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Booklog 内田麟太郎の本棚
五年ほど前、ラオスで屏風のように折りたたみになっている、手漉きの紙を四つ(帖?)買ってきました。厚い表紙があるのでお経を書くものかもしれませんが、和紙と違ってでこぼこしています。
それに毛筆で少年詩を書いていました。といっても下手くそな字ですけど、まあ、それはそれで、むにゃむにゃ。なんとか仕上げました。
それから、次のような少年詩を二つ。
森のタヌキがお母さんのカワウソと来るというので、早帰りしました。青色申告の日です。カワウソは計理士の資格を持っているので、一切任せています。
しろいはな
ころされた
ひとごろしのそばに
しろいはながさいている
しろいはなはしっている
ひとごろしが
はじめてころしたのは
じぶんだったと
──おれなんか おれなんか。
わかものは
かきのきをたたきつづけた
しろいはなは
ちからのかぎり
わかものをだきしめていたのだけれど
とまどい
あめがふってきたので
あまがえるはかえっていった
かたつむりは
みおくりながらつぶやく
──あめかえる。
(ふるべきか)
(かえるべきか)
やさしいあめは
そらのとちゅうで
あがったりさがったりしている
明日28日より、わが故郷大牟田市では大牟田動物園を舞台にした映画撮影が始まります。タイトルは「いのちのスケッチ」。ストリーの始まりだけを、ちょこっと。
田中亮太(25)は、漫画家を夢見て上京したものの挫折して帰省する。だが、勘当同然で飛び出したものだから実家に戻れず、同級生の家に転がりこみ、無為な日々を過ごしていた。そんなある日、亮太は友人の勧めで動物園のアルバイトを始める。ところが、そこは普通の動物園ではなかった。高齢の動物が多く、閉園の危機に瀕している福祉施設のような動物園……。
田中亮太に佐藤寛太、動物園の飼育員に林田麻林。園長に武田鉄矢。亮太の祖母・渡辺美佐子、父・高杢禎彦、母・浅田美代子さん(どうしても、さんなのです)。監督・瀬木直貴。ご期待ください。
少年詩を書いたあとは、「悪魔のとりかえっこ」の推敲をしていました。
ちんたら
ちんたら ちんたら
ぼくがあるいていたら
ちんと たらが ついてきた
ちんは おをふりながら
たらは おびれをふりながら
あのやまこえて ちんたら ちんたら
このやまこえて ちんたら ちんたら
なんまんりあるいてきたんだろう
ちんは つかれてちんもくし
たらは たらたらあせをながし
とうとうこらえきれなくて
たらがさけんだ
──ゆめは どこまでつづくのー。
文と絵・喜湯本のづみ 小学館 1300円+税
絵がかくのごとしなら、文もまたいいかげんです。
書き出しはこうなっています。
ぽこぼうには おねえちゃんが いてさ、きょうは あさから ごきげんよ。
私は教養がありますから(つまり品があるので)、このような下品な文章は書きません。たとえば、
ぽこぼうには おねさんが います。きょうは あさから ごきげんです。
うん、いいなぁ。やっぱり品がある。
でも、私の文章だったら、この絵本はしっぱいだったでしょう。この絵本の魅力は、全開のいいかげんさです! 妖術学校の新一年生ぽこぼうが「勉強より、遊びだい!」と、お姉さんから逃れるべく、あれに化け、これに化け。おねえちゃんも負けていません。あれに化け、これに化け。「学校に行くの!」と追っかけます。ぽこぼう姉弟の化け化け珍道中です。品のある方はゼッタイに買ってはいけません。
『鬼ヶ島通信』に詩を送ったあとは、第八少年詩集一作目を書いていました。「はるさめ」です。
はるさめ
かおりちゃんは
うっとりとみている
さくらいろにそまった
むこうのおかを
ひきがえるは
きんぎょをなぐさめる
──おまえだって。
あめがふってきた
かおりちゃんは
きんぎょとはなしをしている
──かわいいね、きんぎょさん。
ひきがえるはときどきまほうをつかう
父の仕事が看板屋だったので、仕事の参考資料として『キンダーブック』などがありました。それを見るのが好きでした。もう小学校高学年なのに。一に武井武雄、二に初山滋……。そして安泰さんの絵がありました。父の家業に感謝しましょう。
