【スポーツ・ウオッチ】
「五輪には最も強い選手が行くべきだ」
ボート男子で5大会連続の五輪を狙う武田大作(38)=ダイキ=の一念は、本来ならありえない“逆転”を生んだ。ロンドン五輪アジア予選(4月26~29日、韓国・忠州)の男子軽量級ダブルスカル代表を決める再レース。凱歌を挙げたのは、一度選から漏れた武田と浦和重(36)=NTT東日本東京=のペアだ。昨年11月に日本ボート協会が発表した他ペアの代表内定に異を唱え、スポーツ仲裁に打って出た武田の果断は「選考をやり直せ」という異例の裁定につながる。再レースでは、過去2度の五輪でペアを組んだ武田・浦組の面目躍如となるわけだが、その舞台裏にあったのは、曲折に次ぐ曲折の日々だった。(森田景史)
■説得
「僕は出ませんよ」
電話口の向こうで、浦は首を横に振り続けた。半ば予測できた答えだから、武田も引き下がらない。「そんなこと言うなよ。もう1回やらんか?」。日本スポーツ仲裁機構(JSAA)が“やり直し裁定”を下した2月27日から、ボート協会が再レースの実施を発表する3月6日までの1週間。愛媛にいる武田と東京にいる浦の間で、こんなやりとりがもう何十回と続いている。武田は骨惜しみすることなく相棒の説得を続けた。
浦といえば、昨秋の代表選考レースで好成績を残した自負があるから、落選には今も合点がいかない。かといって簡単に腰を上げる気も起こらない。「内定は覆らないだろうと、無理に代表から身を引いたわけだから」。その後の3カ月間は所属チームでの練習に明け暮れ、やっと心の平静を取り戻したばかり。JSAAが協会の非を認めたときも「真実を勝ち取れればいい。代表の交代までは考えていなくて…」。一度冷めかけた五輪への熱をたぎらせるには、気力も体力も続かない。そんな不安が浦の決心を鈍らせた。
武田も再レースの理不尽は分かっている。どう考えても代表内定の後、合宿で鍛錬を続けてきた須田貴浩(アイリスオーヤマ)西村光生(NTT東日本東京)組に分がある、と。それでも、ここで折れるわけにはいかない。「もう1回やろう」。哀訴に近い。
武田は浦と組んで過去2度の五輪に出た。2004年アテネ大会は決勝に進み、6位入賞を果たした。4年前にはコンビネーションの精度を上げて北京入り。「これは面白いことになるぞ、と自信があった」。しかし、現地のほこりっぽい大気にやられた浦がぜん息に。消化不良の13位でかの地を後にしている。「北京で失敗したし。オレ、悔しいからさ…」。最終的に浦の心を動かしたのは、このひと言だったか。武田の執着心、それとも粘着力か。ともあれ重い腰を上げた。「まず(船に)乗ってみよう。そのうちスイッチが入るかもしれない」と浦。もちろん、武田を“不戦敗”に終わらせたくないという男気もある。
■再起
ペアが始動した時期は、4月6日の再レース実施まで残り4週間を切っていたという。気心知れた仲とはいえ、3カ月以上もの“空白”は痛く、すわ決戦とはならない。ペアは当座の課題として「世界で戦える精神力を取り戻す」ことに腐心した。浦は言うまでもなく、武田も代表の選から漏れた昨秋以降は精神的にすり減っている。郷里・愛媛に戻ってオールを握っても、追い込んだ練習にはならない。スポーツ仲裁という手段に出るまでに、逡巡もしたし、関係者と議論もした。やり直し裁定が出た時から再レースは覚悟していたが、重い扉をこじ開けた先にある道がこれほど急な上り坂とは…。
2週間ほどこぎ続け、武田も浦も腹は固まった。ペアは次に「世界で戦える技術と体力を取り戻す」ことに軸足を移す。肉体の強度を上げるため、練習の中身は一気に濃度を増した。オールを握る手には自然と力が入り、ひとかきに込める念力も最初の2週間とは天地の開きがある。数日たって、浦の体が悲鳴を上げた。痛めたのは左脇腹だった。「右のあばら骨を過去に2度、疲労骨折したことがある。その時と同じ痛み」(浦)。追い込みたい時期に、限界の一歩手前で歯止めを掛けなければならないもどかしさ。仮に再レースを制しても、その3週間後にアジア予選がある。自分たちだけでなく須田・西村組も同じ条件下にあるわけで、武田はつくづく協会の非を鳴らしたかったが、もう後戻りはできない。
■幸運
武田・浦組には、もう一つ頭痛の種があった。再レースで乗る自艇の問題だ。できれば、アジア予選の本番で使うものと同じ型の船を確保したい。それぞれの船体には固有のクセがあり、乗る船が違えば、それに適したストロークも変わるからだ。須田・西村組は昨秋から同型の船を確保して練習に打ち込んでいる。大一番では、乗り手と船の相性が命綱。「違う型の船で再レースに勝ったとする。アジア予選では『船と自分たちのフィーリングが合わなくて負けました』では意味がない」(武田)。アジア予選で使う船を協会からしばし拝借できればいいが、協会はすでに船を韓国に送ってしまった。どうする…。
