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サヨウナラから始めよう

2020-03-22 08:49:51 | 日記

会社経営の傍ら、心理カウンセリング・コンサルタント講演・コンプライアンスに基づく講義なども行っています、りゅうこころです。ryukokoro

目次  
 
  1. 平等という概念
  2. 出会いと別れ
  3. 別れから始まる
  4. サヨウナラ
  5. どちらも大事
平等という概念
人間みんな平等にあるもの、「産まれる・死ぬ・一日24時間」だと私は思っています。「不慮の事故・不自由に産まれてきてしまった・自ら命を絶つ」このような産まれる若しくは生きている事を前提に考えた場合、「一日24時間」というものだけは『胎内に居る時』も『棺の中でご遺族が悲しんでいる時』も同じだと思うのです。

出会いと別れ
どれだけお金を払ったって、どれだけ権力を持ったって、「一日24時間」だけは変えられません。生産性云々という理屈は置いといて、です。人間生きている間に何万人の人と出会うのでしょう。自分にとって良い出会いもあれば自分にとって悪い出会いもあると思います。ここで重要なのは「自分にとって」というキーワードです。昔から局の曲の歌詞などでよく使われたフレーズ、「出会いもあれば別れもある」出会いから始めるのか、別れから始めるのか選択権も平等にあると思うのです。ただ、今回の論理の場合は別れる事の出来ない場合(障害を持たれた家族と一緒に居る・家庭内DVで監禁されている)等の特殊な場合をのぞきます、あくまでも一般論の話です。

別れから始まる
「初めて友達が出来た!」という人と何十年もお付き合いしている人ってどれだけいるのでしょう?学校で行われる『クラス替え・席替え』って、別れの練習だと私は思うのです。もちろん逆の意味で出会いの練習でもあり、協調性を育む練習であるとも思います。でも後者は言い方悪いですけれども誰でも考える事、前者を考えてみるというのが今回のテーマです。

サヨウナラ
「先生さようなら、皆さんさようなら」と挨拶して帰路に着きます。子供にとっては「これから家に帰ってお母さんに学校であった事をお話しするんだ!」というある意味スタート。サヨウナラから始まっている時間なのです。見識が浅いだけなのか、一日に少なくとも5冊は速読で読む私ですが、(雑読です)『サヨウナラから始まる』という定義は様々なシーンでの始まりという表現はあれど、その本質には出会った事が無いのです。なんだかサヨウナラってすごく寂しい言葉に聞こえたり例えられたりするんですよね。でも新たなる一歩へのスタートだって私は講義で教えるのです。このスタートは何回あってもいいと思うのです、だってそれが成長なのだから。むしろ、サヨウナラを良しとせずにダラダラ引きずっているよりはよっぽど建設的だと考えます。その証拠に「断捨離」なんて言葉は「捨てる事から考える」こと、サヨウナラから始まる事ではないでしょうか。

どちらも大事
宗派によっては「現世との別れは神の御元に」というものもあれば、「転生してどこかで生まれ変わる」というものもあります。今回の考え方の場合はどちらでもいいのですが、『別れがあるから出会いがある、なのでどちらも大切にして同価値として考えましょう』という事が書きたかったのですが、すっごく長くなりそうなのでまた次回、何かのタイミングで書こうと思います。グダグダでごめんなさい。
りゅうこころでした。ryukokoro

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