われながらワレにあきれる日々でした。(よくも、こんな下手な詩をブログやFBにUPしていたものだ)。それでも削ったり直したりしたら、いくつかは好きになれるものがありました。と懺悔しつつも、これからも駄作主義でいくのは変わらないでしょう。
傑作主義の方は、ほぼ書けなくなってくのを見てきました。これはピアニストや職人と同じで、二年休んだら元に戻るのは四年かかるのとおなじです。私は書くことは単純に「書くというクセ」だと思っています。
というわけで、本日、銀の鈴社へ第七少年詩集「なまこのぽんぽん」の原稿を送らせて頂きました。ぽんぽん。
谷本雄治・文 大野八生・絵 出版ワークス 1600円+税
著者代送とある封筒を空けたとたん、「ああ、品のある絵だなぁ」と思いました。どこか飄々としていて、涼しくて、線が綺麗で……。スズキ・コージさんの絵が加え算なら、引き算の絵でしょうか。詩も引き算ですから、つい自分の詩集の絵を描いて頂きたいなぁと思いました。絵の大野八生さんは光村の国語教科書の表紙も描かれているようです。
牧野富太郎。わたくしの中に尊敬する人としていつもおられます。その方の物語ですから、絵本としては文章が長くなっているのではないかなぁと、心配しましたが、さすがにベテランのノンフィクション作家谷本雄治さんです。すっきりした文章で、子どもたちにも「こんな人になりたい」というあこがれをいだかせる、とてもいいものになっていました。小学校の図書室におすすめです。
某方面に依頼された雑用を済まし、少年詩の推敲と整理をしていました。「が」を「は」に。「で」を「の」に直すところがいくつかありました。強調と濁りが気になったのです。「ここは説明だな」と感じるところも削りました。
これはダメと捨てた作品(メモリーから削除)が27篇。まだ三分の一ほど残っていますから、あと10数篇は捨てるでしょう。それでも作品が多すぎるので、全部で50~60篇は捨てるようです。
昔、長新太さんに絵本のアイデアを50篇ほど渡し、採用されたのは4篇でした。あとは全部捨てました。後年、長さんに「馬鹿だねえ。童話で使えばよかったのに」と笑われました。でも、あのとき捨てたのが絵本テキストの力を養ってくれたと思っています。
今日の確言 作品と女は捨てるにかぎる!
さく・織茂恭子 童心社 1300円+税
表紙を見たとたん虜になってしまいました。のびのびした絵。色彩の美しさ。思わず抱きしめたくなる子ネコの表情。
私は絵本を頂いても、絵がつまらなければ読みません。もしかしたら、いい話が書いてあるのかもしれなくても。絵本ですから。
画家の絵を描く悦び、絵を創る悦びが、まことにおおらかに、うれしく伝わってくる絵本です。のびのびとした筆遣い、こどもが愉しんでいるような色紙の技法。のびやかに、しかしこまやかなセンスで配置されている色彩。この色の配置は場面の展開で、もっともよく生かされています。お母さんに抱かれ、桃色の空に浮かぶ子ネコ。めくると青系統の空いっぱいに浮かんでいるお父さんの笑顔。この暖色系から寒色系への展開に「ああ」とさせられます。だから、あえて物語は紹介しません。絵本ですから。
少年詩を二つ書いたあとは、茨城方面より依頼された雑用をしていました。
年賀状。切手がいただける当たりが14枚ありました。一枚は村上しいこさんからいただいたものでした。
そっと
イノシシは
空にうかべないから
湖にうつる雲のうえに
そっとすわっている
まるで
うごいたらしずむかのように
こい
こいは こいに うんざりしている
あちらも こい
こちらも こい
(なにが こいは いのちだ)
こいは あいたい
たいに
こいは こらえきれずに さけぶ
タイに むかって
──たいに あいた~い。
こいかしら
昨日、「鹿」などという真面目な詩を書いたので、今日はアホな詩を書いていました。
私の観察によれば、真面目な作品だけを書いているひとは、五十代でド壺に。六十代になると、もう自己模倣ばかりで、面白いものは書かれない方になります。ということで、なによりも大切なことは、真面目なものをうっかり書いたら、アホ踊りをして、昨日の自分とサヨナラしようと決めています。アラ、ヨット!