方々のつてを頼るうち、思わぬところから福音が舞い込んできた。「(同じ型の)船、持ってきてるぞ」。武田に手を差し伸べたのはトヨタ紡織ボート部を率いる小畑篤史監督だった。武田と同級生の38歳。シドニー五輪では軽量級舵なしフォアの一員として日の丸を背負っている。
トヨタ紡織の練習拠点は愛知県東郷町だが、聞けば再レースの会場となる埼玉・戸田漕艇場に、武田の探す同型ボートを浮かべているという。3月下旬に戸田で開かれたレースにチームが参戦。本来なら愛知にあるはずの船が、運よく武田のすぐそばにあった。「悪いけど、貸してくれない?」。頭を下げる同級生に、小畑氏は二つ返事で快諾した。逆風の中をこぎ続けてきた武田にとって「地獄で仏」の助け船。この劇的な一事を境に、風は武田・浦組の背中を押し始める。
■号砲
4月6日午前9時。再レースの号砲が鳴った。2000メートルの3本勝負で、2本先取したペアがアジア予選の代表になる。第1戦、スタート直後に飛び出したのは須田・西村組だ。スタートダッシュで重ねたストローク数は武田・浦組の方が多くても、オールは上滑りに近い動きを何度か重ねた。関係者の表現を借りれば「水をはたく」というロスだ。ベテランペアの再結成とはいえ、再レースに関しては1カ月弱の急ごしらえ。250メートル過ぎで4分の1艇身ほどのリードを許してしまう。
しかし、この後の立て直しが秀逸だった。ストローク数を落とす代わりに、オールの先端がひとかきごとにしっかり水を捕まえ始める。ストロークは正確で効率的でパワフルで。こぐたびに船体は前にグイと押し出され、500メートル地点ではほぼ横並びに。750メートルでわずかに先んじ、1000メートルでは1艇身分前に出た。「相手の船を見ながらこぐのがレースの鉄則」と武田。予期した通り、相手ペアは残り250メートルで猛追を仕掛けてきた。一方のベテランペアには適度にストロークを手抜きながらもリードを保つゆとりがある。ゴール地点。見た目は僅差の逃げ切りでも、心身の疲労度には天地の開きがあった。「相手は緊張で硬くなっているのが分かった。僕らは2本目が勝負と踏んでいたから、1本目は省エネで」と武田。「こっちはベテランの味というか…」とは浦の所感。勝負はこの時点でついていたようだ。正午からの第2戦は、武田・浦組が1500メートル地点で1艇身以上のリード。もう“事件”が起こる差ではない。
■正義
勝者組の記者会見で、浦は感涙にむせんだ。「武田さんの思いに応えられてよかった」と言葉を吐き出し、後は声にならない男泣き。隣の武田は時折、白い歯をこぼしたものの、声には喜怒哀楽が複雑に交差する。「彼らに対しては、まず『悪かったなあ』と思う」。昨年11月の代表選考レースは、今でも自分の勝ちだと武田も浦も思う。スポーツ仲裁に活路を求めたのは、武田の中に「自分は間違っていない、という正義がある」から。その意味では、一度選から漏れた武田・浦組も犠牲者なら、短期間で天から地に落ちた須田・西村組も犠牲者。4人の選手がいたずらに傷ついた。そのことが、武田には何ともやりきれない。
五輪への執着が38歳を動かしたわけではなく、武田は「五輪には最も強い選手が行くべき」という正論を説いたに過ぎない。だから、再レースに敗れたとしても納得した、と武田はいう。
愛媛県伊予市にある実家は、ミカン農園を営んでいる。「山育ち。だから海に出たかった」。それがボート競技を始めた理由。波立つ海面に船を浮かべると、オールは何度も波頭をはたき、思うように水をつかんではくれない。それでも大自然を相手にささやかな抵抗を試みる時間は何物にも代え難い。「五輪とか関係なく、僕は純粋にボートというかスポーツを楽しんでいる」。スポーツ仲裁という手のかかるプロセスを選んだのも、元をたどれば「最強」が誰なのか白黒をつけたいという、スポーツマンとしての自然な欲求ではなかったか。
前代未聞の再レースは、勝者にも敗者にも消えない痛みを残した。勝ち残った武田は、それでも前に進むしかない。「これは通過点でしかない。ロンドン五輪に出て勝つことが僕たちのゴール」。武田が船を進めるべき“海”は、アジアのさらに向こうにある。
