門司藤松のペトログラフ
西鉄バス 門司藤松1丁目



ペトログラフの由来
この岩刻文字は、平成元年9月福岡県立大里高等学校吉田信啓教諭(国際岩刻画学会日本代表)を中心とする考古学クラブの生徒諸君によって発見されたもので、二箇の立岩の内「地神墓」と漢字で刻られたその岩の背面漢字が渡来する遥か以前に刻られたと見られるシュメール古文字が検出されその後村中川源流に近い清正公堂聖域内や村中川流域その他から十数箇が発見されています。このシュメール文字とは約4千年の昔メソポタミアのシュメール帝国の繁栄時代の文字でその後シュメール人は海洋民族となり大移動を行ない世界各地に定住しそこに彼等が信仰する神々の名を刻み残しました。藤松で発見されたものが世界各地のものと同一であることが立証されたことにより藤松にも海洋民族が渡来したことが想定されます。 平成2年7月建立
ペトログラフは西日本の11ヶ所(山口県角島、同豊浦町川棚、下関市彦島、山口市鋳銭司、山口県吉敷郡秋穂、福岡県北九州市門司区、同小倉北区、福岡県粕屋郡外宇美町、福岡県豊前市、佐賀県江北町、大分県安心院町)で88個が発見されています。その88個のうち87個の岩に彫られたペトログラフが、皆シュメールのクサビ型文字やシナイ文字で、シュメールの神々の名前や祈願の言葉が彫られています。おそらく、4000-5000年前の西日本にはシュメール系民族が到来していたのに違いありません。
ペトログラフの近くにある藤松の公園

小倉松柏園ホテルのぺトログラフ
西鉄バス 上富野4丁目

大分県耶馬渓の川から運ばれたものと、いわれています。園内の滝つぼの石垣に組み込まれていました。
淡島 神社
西鉄バス 淡島神社前

淡島神社(あわしまじんじゃ)は、北九州市門司区にある神社で、日本三大淡島神社の一社として称えられています。安産・子授け・良縁・厄除・万病平癒祈願や2月8日の針祭り(針供養)等が有名です。
おなで石

この石で悪いところをなでると、たちまち良くなる。また、安産・子宝を願いお腹をなでると、元気な子を授かる等の信仰があります。
ペトログラフ

淡島神社のペトログラフ(古代岩刻文字)は昭和63年9月、参道の岩垣から発見されました。
彦島のペトログラフ

清盛塚に近い杉田の住宅街の中に下関指定文化財「彦島杉田岩刻画」があります。
彦島の杉田遺跡で岩刻文字、ペテログラフが1924年に発見されました。「恐れの杜」(おそれのもり)、「祟り岩」(たたりいわ)と呼ばれたり、「こっそりと願い事をすると叶えられる岩」として、地元ではよく知られていました。 この遺跡の岩から、合計三十個のペトログラフが検出され、それらの文字は、シュメール、バビロニア文字と北方ツングスのエニセイ文字系のものが入り混じったものである事が指摘されています。 その多くの文字は、紀元前2000年から紀元300年頃までの幅広い年代のものですが、発掘品がないために、絶対年代の特定は出来ません。しかし、古代のいつの時代か、シュメール文字を知っていた集団が何らかの形で彦島に上陸し、祭祀(さいし)をした神殿ではないか、と推定されています。
彦島八幡宮のペトログラフ




6500年前のシュメールで始まった文化は南北アメリカから日本を含む広大な環太平洋地域に伝播しており、コロンブスが「新大陸」を発見する遥か以前に、シュメール人だけではなく、イベリア・シナイ・フェニキア人なども「新大陸」にペトログラフを残しているといわれています。
神武天皇、船出の岩にもペトログラフ
平成元年、宮崎県日向市の美美津海岸。後、神武天皇となった磐余彦(いわれひこ)が船出した場所の「神武天皇船出の磐」といわれてきた岩から、シュメール古代文字が見つかりました。土地の神官が、昔からその岩には、三柱の神様が刻まれていると言い伝えてきた岩です。



神武天皇が東征するにあたり、その途中に、宇佐津彦、宇佐津媛の出迎えをうけ、宇佐で大饗宴を開いたことは『記紀』の中に記されていますが、この宇佐には多くの古代遺跡が残されています。この
一帯の安心院の百穴遺跡、宇佐川源流などからシュメール・バビロニア系統の文字、女神像などが発見され、また、百穴を見下ろす山々には、なんと900本の環状列石が近年まであって、それに楔形文字が刻まれていたことが確認されています。
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