本日も礼状をいくつか。そのあとは「怪盗」改め「とりかえっこ」改め「怪盗こころどろぼう」の推敲をしていました。
鹿
聞こえていなかった音が
聞こえてくる
車のわだちの音が
窓へ目をやると
町が雨にぬれはじめている
あのひとも
外の見られないベッドで
雨にぬれていく町を見ているだろう
目をつぶりながら
二人で行った山
鹿も雨にぬれていた
ああ また鹿が鳴いた
うちのおじさんは、いつもトイレにいます。「くさくないの?」とたずねたら「だから、このとうり、目はしかめっぱなし。鼻ものびてしまった」とぼやかれました。「ずっと昔から、ここにいたの?」と、たずねたら「昔はフクロウだったからなぁ」とさびしそうに答えました。
なぜフクロウがおじさんになったのかはわからないけれども、長新太さんならわかるでしょう。長さんも「ぼくは、昔はフクロウだったからね」と、おっしゃられたことがありましたから。
日本現代詩人会編集のアンソロジーに「詩を送ってください」と手紙が来まし。規定は20行。そんな短い詩はありませんでしたから、少年詩を送りました。びっくりされているだろうなぁ。
礼状をいくつか書いたあと、童話「怪盗」改め「とりかえっこ」を推敲していました。明日も推敲しているでしょう。
かげろう
ああ ちきゅうがあくびをしている
ミロコマチコ個展
貝殻は、金色のにおい
3月11日~23日 日曜休 東京都港区南青山5・10・1 双葉ビルB1
Pinpointo Gallery
午前中はひたすら礼状を。
午後は、まず少年詩にコメントを付け、eメールで筑後郷土文化誌『あげな どげな』へ。
つづいて日本児童文学者協会篇アンソロジー「すっきりする怪談話(20枚)」を。なんとか初稿を終了しました。
ぼんやりしていたらKさんから電話が。「アホカト、ほしい?」。う~ん。考え込んでいたら、がちゃん。Kさんは万葉歌人研究家だから、濁音が嫌いだとはしっていたのですが。ナホトカにも聞こえて……。
風流侍
馬を駆り豪傑が突きすすんでくる
すさまじき形相
はためく旗指物
──うりゃーっ。
馬 石につまづいて
すってん ころりん
どたっ
豪傑は気をうしなっている
馬は草をたべている
もうすぐ雨がおこしてくれるだろう
春雨や馬をひさしに雨宿
総合法令出版 1300円+税
内藤いづみさんは、大切な人の最後を家で看取ることを助ける医者(在宅ホスピス医)の、この国での草分けのような方です。私と、たかすかずみさんの絵本『なきすぎてはいけない』(岩崎書店)のご縁で、お友達の一人にさせて頂きました。
これまでも何冊か内藤さんの本を読ませて頂きましたが(いずれも最後の看取りの本でありながら)、いつも明るく澄んだ気持ちにさせられます。それはあたたかさといってもいいものです。
妻が逝くときは家で看取ってあげたいという気持ちが、自然に湧いてきます。また、自分も家族に「ありがとう」「幸せだったよ」といいながら、最後の別れをしようとこころがさだまってきます。それがどこにも無理はありません。また覚悟というほど改まったものでもありません。だれにでも出来ることとしてそこにあります。
本で語られている逝った人も看取った人も、ふつうのひとです(この「ふつう」というのは、ややこしいところがありますが)。英雄でも有名人でもなく、あなたや私です。そしてすばらしい最後を見せてくださった方です。死に恐怖や不安をお持ちの方にもおすすめします。