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ボート男子で5大会連続の五輪を狙う武田大作(38)=ダイキ=の一念は、本来ならありえない“逆転”を生んだ。ロンドン五輪アジア予選(4月26~29日、韓国・忠州)の男子軽量級ダブルスカル代表を決める再レース。凱歌を挙げたのは、一度選から漏れた武田と浦和重(36)=NTT東日本東京=のペアだ。昨年11月に日本ボート協会が発表した他ペアの代表内定に異を唱え、スポーツ仲裁に打って出た武田の果断は「選考をやり直せ」という異例の裁定につながる。再レースでは、過去2度の五輪でペアを組んだ武田・浦組の面目躍如となるわけだが、その舞台裏にあったのは、曲折に次ぐ曲折の日々だった。(森田景史)
■説得
「僕は出ませんよ」
電話口の向こうで、浦は首を横に振り続けた。半ば予測できた答えだから、武田も引き下がらない。「そんなこと言うなよ。もう1回やらんか?」。日本スポーツ仲裁機構(JSAA)が“やり直し裁定”を下した2月27日から、ボート協会が再レースの実施を発表する3月6日までの1週間。愛媛にいる武田と東京にいる浦の間で、こんなやりとりがもう何十回と続いている。武田は骨惜しみすることなく相棒の説得を続けた。
浦といえば、昨秋の代表選考レースで好成績を残した自負があるから、落選には今も合点がいかない。かといって簡単に腰を上げる気も起こらない。「内定は覆らないだろうと、無理に代表から身を引いたわけだから」。その後の3カ月間は所属チームでの練習に明け暮れ、やっと心の平静を取り戻したばかり。JSAAが協会の非を認めたときも「真実を勝ち取れればいい。代表の交代までは考えていなくて…」。一度冷めかけた五輪への熱をたぎらせるには、気力も体力も続かない。そんな不安が浦の決心を鈍らせた。
武田も再レースの理不尽は分かっている。どう考えても代表内定の後、合宿で鍛錬を続けてきた須田貴浩(アイリスオーヤマ)西村光生(NTT東日本東京)組に分がある、と。それでも、ここで折れるわけにはいかない。「もう1回やろう」。哀訴に近い。
武田は浦と組んで過去2度の五輪に出た。2004年アテネ大会は決勝に進み、6位入賞を果たした。4年前にはコンビネーションの精度を上げて北京入り。「これは面白いことになるぞ、と自信があった」。しかし、現地のほこりっぽい大気にやられた浦がぜん息に。消化不良の13位でかの地を後にしている。「北京で失敗したし。オレ、悔しいからさ…」。最終的に浦の心を動かしたのは、このひと言だったか。武田の執着心、それとも粘着力か。ともあれ重い腰を上げた。「まず(船に)乗ってみよう。そのうちスイッチが入るかもしれない」と浦。もちろん、武田を“不戦敗”に終わらせたくないという男気もある。
■再起
ペアが始動した時期は、4月6日の再レース実施まで残り4週間を切っていたという。気心知れた仲とはいえ、3カ月以上もの“空白”は痛く、すわ決戦とはならない。ペアは当座の課題として「世界で戦える精神力を取り戻す」ことに腐心した。浦は言うまでもなく、武田も代表の選から漏れた昨秋以降は精神的にすり減っている。郷里・愛媛に戻ってオールを握っても、追い込んだ練習にはならない。スポーツ仲裁という手段に出るまでに、逡巡もしたし、関係者と議論もした。やり直し裁定が出た時から再レースは覚悟していたが、重い扉をこじ開けた先にある道がこれほど急な上り坂とは…。
2週間ほどこぎ続け、武田も浦も腹は固まった。ペアは次に「世界で戦える技術と体力を取り戻す」ことに軸足を移す。肉体の強度を上げるため、練習の中身は一気に濃度を増した。オールを握る手には自然と力が入り、ひとかきに込める念力も最初の2週間とは天地の開きがある。数日たって、浦の体が悲鳴を上げた。痛めたのは左脇腹だった。「右のあばら骨を過去に2度、疲労骨折したことがある。その時と同じ痛み」(浦)。追い込みたい時期に、限界の一歩手前で歯止めを掛けなければならないもどかしさ。仮に再レースを制しても、その3週間後にアジア予選がある。自分たちだけでなく須田・西村組も同じ条件下にあるわけで、武田はつくづく協会の非を鳴らしたかったが、もう後戻りはできない。
■幸運
武田・浦組には、もう一つ頭痛の種があった。再レースで乗る自艇の問題だ。できれば、アジア予選の本番で使うものと同じ型の船を確保したい。それぞれの船体には固有のクセがあり、乗る船が違えば、それに適したストロークも変わるからだ。須田・西村組は昨秋から同型の船を確保して練習に打ち込んでいる。大一番では、乗り手と船の相性が命綱。「違う型の船で再レースに勝ったとする。アジア予選では『船と自分たちのフィーリングが合わなくて負けました』では意味がない」(武田)。アジア予選で使う船を協会からしばし拝借できればいいが、協会はすでに船を韓国に送ってしまった。どうする…。
