ホラーマングローブログローブ

ぺろぺろにゃんにゃん
あぅあぅあぅあー
徒然なるままにゆらゆらり

この世界と僕。

2007年05月05日 19時07分31秒 | Weblog
拓ちゃんの日記のように僕は世界観やら時間の話は大好きで仕方ありません。とゆうより昔からそうゆう考えにふけることが多いからか。笑〃
僕が頭の中でいつも考えてるようなことばっかなんだけど、書いたら長くなっちゃったんでめんどくさかったら見ないでください。笑〃



「この世界」と判断する精神が自己(そもそもこれが世界を切り離すんだろうけど)を中心にし、肉体を宇宙に含まれる地球の中の精神の媒体だとして、宇宙人に会ったとしてもそれは視界に入った時点で見た人の世界に含まれる。つまり未知は「知らない」だけであり存在はしているかもしれないのだから頭の片隅では「新世界」ではなく「この世界」になるのです。「新世界」や「異世界」はまだ知らない世界で、あるかもしれないしないかもしれない。つまり「見る」ことで自己が手に入れた情報でそれをもとに証明をし、「ある」とし自己の世界に含むわけです。それを現代人は「知る」ことにして短縮してるな。そこに情報の怖さもあんだろうな。
「目に見えないものは信じない」と言う人は見たら信じるのでしょう。それをその人の知らない知識、すなわち「その人の世界」で証明されてないものを使われたら騙されてしまうかもしれないね。そうゆうこと


「僕がいる」ことが「僕の世界」の証明で「あなたがいる」ことが「あなたの世界」の証明です。知らないことを知り、僕は僕の世界を作り出してゆく。あなたが誰で今このブログをどこで携帯見ているかパソコンで見ているかも僕はわからない。そしてそれが「あなたの世界」なんでしょう。
でかい紙(たぶん脳の比喩)の真ん中に僕と書き、丸でかこみ、そこから木のように枝が広がり、知ったことを僕の世界に細かく細かく付け足してゆく。大切なものや信じることを自己の回りに。自己より大きく書く人いるでしょう。。。
だけど人には忘れるとゆう機能があるし、世界は崩れ落ちてゆく。因果律の崩壊。ベルの定理だっけな?3月29日のブログでも書いたけど言葉は世界の真実じゃない。
もちろん未知を知る世界はみんなの共有している「この世界」です。

たくさんの人が夢をみます。僕も夢をみます。正夢をみたことはありますか?1度や2度じゃないとおもいます。きたことないのにあれ?ここきたことある…?とか、不思議ななつかしさ。不思議じゃないですか?僕はそれを証明することはできないけど、刻みこまれた遺伝子の共鳴かもしれないけど、この世界がいくつにもダブっている可能性もあるのでは?ともおもいます。精神はスリップし、世界を越える。はたまた正夢は走馬灯、未来に死ぬ友人や親族の過去の整理なんかに付き合わされたのかもしれない。
夢が現実でこっちは現実じゃないかもしれない。それを断定したら、そもそも「現実」とはなんなのか?と至るから断定しない。
ドッペルゲンガーなんかも「この世界」を作った創造主(なんのために作ったのかわけわからんが)の不手際のだぶりかもしれないし、何かの嫌な予感や不吉な予兆も遠い未来や過去の大切な人の思いが時空を越えたのかもしれない。あなたはこれを否定できないし、僕もおしつけはしない。そもそもこの文が違う解釈をされるかもしれないし、その人の生き方や考え方でいろいろ違う。人間だからいいんだけれども。肉体は時空を越えることはできないかもしれない。あえてかもしれないです。
けど逆にもちろん精神や魂は医学じゃ説明できないかもしれない。人は精神動物です。物理的に証明できない奇跡があるように、魂とはそのくらい不思議なものです。そして肉体とは「この世界」での何かをするための魂の器かもしれない。それは死で終わりにするには悲しすぎるからそうしないための辻褄あわせかもしれないけど、僕らが知ることができない「未知の世界」で、それは例えばマトリックス、仮想現実、夢、黄泉、別次元、地獄、天国、今話題のビジョンやデジタルワールド笑〃etc肉体がそのまま移動したり、魂だけはうつり器は別にあったりするかもしれないッ。
僕はこんな考えから輪廻思想を信じるし、魂(これを証明はできないけど)の謎を追求しますッ笑〃



