大和田駅から北へ延びていた支線。太平洋戦争末期に機関車を退避させるために敷設されたというお話。(また聞き)
便利なものを国土地理院がつくっているので、1945年の航空写真と現在の地図を重ね合わせて印刷したものを持ち現地(近所)に行ってきました。

大和田駅から線路わきの集合住宅を抜け、


空き地をついで"しまむら"の東脇を北上。
大和田病院、柳沢家の東側から北の門あたりに抜ける。

そこから130m程は現道と同じ感じで北上し、

ルネコンフォートレジデンス、大砂土東小の東側まで。

そこから更に分岐してあった。
子供の頃に気づいていれば、その頃のことを見ていた人に話きけたのにというのは後の祭り。
航空写真を見ると家々は北側に風よけの木々を背負い東西に連なっているのが特徴的。
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