浦じまい

2008-02-26 17:55:18 | 日々思うこと
昨日 ここ一週間テレビをにぎわせていた港で
浦じまいが行われたという報道を聞いた
海で帰れなくなった人々に 祈りをささげる風習であると
そのテレビ報道では言っていた
海に暮らすものたちが 一週間の間 海から戻らぬ仲間が
すでにはじめの数時間で亡くなったことを わからぬわけがない
ただ 海から彼らを連れ戻し その死を確認すること
そのことが この一週間に必要な作業だった
海がそれさえもできないとわかった時に 
それさえもさせてくれない自然に対して
素直に従い仲間の命を海にとどめる 浦じまいという行為は
本当にせつなく 悲しい風習だと思った
でも いつまでもその悲しみにとどまることなく
さまざまな思いを祈りという形に変えて
また前に進んでいこうとする人たちの生活の力強さや
生きていく底力を 私は感じないわけにはいかなかった



今年の初めにBSで「殯(もがり)の森」を見た
河瀬直美の「萌えの朱雀」を見てみたいと思いつつ見損ねていた
「殯の森」同監督の映画ということだったので
ついつい 眠たさと戦いながら見たのだった

殯(もがり)とは聴きなれない言葉だが
「喪上がり」という言葉が語源の言葉らしい
若い頃に先立った妻の遺品を何十年も抱いて暮らして来た老人が 
認知症になり その病の中でまた妻の喪に服するという話した
喪に服するといっても 妻と歩いた野や森を歩き
亡き妻を深くしのぶというものだった
認知症の進んだ頭の中で 老人は妻と出会い
何十年も抱えてきた喪失感を癒していく・・・・・

言葉にしてしまえばそんな内容の映画だったが
会話は多くなく 奈良の山の深い森の木の動きが
圧倒的な緑の空気となって 主人公を包み込んでいく
非常に観念的な あるいはメルヘン的な映画であった

私は 映像も主役の俳優も どれにも違和感はなく
すんなりと 心に入れることができたが
何よりも「殯の森」という題 あるいは
その言葉の後ろにある人間の心のありように
深く感じ入るものがあった

このように近親者の死を悼み そこから立ち上がっていく行為を
心理学的?にはモーニングワークとかいうと
いつかどこかで読んだ気がする

浦じまい・・・殯・・・・ 日本語ってなんてきれいなんだろうと思う
日本人の感性って 繊細で素敵だなって思う

今日 母の家にお掃除屋さんが入って きれいになった
すっかり母のにおいのない家になった

もうすぐ 母の一周忌だ

この一年 喪に服すなんて行動は 全くなかったけれど
心の中では いつも何かが沈んでいた

私も 母の喪あがり 浦じまいをはじめているのかもしれない・・ 
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