僕らある程度勉強している現代人は今の科学ではっきり証明されている、と言ってもあくまで一般的とされ、それが当然だと教えられてきた僕ら
はそんな一般的な「この世界」を知っているから当たり前におもうけど、世界の民族の中には近代都市を別世界と呼ぶかもしれない。海を越える道具の1つの船は、僕らにとってどらえもんのどこでもドアかもしれない。世界はずっと広がり続けている。

基準や時間に人間はとらわれすぎなんじゃないか?とおもう。この話はまたあとで。

地球は丸いと知った時。じゃあなぜ反対側にいる人は落ちないのか?とおもったでしょう?それは引力とゆうものがあり重力が存在するから。と言われて納得言ったか?まさにそれは僕の視点を月に置き、地球をみてそんなこと言われても納得いかない。つまり「~だから~なんだ」って言われたって、赤ちゃん視点(無)で「この世界」を見てる人に言ったところで説明にならないとおもうのです。「この広い宇宙は無限だから時間はないんだ!」と言っても「正夢があるから精神はスリップするんだ!」と言っても信じれないでしょう。寿命と言ってもそれぞれで魂は1つ肉体は1つであることに変わりはないのだから。
何事にも現象があり、結果があり、原因がある。すべての現象には理由がある。アボリジニの思想ですね。ただそれ理由があるとゆうことで、さっき書いたそれを「重力」と名付けたとこでそれは世界の真実にはならないわけです。そう、言葉に意味をつけ概念づけたとこで世界の真実にはならないんですよッ。わかるかな?笑〃だから常識や時間には縛られてばかりではいたくないな。常識は「そうあれば無難なこと」時間は「そうであるために仕方ない縄」
ある程度選択できないのも仕方ないけど、一度日本で時間についての本音の世論調査をしてみたいもんだな。

誰もが信じるものにすがるし、科学者は特にそれにすがる。
この宇宙の中の小さな地球の小さな場所で小さな考えを振りかざしている。いろんな考えがあるのだからそれは絶対なんかじゃない。なのにふりかざしてる。臆病な子供のように、つまらないことで。全世界の証明を人間はできないんだから、絶対なんかない。地球の真ん中にまだ知らない元素があるかもしれない→「いやそんなものは断じてない!」「じゃあそれを言葉ではなく全人類がわかるように証明できるのか?」答えはノー。「あなたの世界」にはなくて、「他の人の世界」ではあるかもしれないわけです。幽霊も同じ。民族の世界観も否定することはできない。
「これはうまい!」うまいとはどうゆうことか?→100パーセントは説明できません→どのような味がしたのか?→100パーセント説明できません→つまりどれもこれもそうゆうこと。言葉はそんなものなんです。ただ僕たちのいる「この世界」、その中で理論や言葉じゃない、絶対じゃなくても、あればいいのにとおもう考えを僕は伝えたい。他の命の上にいること、だから精一杯感謝しつつ精一杯生きなきゃいけない。どんだけ辛いと言っても寝ないで研究したエジソン、生きるとゆうことは苦痛だけれど人はそんな強さを元来もってる。そして辛い思いして手に入れたものの価値も知っている。生きる中に特に僕ら現代人は、当たり前におもわず幸せを見い出し、精一杯生きなきゃいけない。あとでまた書くけど。
話が飛んだけどそもそも「ある」「ない」なんて概念が二元論的で成立しないのです。難しいかな?オレもここまでくるの時間かかったしな笑〃後付けになるんだけど、僕の環境はちょっと特殊で、だから僕はこんなふうになって、今やっと言葉(伝えたいことを100パーセント伝えることはできないけど、日本語)にできるようになってきた。言語はニュアンスも形態も変わるしね。ただ言語の中でも日本語はニュアンスにしても綺麗で多彩な表現ができるし、他の言語のいいとこどりをするから(文化にしてもそうだけど)をいい言語だとおもう。
僕は昔から頭の中の考えをすぐに言葉にできないから(100パーセントの適切な表現がうかばないから)判断が弱いし、言葉がすぐに選べないのかもしれないなぁ。断定や頭ごなしの否定も大嫌い(されてきて辛かったとゆうのもあるけど)だし、それらすべてがこうゆう僕の世界観から滲み出た精神がそうしてるんだろうな。

