よいとまけの唄

2013-01-01 16:21:24 | 日々思うこと
私がはじめてよいとまけを聞いたのは
多分白黒のブラウン管からのそれだった
まだ 丸山と名乗っていた頃で
美少年の名残のある美青年だった 
自分が天草次郎の生まれ変わりであるなどと豪語し
テレビに独特の異才を放っていた頃だったと思う
今のように黒づくめでなく 
まさによいとまけのスタイルで熱唱していた
子供の気持ちを歌う場面ではねじりはちまきをとり
今でもそうであるように 6分の間に 
その歌詞の情感をこめて熱演していた

そのころの私には よいとまけがなんだかわからなかったし
その熱唱ぶりに違和感を感じたものだった

時を経て 三島が自死した時に
三島を通して 改めて美輪明宏を知った
アンダーグラウンドな世界観でのひろがりは
常識では理解しがたいものではあるが
美学として彼らが共有しているものに心惹かれたし
何より その表現体としての三島の美文を絶賛していたことが
私にとっての美輪明宏の存在を大きなものとしたのだと思う

また 子供を育てたり 恥ずかしながら小さな苦労をしてきたことで
よいとまけをきくたびに その奥の深さと
美輪明宏の歌唱力 いや表現力に感動するようになっていった

今回は実は紅白にでるなんてしらないで
漠然と見ていたので 出てきたときにはびっくりした
それも プリーツ尽くし(笑)
でも何よりびっくりしたのは 黄色い髪ではなく
昔の髪型で昔のメークだったことだ
彼のこの唄への思い入れがわかろうと言うものだ
 
実際 今朝の後日談をネットでひろってみると
「震災後 多くの方によいとまけを聞きたいと言われてきた
やっとその約束が果たせました」
との美輪明宏の言葉をさがすことができた

年末の美輪明宏と自民の大臣某との対談で
「原発事故の種をまいた自民がまず謝らないのがおかしい」
と言ったとネット情報を得ていたので
上辺だけの復興支援推進に荷担している放送局にでていることに
少し疑問を感じながら昨夜のよいとまけを聞いていたのだった

でもその疑問は 上記の後日談で払拭できた
美輪明宏が見通していたものは 電波の向こうにいる
本当に彼の唄を聴きたいと願っていた人たちだったのだ

大きな目的のためには 異なるものも利用もする
細かいごちゃごちゃは抜きにして 自分の目的を全うする
そんなように私は勝手に想像して
今回のよいとまけに付加価値をつけて
ますます美輪明宏がかっこいいすてきな人に思えたのだった




おまけ(笑)

やっぱり 館ひろしはかっこよすぎ
今の日本人で彼ほどスーツをカッコ良く着こなせる人いないんじゃね?
それでもって クールズの時みたいにちょっと悪っぽくて
声もいいしなー

いやはや 何年ぶりかにみた紅白歌合戦
良いものをたくさん見せてもらい
それなりに楽しませていただきました



おまけのまけ(笑)

そうそう!斉藤和義も背が高くて
本人の言うとおり場違いで(笑) かっこよかったわあ

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