R-R 日記

リオと、沖縄(琉球)ということで、がんばって書いていきます。

15’ 9/21 南大東島 その1

2015-09-21 19:49:56 | 旅行

さて、南大東島です!!
大阪の翌日行きました!
ちゃんと反省を生かして余裕を持って空港に到着ですっ!

南大東島は…

那覇空港から、空路で東に約360km離れた場所にあります!

およそ4800万年前に生まれたこの島は、約110年前までは無人島。

大東島が初めて欧製の地図に現れたのは17世紀前半ですが、位置が不正確で発見者も、定かではなかったそうです。
19世紀前半に大東島は、ボロジノ島として正式に英国海軍の海図や、欧米の地図に登場。
ボロジノとは、島を発見したロシア海軍の佐官であった、ポナフィディンの指揮する艦船・ボロジノ号にちなんで命名された。
とのこと……。

古来、琉球人の間では“うふあがり島”(はるか東の島)と知られており、
1900年、 八丈島から23人の開拓者 が上陸してスタートしたんですね。

そして、戦前は、製糖業を営む企業が島全体を所有し、全面的に自治する「社有島」だったそうです。

その後、大東製糖を興し、 サトウキビ と共に今の島の姿まで発展を遂げてきた、というわけです。


■ 位置DATA
南大東島位置:北緯25度50分、東経131度14分(島の中央地点にある淡水池の岸)

南大東島は、環礁(=大洋中に発達する環状の珊瑚礁の事を環礁と呼ぶ)が
数回の隆起を経てできた、サンゴの島なのです。
すり鉢状の土地で、中心ほど海抜が低く、島外の海底はかなり深いんですって。
ダイバーにとっては上級者向けなんだとか。

■ 島のDATA
周     囲 東西:5.78km 南北:約6.54km 周囲:20.8km 
面     積 30.57平方km
年平均気温 22.9度
人     口 1292人  (平成22年3月1日現在[住民基本台帳より])
世  帯  数 609世帯 (平成22年3月1日現在[住民基本台帳より])

(南大東島HPより) 




基本を押さえたところで……


いってきま~~す


那覇から南大東島空港まで約1時間。
小型機(定員40名程度)が平均1日1往復しています。
天候不良による欠航も多いみたいです!!!
運よく往復の飛行機が飛んでよかったです!!



到着!!



レンタカーを今回借りるところの付近には、

島唯一の




小中学校、がありました。

まずは南大東島が、イマイチ掴めていないので
展望台で、とりあえず、島全体を見渡そう!!

と思ったら

は…畑!

見渡す限りでした。
予想以上にす……すごい……。


さらに、のどかだな…と思っていると、

おそらくトラクターかなんかで、おじいが走ったと思われる跡。

ヘンゼルとグレーテルみたいですね…。



車を走らせ、空港近くの海軍棒プールへ!
かなり波が強かったのですが、周りを岩で囲んでいるので、この中で遊べるようですよ!
本当にプールみたいでしたが、観光客は全く居ませんでした(笑)


今度は文化的に島を分析!と思い資料館へも行きましたよ。

島まるごと館(資料館)入口の石碑。

こんなんだけど、大丈夫なの…?


と入口まで行くと、
「留守にしていますので、こちらまで連絡を」と、電話番号がありました。
本当に大丈夫…?

電話してから、10分ほどで、おじさんが到着。

話を聞くと、一日一人来ればいいとのこと。

この日は、私が初来館者でした。

おじさんもわざわざ鍵を開けに来てくれたので
ついでに説明もしていただきました。

夕方ごろには、ダイトウオオコウモリなんかが出てくるらしいですよ~!
今回は夕方になる前に帰りましたが……(;´`)


さらに話を伺うと、おじさんはもともと、沖縄本島の、名護市(北部)の出身だそうで、

南大東島にきて、40年ほど経つんだそうでした。


何をきっかけに?!?!

と聞くと、

映画『神々の深き欲望』(1968年)の電車に、憧れて!!!とのこと。

前述の通り、メイン産業だったサトウキビ(黒糖)で
島が発達したため、サトウキビを運ぶための鉄軌道が昔はあったようです。


沖縄では、鉄軌道に対する憧れがあるんでしょうかねぇ…

かなり、熱く語っていただいた後は。。。

おじさんに案内してもらい、シュガートレインが通っていた線路跡も見学できました。


ちなみに、この島まるごと館は旧空港があった跡地にあります。

現在使われている空港は新しいんですね~



南大東島編 その2に続きます!!!

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