西鉄バス 40・42・91・197番
今から1800年まえ、神功皇后は福岡香椎の宮で崩御された14代仲哀天皇の代わりに、皇子(後の応神天皇)を身ごもりながら天皇の崩御を隠し、男装をして軍隊を率い、九州騒乱のもと、新羅征伐に出征、朝鮮半島の三韓を従えられて無事、福岡に帰国、宇美八幡宮で応神天皇をご出産されました。仲哀天皇のもう一人の皇后さまのお子様たちが、応神天皇が天皇様になることに猛反対されたのです。そこで神功皇后は、ここ中宿八幡宮の地に中宿りされて八幡豊山宮を造り、更に北部九州の兵力増強を計りました。
神功皇后がこの地に着いたとき、この奇石を見て、「私が皇子をはらんだ時の私のお腹に似ている」と言って崇(あが)められました。その後、1658年社殿を建立。以後村里の女房たちが、産前に詣でて安産を祈りまた。また奇病まで治されるとあって、今でも難病平癒を祈る人が多いということです。
前田祇園山笠は、もとは仲宿八幡宮のお祭りではなく、八束髪(やつかひげ)神社というスサノオを祀った神社の祭りでした。ところが、八幡空襲で本殿は焼けてしまい、その後昭和36年この仲宿八幡宮に合祀されたため、今では仲宿八幡宮の行事の一環となっています。
牛守神社
江戸時代から明治時代にかけて行われていた地方歌舞伎の芦屋役者や植木役者の影響が大きいといわれる遠賀川流域系の盆踊りの一つです。地元の伝承では、1492年~1501年、大内氏に攻められた花尾城の戦死者を供養するために、その子孫や村人が踊り始めたといわれています。大番傘の下に地方(三味線や太鼓を演奏する人)、地謡(唄う人)が位置し、その周りで輪踊りをしますが、同系統の盆踊りに比べて、手振りがいちだんと技巧的で繊細なことが特徴といえます。曲目は「みちのく」と「思案橋」の二種類で、間に「ほめ言葉」「返し言葉」が入ります。昔は盆の8月13日から3日間と8月24日に踊られていましたが、現在は8月24日の地蔵盆の日と仲宿八幡宮の祭礼(春祭、夏越祭、秋祭)や地元のさくらまつりで踊られています。
55年、北九州市無形民俗文化財に指定されました。
プロネタリュウム
20時の星空解説と季節によってテーマを変えるテーマ番組で構成されています。工夫を凝らした解説も分かりやすいと好評。プラネタリウムの星空の下でクラシックの生演奏やCDで音楽が鑑賞できる「星空コンサート」も開催しています。
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