーチング業界でも、
ヒーリング業界でも、
いい加減、使い古された言葉だと思う。

、、、が、
最近はこれを、何となく
実感として感じるようになってきた。



ドラムの練習005

2024-09-09 16:42:45 | 日記
学生時代から細々と、
続けてきたドラム「練習歴」のなかで、
「硬いもの(練習パッドやら)」を叩いて
練習した時間の割合は微々たるものだ。
理由は、、、自宅だろうが屋外(公園やら河原やら)だろうが、硬いものを叩いて練習すれば「やかましい」。苦情が出る。
当たり前の話であり、それなら最初から
スタジオ行って本物のセットで練習すればよさそうなものだが、
いかんせんケチ、かつズボラなので、
「スタジオ行くの面倒くさい」
「スタジオ代惜しい」。
これでよく続けてきたものと思う。
(何度もやめようと思ったことがあるし、実際、長らく叩かない期間もあった。)
どういうわけかやめられないので
ちまちま続けているが、、、

とりあえず、フィンガーコントロールの感覚を養う必要は常にある。
そして幸い(?)現状、仕事の都合上、一日中車を乗り回し、しかも車中待機の時間があるのをよいことに、、、
「雑誌」を膝にのせて、
全力でぶっ叩いている。笑
市販の、「高反発の」練習パッドもあるが、それよりも雑に扱える気楽さがいい。車中なのでスタンドも立てられないし。
スネアの打面ほどの反発力はないが、
一打一打のタッチに気をつけなければならない、という点はかなり実戦に近い。
この手でフィンガーコントロールの感覚を養い、
ときに柔らかいものを叩いて、リストや肘の動きをしっかり確認する。
この手でいってみよう。




打楽器、、、010

2024-09-08 19:42:25 | 日記
そして今日当日、「自主練」参加。
自主練とは言っても、大ベテランである
運営の方のリードで、ほぼレッスンと同様に練習が進んでゆく。
基礎的なリズム打ちの練習、少し複雑なリズム、そして曲の練習へ、、、
二時間バッチリ叩き、心身、アタマともに心地よい疲労、爽快感。
ベテラン先輩方お二人と総計四人、
たいへん楽しいときを過ごさせていただいた。

和太鼓を叩くと、毎回思うことだが、
やはり、この楽器のサウンドには世界中の打楽器のなかで唯一、
「破邪」の質を強く感じる。
武術、、、日本武術にそれを感じるのは当然として、
和太鼓にも、、、邦楽全般にも、また、茶道や華道、、、日本文化全般に、
そのような質、、、
「邪なるもの、無秩序なるものを突っぱねる質」を感じる。
まあ実際今日も、少々、鬱々としていた気分がどこかへ吹っ飛んだ。
和太鼓に話を限って言えば、、、
その理由は、(リズムやアンサンブル形態にもありそうだが、主として)サウンドにありそうだと思っている。
ジェンベも、西洋ドラムも、全力でぶっ叩けば、鬱々とした気分はたいてい吹っ飛ぶ、、、のだが、何と言えばいいのか、、、他国の打楽器にはない、
「清涼感」、
「凛とした感」そして、
ある種の、、、「浄化力」を感じるのだ。
私だけだろうか?
そしてそれが、私には、この楽器に惹かれる一つの大きな要因となっている。





打楽器、、、009

2024-09-06 20:20:13 | 日記
明後日は久しぶりの、
「一輝太鼓道」初心者クラス参加。
先生、ご多忙で、
教室運営の方のリードにより、
その場で内容を決める、とのことだが、
さてどうなるか、、、

ドラムの練習004

2024-09-02 17:34:52 | 日記
、、、というわけで、特に、そういった場で演奏する際には避けがたく、
小さい音量の音を繊細にコントロールする技術が要る、、、となると、柔らかいものを叩いて練習するだけでは不足する部分が出てくる。
思い出すのは、高校時代、、、休み時間にしばしば聞こえてきた、吹奏楽部の打楽器の練習の音だ。
スネアドラムで、装飾音やダブルストロークなど、繊細な音を鳴らしていた彼らの、休み時間の練習方法は、
木製、またはコンクリート製の、階段の手摺りなどを叩き、リズミカルにスティックを跳ね返らせるというものだった。
聞いてみたことがないのでわからないが、彼らは、柔らかいものを叩いて練習するということはあまりなかったのではないか。
かくして、こちとらが爆音でハードロックを奏していた同じ年代に、彼らは日々、繊細な演奏を身につける努力をしていたのだ、と思い知らされることになる。