方々のつてを頼るうち、思わぬところから福音が舞い込んできた。「(同じ型の)船、持ってきてるぞ」。武田に手を差し伸べたのはトヨタ紡織ボート部を率いる小畑篤史監督だった。武田と同級生の38歳。シドニー五輪では軽量級舵なしフォアの一員として日の丸を背負っている。
トヨタ紡織の練習拠点は愛知県東郷町だが、聞けば再レースの会場となる埼玉・戸田漕艇場に、武田の探す同型ボートを浮かべているという。3月下旬に戸田で開かれたレースにチームが参戦。本来なら愛知にあるはずの船が、運よく武田のすぐそばにあった。「悪いけど、貸してくれない?」。頭を下げる同級生に、小畑氏は二つ返事で快諾した。逆風の中をこぎ続けてきた武田にとって「地獄で仏」の助け船。この劇的な一事を境に、風は武田・浦組の背中を押し始める。
■号砲
4月6日午前9時。再レースの号砲が鳴った。2000メートルの3本勝負で、2本先取したペアがアジア予選の代表になる。第1戦、スタート直後に飛び出したのは須田・西村組だ。スタートダッシュで重ねたストローク数は武田・浦組の方が多くても、オールは上滑りに近い動きを何度か重ねた。関係者の表現を借りれば「水をはたく」というロスだ。ベテランペアの再結成とはいえ、再レースに関しては1カ月弱の急ごしらえ。250メートル過ぎで4分の1艇身ほどのリードを許してしまう。
しかし、この後の立て直しが秀逸だった。ストローク数を落とす代わりに、オールの先端がひとかきごとにしっかり水を捕まえ始める。ストロークは正確で効率的でパワフルで。こぐたびに船体は前にグイと押し出され、500メートル地点ではほぼ横並びに。750メートルでわずかに先んじ、1000メートルでは1艇身分前に出た。「相手の船を見ながらこぐのがレースの鉄則」と武田。予期した通り、相手ペアは残り250メートルで猛追を仕掛けてきた。一方のベテランペアには適度にストロークを手抜きながらもリードを保つゆとりがある。ゴール地点。見た目は僅差の逃げ切りでも、心身の疲労度には天地の開きがあった。「相手は緊張で硬くなっているのが分かった。僕らは2本目が勝負と踏んでいたから、1本目は省エネで」と武田。「こっちはベテランの味というか…」とは浦の所感。勝負はこの時点でついていたようだ。正午からの第2戦は、武田・浦組が1500メートル地点で1艇身以上のリード。もう“事件”が起こる差ではない。
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勝者組の記者会見で、浦は感涙にむせんだ。「武田さんの思いに応えられてよかった」と言葉を吐き出し、後は声にならない男泣き。隣の武田は時折、白い歯をこぼしたものの、声には喜怒哀楽が複雑に交差する。「彼らに対しては、まず『悪かったなあ』と思う」。昨年11月の代表選考レースは、今でも自分の勝ちだと武田も浦も思う。スポーツ仲裁に活路を求めたのは、武田の中に「自分は間違っていない、という正義がある」から。その意味では、一度選から漏れた武田・浦組も犠牲者なら、短期間で天から地に落ちた須田・西村組も犠牲者。4人の選手がいたずらに傷ついた。そのことが、武田には何ともやりきれない。
五輪への執着が38歳を動かしたわけではなく、武田は「五輪には最も強い選手が行くべき」という正論を説いたに過ぎない。だから、再レースに敗れたとしても納得した、と武田はいう。
愛媛県伊予市にある実家は、ミカン農園を営んでいる。「山育ち。だから海に出たかった」。それがボート競技を始めた理由。波立つ海面に船を浮かべると、オールは何度も波頭をはたき、思うように水をつかんではくれない。それでも大自然を相手にささやかな抵抗を試みる時間は何物にも代え難い。「五輪とか関係なく、僕は純粋にボートというかスポーツを楽しんでいる」。スポーツ仲裁という手のかかるプロセスを選んだのも、元をたどれば「最強」が誰なのか白黒をつけたいという、スポーツマンとしての自然な欲求ではなかったか。
前代未聞の再レースは、勝者にも敗者にも消えない痛みを残した。勝ち残った武田は、それでも前に進むしかない。「これは通過点でしかない。ロンドン五輪に出て勝つことが僕たちのゴール」。武田が船を進めるべき“海”は、アジアのさらに向こうにある。
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