でこのブログ☆私好みの宿日記

母のこと

5月7日 母が亡くなりました。

91歳でした。

朝、施設の介護職員の方が朝食のため

母を、お部屋に呼びに行ったところ

ベットの上で横になっていて

呼吸をしていなかったそうです。

その1時間前の着替えの時は

普段通りだったそうなので

その空白の1時間の間に

1人で逝ってしまいました。

 

施設から連絡を受けた時

私はちょうど母の面会に行くために

車を走らせていた時だったので

あまりにもの突然の知らせに

言葉を失いました。

もう数時間待っていてくれたなら

最後に会えたのに・・・

 

転んで骨折して

車椅子になってから

特養に移り

以前ほど自由に身体が動かなくなりましたが

それでも大好きなデパートや

大好物だったうなぎやお肉を食べに

いろいろ連れ出しました。

しかしコロナになり、それも叶わず2年目。

 

最初に入った特養が

あまり母には合わなかったので

この2月に

友人の勤めている特養に移り

ちょうど3か月。

コロナでなかなか面会が出来ませんでしたが

その友人から母の様子が聞けて

母の動画や写真を

ラインで送ってくれるので

ずいぶん助かっていました。

 

母に携帯を持たせていたので

母が携帯を開くと

私にメールが届く設定になっていて(安否確認メール)

2月は何度も電話も掛かってきていたし

安否確認メールもほぼ毎日届いていましたが

3月に入り、半分ぐらいに減り

4月はたった1度だけ。

面会に行っても、母の話す言葉が聞き取りにくく

何度も「え??」と聞き返す事が多くなり

差し入れも、ゼリーなどの柔かいものが中心に。

そんな母を見て、弱ってきている事は

実感していましたが

それでも痴呆の症状も全くなかったし

ある程度の会話は出来たので

こんなに急に逝ってしまうとは思ってもいませんでした。

 

母と最後に会ったのは4月30日。

その時は、私がいくら話し掛けても

車椅子に乗って目を閉じたまま

なにを話し掛けても無反応で

こんな事は初めてだったので

心配でたまらず

後ろ髪を引かれる思いで

帰ってきましたが

そのすぐ後に

施設でお抹茶をいただけるイベントがあったようで

抹茶を飲んでいる母の写真を

友人が送ってくれたので

安堵したのですが

今から思うと

あれはなんだったのか

私に、母とのお別れが近い事を

神様が知らせてくれたのか・・・

だとしたら

どうしてその後

間を空けずに

毎日会いに行ってあげなかったのか

後悔でいっぱいです。

母といろんな所へ行きました。

「海のしょうげつ」「ばさら邸」「ジアース」「琵琶湖ホテル」

「志摩ベイスイート」「翠嵐」「鳥羽別邸」「迎帆楼」

3年前に「エクシブ山中湖」が母と行った

最後の旅行になりました。

コロナじゃなかったら

もっとあちこち連れていけたのに・・・とすごく思います。

まだ母が亡くなった実感が湧かず

吹っ切れたかと思うと

ざわざわしたり

涙が突然あふれたり

ボーっと考えたり

変な精神状態です。

 

施設から引き揚げてきた母の荷物に

なかなか手を付けられず

まだ段ボールに入ったまま放置しています。

施設から母の写真をUSBに入れて渡して下さいましたが

それもまだ見られずにいます。

 

父と母には、子供は私1人しかいませんでしたが

私には3人の子どもがいて

それぞれ結婚し、孫が3人3人1人。

総勢15人に見送られて

賑やかな家族葬でした。

 

お母ちゃん、安らかに。

くるみ作の、お線香のオブジェ?

母も天国で笑っていることでしょう。

コメント一覧

でこ
なおよ、ありがとう。
どこからかお母ちゃんの死を聞きつけた昔の同級生たちから
お悔やみのメールをたくさんもらいました。
みんななおよと同じ言葉
「でこのお母ちゃんには本当に良くしてもらった」
みんながみんなこの言葉を言ってくれるから
笑っちゃったけど、嬉しかった。
お母ちゃんもきっと喜んでると思う。

またゆっくり会って、話そうね。
年末にはコロナ落ち着きますように。
でこ
Jさんへ
はじめまして。
ずっと私のブログを見て下さっている方が
こうして私の何かの記事をきっかけに
コメントを下さるのってとても嬉しいです。
ありがとうございます。

Jさんのコメントの「ジアースのテラスに立っていた母」の
部分を読んで、また思い出して号泣してしまいました。
そうなんです。
私もあの時の記憶はとても鮮明に残っています。
あの急な階段をあの時の母は自分で上がれたんだなぁ~って。

Jさんもお母様とたくさん宿めぐりを
されていらっしゃったんですね。
宿に着いて、いろいろなおもてなしに
喜ぶ母の顏を見るのが好きでした。
Jさんも、同じお気持ちだったでしょうか。

コロナが終息する頃には
母への想いも少しは落ち着くでしょうか。
私もJさんも、コロナ=母を亡くした年
これは一生忘れる事は出来ないでしょうね。苦笑

またお互い母を懐かしんで
旅行に行ける日が早く訪れます様に。

Jさんもお元気でいて下さいね。
私ももう少し経てば元気になりますから。
Naoyo
本当に突然のことで、改めてお悔やみ申し上げます

いつも言うけど、みんなの優しい「おかあちゃん」だったよね
一人っ子のデコの友達を大切にして下さった
だからリカちゃん抱えて、よく遊びに寄らせてもらったね

私も一人息子が小学生の頃、お友達にはたくさん遊びに来てもらった
「よそに伺うのはいいけど、来てもらっちゃダメ」って親も多い
友達が寄り付くと、やれケンカ、やれ取った取られた、やれ誰かがいじめた、、、
トラブルも多くて得の行くことはあまりない
でも、それでも、歓迎してくれたデコのお母さんの笑顔が
いつも私の心にあったから、子供たちを受け入れてきたよ

息子が思春期になって、把握外の「この子はちょっと、マズイ、、、」
と思える友達の影がちらつく時があった
それを注意する時、それまで何人もの友達を受け入れてきたからこそ
息子も苦言を受け入れて、付き合わなくなってホッとしたことも、、、

自分が受けて嬉しかった待遇は、やがては自分の血肉になって
生きてゆくものだね
デコのお母さんは、こうして私などの心、そしてこれから子供を育てるだろう息子の心
みんなの中にも生きてる

デコの中、そして3人の子供たち、たくさんの孫ちゃんたちの中に
ずっとずっと濃く生きてるよね
J
初めてコメントさせて頂きます。

お母様、お亡くなりになられたのですね…
ご愁傷様です。

実は、私の母も3月に亡くなりました。
私も、でこさんと同じように、ばさら邸、ジアース、箱根吟遊、ふふ等、毎月のように母と良く旅行(宿巡り?)に行っていました。
こちらのブログに出会ったのも、ジアースに伺う時に出合い、それ以来、楽しみに拝見しております。
(お母様が、テラスに立たれている写真を見て、私達もジアースに行った事を思いだしました…お食事とても美味しかった記憶があります)
私も、母がいなくなった事が受け止められず、時々、涙が止まらない時があり…でも、ブログ読ませて頂いて、「そぉだよね…悲しくなるよね…」私だけじゃないんだなぁ〜て励まされました。
昨年は、母が具合が悪かったり、コロナで一度も出かけられなかったですが、落ち着いたら、また宿巡りしたいと思っています。
これからも、でこさんのブログ、楽しみにしておりますね。
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