(フィンランド・エストニアの旅、ここまでのあらすじはこちら)
シーライフ・ヘルシンキを後にして、路面電車でヘルシンキ市内西部を回ってみました。
こちらはオリンピックスタジアム。1952年のヘルシンキ・オリンピックの際に使われた競技場です。ただ残念ながら中には入れなかったので、外から見学です。
スタジアムに併設された展望塔の上はこうなっています。
1952年といえば、フィンランドがソ連との戦いに敗れてからわずか8年。同じく敗戦国の日本が東京オリンピックを開いたのがさらに12年後の1964年、ドイツが1968年(ミュンヘン)と考えるとすごいなぁと。
ここから西に少し歩いて、シベリウス公園に向かいます。途中路面電車の車庫があるのを見つけました。
俄然興味がわいてきたのですが、あいにく車庫付近は工事中で使われてないもようです。
ご覧の通り車庫は出入り不可能。残念ですが、冬寒く雪も多いであろうヘルシンキでは、工事をするとなると夏場になるんでしょうね。
引き込み線で唯一見かけた車両。夕方のラッシュを控えて、出番待ちなんでしょうか。
車庫からさらに歩いて、海沿いのシベリウス公園に着きました。
シベリウス公園は1967年9月に開設された公園です。園内中央には、エイラ・ヒルトゥネンの手によるモニュメントが設置されていて、公園全体のシンボルとなっています。
モニュメントからみて左手にある、同じくヒルトゥネンの手によるシベリウスのマスク。
正直言います。怖いです[;;0J0]
モニュメントのプレート。"PASSIO MUSICAE"(たぶん「音楽への情熱」)という表題と、「シベリウスを記念するモニュメント」という説明が示されています。
海岸沿いにあるシベリウス公園。賑やかな東部とは違い、一国の首都とは思えないのどかな風景です。
ずいぶん歩き回った後なので、海からの風は本当に心地よいものです。
とはいえ、ヘルシンキでも夏場に外を出歩くとさすがに暑い。ちょうどアイスクリーム屋さんがあったので、1つ頂くことにしますか。
アイスクリームもアイスクリームで、かなりのボリューム(笑)
ともあれ、しっかりした味でおいしく頂きました。
帰りはバスでホテル近くまで。すると途中で、こんな小さな赤い電車を見つけました。
こちらは通常の営業運転に使われている電車ではなく、「バートラム」といって中がバーになっているのだそうです。日本でも「ビール電車」なんてありますが、そのヘルシンキ版みたいなものでしょうね。
日はまだ高いのですが、そろそろヘルシンキも夜の時間になろうとしています。ホテルに戻って、翌日のエストニア・タリン観光に備えることにしました。
シーライフ・ヘルシンキを後にして、路面電車でヘルシンキ市内西部を回ってみました。
こちらはオリンピックスタジアム。1952年のヘルシンキ・オリンピックの際に使われた競技場です。ただ残念ながら中には入れなかったので、外から見学です。
スタジアムに併設された展望塔の上はこうなっています。
1952年といえば、フィンランドがソ連との戦いに敗れてからわずか8年。同じく敗戦国の日本が東京オリンピックを開いたのがさらに12年後の1964年、ドイツが1968年(ミュンヘン)と考えるとすごいなぁと。
ここから西に少し歩いて、シベリウス公園に向かいます。途中路面電車の車庫があるのを見つけました。
俄然興味がわいてきたのですが、あいにく車庫付近は工事中で使われてないもようです。
ご覧の通り車庫は出入り不可能。残念ですが、冬寒く雪も多いであろうヘルシンキでは、工事をするとなると夏場になるんでしょうね。
引き込み線で唯一見かけた車両。夕方のラッシュを控えて、出番待ちなんでしょうか。
車庫からさらに歩いて、海沿いのシベリウス公園に着きました。
シベリウス公園は1967年9月に開設された公園です。園内中央には、エイラ・ヒルトゥネンの手によるモニュメントが設置されていて、公園全体のシンボルとなっています。
モニュメントからみて左手にある、同じくヒルトゥネンの手によるシベリウスのマスク。
正直言います。怖いです[;;0J0]
モニュメントのプレート。"PASSIO MUSICAE"(たぶん「音楽への情熱」)という表題と、「シベリウスを記念するモニュメント」という説明が示されています。
海岸沿いにあるシベリウス公園。賑やかな東部とは違い、一国の首都とは思えないのどかな風景です。
ずいぶん歩き回った後なので、海からの風は本当に心地よいものです。
とはいえ、ヘルシンキでも夏場に外を出歩くとさすがに暑い。ちょうどアイスクリーム屋さんがあったので、1つ頂くことにしますか。
アイスクリームもアイスクリームで、かなりのボリューム(笑)
ともあれ、しっかりした味でおいしく頂きました。
帰りはバスでホテル近くまで。すると途中で、こんな小さな赤い電車を見つけました。
こちらは通常の営業運転に使われている電車ではなく、「バートラム」といって中がバーになっているのだそうです。日本でも「ビール電車」なんてありますが、そのヘルシンキ版みたいなものでしょうね。
日はまだ高いのですが、そろそろヘルシンキも夜の時間になろうとしています。ホテルに戻って、翌日のエストニア・タリン観光に備えることにしました。
吹奏楽でも演奏しましたが合唱でも歌ったことがあります。
この曲もその昔は帝政ロシアから独立運動を鼓舞するからという理由で
演奏停止になった歴史がありますからね。
フィンランド国民のシベリウスの存在たるもの
偉大なんでしょうね。
フィンランド国民にとってのシベリウスという存在の大きさは、
現地に行ってみてあらためて実感しました。
この翌々日に彼の山荘を訪れたので、その時のこともいずれ書きますね。