随分前からなんだけど時間とゆう概念こそが現代人の足を地面にくっつけています。僕はふわふわ浮いていたい。宇宙において地球の自転や公転、太陽、それにあわせて進化した生物。24時間か。この広い宇宙を創造するとため息をついてしまいます。そしてなんて小さいのかと、時間に解放されたくなります。僕の「この世界」には時間があるんですね。特に日本は季節感があるから時間にシビアになったのかもね。多季節ゆえに豊かな感情なんだろうけど。もちろん命はお金に変えれないし、この社会が成り立つ中では仕方ないこと。ただそれが絶対ではない。それを考えない人たちも「この世界」にはいます。誕生日に祝うことを意味がわからないとする民族も。いるとゆうだけで、僕は客観的にみています。大人が何かだって、年齢でなるわけでもないし命は1つ。価値はみんな同じだしでどれも奇跡。

じゃあ僕らが歩く間に、無意識に殺してしまう生き物は?彼らの世界を奪った僕は?それは仕方ないことであり、じゃあ何ができるのか?
感謝してその分精一杯生きること。牛や豚を食べるのもだから「いただきます」「ごちそうさま」そういった感謝とゆう行為がつけられるのでしょう。断食と呼ばれるイスラームの似てる。過酷な環境で、食べ物のありがたさを忘れないため。
命をもらう分必死に生きるのは当然なんでしょう。自然界も命を無駄にしない。よくできている。

そんな他の命を意識し感謝するとゆう気持ちなんかが現代人はたりないんじゃないかなとおもった。



世界の奇妙なまでの完成度。



それはどうしても「この世界」の創造主とゆうものがいるのを認識せざるをえない。






こんな風に頭の中で世界については何度も何度も考えています。随分話はそれたし、こんなんじゃ全然伝えきれてないし、全然僕は勉強不足だけど、理解してくれたら嬉しいなッ。
そして例えばこんな風なことが書いてある教科書がでてきともいやな人もいるとおもう。かと言って小さい時から、言われてもわからないとおもう。
だから音楽とゆう形で、第3者が選べるとゆう形で、強制じゃないとゆう形(ある友達が言ってくれた)で。
少しずつ、僕なりの解釈と言葉が届いて、みんなが豊かな心になって幸せになったら嬉しいなとおもう。いつになるかわからないし、果てしないし、自分がどんだけすごいこと言ってるかくらいわかってるけど、だから頑張りたいです。



大学行ってたら心理学と哲学と文学をやって教員免許とりたかったな。笑〃



けどこんな難しい話も母さんにケーキをあげて「きゃー♪ありがとーッ♪」なんてあんなに喜んで言われるとなんだかどうでもよくなりそうになります。器がでかいやら何も考えてないのやら。笑〃



身近に父さんと母さんがいて、いいとこと悪いとこをみて、僕は僕になって衣川琢磨になれそうです。少しずつ笑って、少しずつ返して、少しずつ気付いて。
不器用な父さんも人間で、言葉選びが下手なんだろな。いやな部分はもらわないようにして(普通に傷つくし、むかつくし、一時は死にたくなった笑〃)ふたりの感謝の気持ちみたいなそれとかいいとこは真似して、柔軟になりたい。



そして「この世界」にいれること、感謝していきたい。



こうやってきっと僕は僕の考えや思想を育み、知らずに大人に近づいてくんだなって実感したこどもの日。



でわッ

例年通り

2007年05月05日 07時43分31秒 | Weblog
季節や気候の変わり目にはめっぽう弱いです。風邪みたいです。体がだるくて仕方ないです。ほこりだめです。不衛生だめです。悪い空気だめです。猫と長時間いるとだめです。



ぐはッ。なんかナウシカにでてくる不完全の巨神兵みたい。。。



絶対オレは早死にだよ…泣
だから体は大事にしましょッ。


丈夫な人とゆうのは羨ましいですッ!



でわッ