筑紫漢方つれづれ日記

福岡県の中西部 筑紫野市と小郡市の境にある漢方薬と自然派化粧品の専門店 漢方四季彩堂のブログです。

筋力

2012年02月17日 | 健康
今日は太極拳教室の日でした。
準備運動をしながら、口のほうの準備運動も盛ん。

で、歳をとると筋力が衰えるという話から
洋式トイレと和式トイレの違い…後はご想像にお任せします。

そして、最終的には
1.口からものを食べられる
2.自分の足で目的地まで歩いて行ける
このごく当たり前のことを当たり前にできることが喜びだよねと
互いに頷き合いました。

思い起こせば晩年の父は自らの足で歩くことができなくなっていただけでなく
食事の際に、母が緑茶をマグカップに入れて出したとき
「これじゃ、都合が悪いから普通の湯呑みに替えて」と言っていました。

母は熱い湯呑みは持ちにくいだろうと考えて
わざわざマグカップに入れて気を利かせたつもりだったのでしょうが
考えてみれば湯呑みのほうが筋力を必要としないのですね。

以前、老齢のお客様が駐車場の車止めブロックにつまずいて
そのままアスファルトの上に倒れてしまわれたことがあります。

驚いて起こそうとしたのですが、私の筋力では到底無理でした。
そのときは、そばを通りかかった男性が助け起こしてくださって事なきを得ましたが、
ご自身も掴めるものがなかったので起き上がれなかったとおっしゃっていました。

自分が後期高齢者になり、段差に気づかず運悪く転んでしまったときに
そばに手すりなどの掴めるものがあったとしても
私の腕に自分の体重を支えられるだけの筋力がなければ
自力で起き上がることはできないわけです。

昨年は東日本大震災で、当たり前の生活を一瞬にして奪われた方々を目の当たりにして
わが身の日常のありがたさを思い知らされました。

そして今日は、自分の筋力は、この先努力を続けなければ
維持できないのだということを改めて実感しました。

効果的に筋力を維持するには、激しい運動で筋肉を鍛えるのではなく
太極拳のようにゆっくりとした動きで筋肉に負荷をかけることと
筋肉の弾力性のもととなるコラーゲンを摂るといいですよ。

コラーゲンを多く含む食品はというと
カメ(亀板)・スッポン(鼈甲)・フカヒレといった高級食材が多いですが
もっと身近で安価な食材「粉末ゼラチン」で代用できます。

今日の話、みなさんのお役に立ったでしょうか?

さて、私は今夜もゼラチンを食べて、柔軟体操をしてから寝ることにします。

父の認知症 その6

2012年02月16日 | 認知症
入院から2カ月ほど過ぎたころ、
面会に行くと、父は目覚めていることが多く、
以前に比べ、わずかながら会話が成立するようになってきました。

点滴の回数が減り、鼻から管で流動食を入れる方法に移行できたものの、
父としてはあくまでも自分の口から食事をとりたい様子で、
見ている私たちも消化不良のような気分でした。

そのころ、母の声を聞いて
「あ~、懐かしい声だ」と言ったそうです。
この時点ではまだ母のことを自分の妻だと認識できていません。

介護の職に就いている次女が
「おじいちゃん、わたし、誰か分かる?
『けいこ』『けいこ』よ。『けいこ』って言ってごらん」。

「けーこ」。
父がオウム返しに応えました。

翌日、再び次女が
「おじいちゃん、わたし、誰か分かる?」と尋ねると
父が「けーこ」と応えたのです。

「分かるようになったわ!」と
母の顔がぱっと明るくなりましたが
私には、父が本当に分かるようになったという確信が持てませんでした。

試しに、「じゃぁ、私は誰か分かる?」と私が尋ねると
「けーこ」という答えが返ってきました。
「ほら、誰のことも『けいこ』って言うのよ」と言いながら
私は少々がっかりしました。

母の落胆はさらに大きく、ついさっきまで明るかった顔が
一瞬にして暗い表情に変わり、深い溜息をついていました。

こうして一喜一憂している間に、
実は父の短期記憶がほんの少しずつではあるけれど
回復の方向に向かっていたことに、
私たちはまだ気づいていませんでした。

その数日後、肛門からの出血なのか、
父のオムツに血が付いているのを母が見つけ、
治療のために別の病院に移されることになりました。

大腸の粘膜上に血の塊ができていて
そこから出血しているとのこと。
簡単な切除手術を受けました。

その病院では管を挿入した流動食ではなく
老人が食べやすいように柔らかく調理された食事が出されました。

約2カ月ぶりに食べ物を口にした父は
「久しぶりにご飯を食べて、おいしかったぁ~」と
とても満足した様子で、目に輝きが戻ったように見えました。

このことがきっかけで、父のQOL(生活の質)が
ぐんと向上したと私は実感しました。

母は毎回出される食事の内容を表示してある
小さなメニューカードを集めていました。
きっと、父が退院できて家に帰った時のための
参考にしようと、ほんの少し希望がわいてきたのでしょう。

口から食べ物を食べるという、ごく当たり前のことが
私たち人間にとっていかに大切なことであるかを物語っていると思います。

この病院での面白いエピソードがあります。
それは次回に。

つづく


悲しい別れ

2012年02月12日 | 日記
今日は知人との永遠の別れの日でした。
あまりにも早い別れに戸惑うばかり。
歳の順なら私の方が先なのに。

本人が好きだったという曲が流れるのを聴きながら
私が逝くときは、ホィットニー・ヒューストンの
“Greatest Love of All”という曲を
家族に流してもらおう…と思いました。

悲しみを引きずりながら帰宅すると
「ホィットニー残念…」と、友人からのメール。

世界の歌姫 ホィットニー・ヒューストンが
急逝したというニュースが駆け巡っているではありませんか。

一度に二人も友人をなくしたような
言いようのない悲しい日です。

冬眠明けの今年最初のブログアップが
こんな悲しい話題ですみません。