明日からまた仕事だと、いつもこうなっちゃうんだ。憂欝でねぇ。ごめんなさい。おやすみなさい。じゃ。
自分のやってること、すべて間違いだ。何を選んでも失敗だし、買い物もミステイク、あとから後悔する。さらに自信がない。行動するのが恐い。ああまた何か失敗しそうだ。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。
ヒポポタマスって英語で「かば」って意味だったと思うけど、ここでは動物の話ではなく「かばー」、すなわち他人の曲を演奏すること、されることなんだが、他人が自分達バンドの曲を演奏してるのを見ることは複雑だなぁ。革ジャン着たマッチョマンがただの男臭いヤツに聞こえてきたり、ゲイで男が好きなマッチョマンだったりして聞こえるから不思議だよねぇ。それって前者が「団長」で後者が「MASH」なのよ。それぞれいい味だしてるからいいんだけど。でも、MASHの曲やるなんて、団長サン、あなたは変り者だよ。じゃ。
あなたがある日、突然周りの他人からわからなくなった時、あなたという存在は無くなっているかもしれません。あなたは自分はここだよ、と周りに訴えても、わかってもらえないとき、考えられるのはこんなパターンがあると思います。まず、あなたは死んでしまったので、周りの他人からは見えないパターン。でも、あなたの魂はまだ地上に残っているから、周りが見えていて、そこで自分を認識してほしいと思うわけです。もう一つは、あなたはもともと存在しなかった。勝手に周りの他人が描いた想像上の人物。それがなにか違う媒体に一時乗り移って、周りに存在感を抱かせるが、実態がないのですぐに消えるかたち。都市伝説にありそうですね。いずれにしても、存在とは主観と客観のバランスで成り立っているのは確かです。わかってほしいという自分と、わかっている他人で成立しているわけです。詳しいことは専門の学術書を読んでください。私はたまたまそう思っただけですから。
ほんと、些細なことからかわるよねぇ、人間の運命って。それが恐くもあり、楽しくもあり、うれしくもあり。ひとの一生、短いけれど中身は濃い。じゃ。