少年
ゆうぐれどき
町は空にうかんでいる
だれもしらないけれど
ただやさしいきもちになり
おもいだしている
なつかしいひとを
空にうかんでいた少年を
ギャルリ・ド ぽえむ
世田谷区松原3-9-18 http://gpoem.exblog.jp/
午前中は診療所に。来月は心電図をとって頂けるそうです。
午後から聖蹟桜ヶ丘へ。少年詩誌「あほ派」創刊準備会に参加してきました。二次会でも(おれは賢いんだけどなぁ)と首をひねっていました。Sさんはどうして私に声をかけられたのでしょうか。ああ、不可解。
そうかしら
厳寒の真昼
岩が湖へ転げ落ちていった
岩はしずまなかった
(こんな つめたいところに)
春が来て
岩はゆっくりしずんでいった
(ありえん!)
カラスは湖底の岩にどなった
──ホー ホケキョ。
うれしくて
ぶんぶんぶん
鉢がとぶ
こいぬのまわりを 鉢がとぶ
ぶんぶんぶん
8 がとぶ
こねこのまわりを 8がとぶ
ひゃくてんとれたよ
ぶんぶんぶん
わたしのまわりを 橋がとぶ
故郷の大牟田市立宮原中学校よりCDが届きました。図書委員会のみなさんが朗読してくださった『あいつもともだち』です。BGMは高橋慶輔先生。生徒さんの上手さとBGMの良さに、目がうるんできました。(いいなあ。うまいなあ。おれはしあわせだなぁ)。終わり近くでオオカミとキツネが歌う「うれしいときは しっぽが ぴこぴこ」は曲も歌も最高でした。
校内放送が終わったとたん、各教室で拍手が起こったそうです。
名古屋にある人形劇団むすび座で、本年10月より2020年3月下旬まで、人形劇「ともだちや」を上演します。
お問合せ先 http://www.musubiza.co.jp/
朝一番で昨夜転がしていた脱力系ナンセンス少年詩を書き上げ、それからあちらこちらに手紙を。
午後からは童話の続きを書いていました。
いたずら
クモはくもなくのぼっていった
雲からたれさがってきたクモの糸を
(雲でクモがまっているんだね)
月がでた
雲はどこにいったんだろう
クモがいっぴきだけ
夜空にういている
(やれやれ またかい)
神さまのひまつぶし
クモは
じぶんのたらした糸をおりてくる
赤石忍 創風社出版 1400円+税
エッセイを読みながら、私は大好きだった阿佐ヶ谷文士の随筆を読んでいるような気分になっていました。昭和の、その人たちの随筆を、古本屋で見つけ読むのが、看板職人であった私のひそかな愉しみでした。古本の紙の匂いまでも。
気負いのない文体で淡々と描かれながらも、伝わってくるユーモアと悲しみ。井伏鱒二や木山捷平など。私はお二人にお目にかかったことはないのに、こころの中では「井伏さん」「捷平さんさん」と呼んでいました。
赤石さんの文章からも、このユーモアとほろ苦さが、さびしい姿で伝わってきます。さびしいのは若き日に文学に捕まった者の宿命でしょう。でも、それは夢破れた者のさびしさではありません。悲しみもユーモアも、この国の、この時代を、生きてきた、ただのひとであることの小さな矜恃から伝わってくるのですから。それは私には美しい矜恃に見えます。まして赤石さんは俳人です。それもこんなに面白い句を。
真夏夜の窓に柳家金語楼
夏空からあららステゴザウルスの脚
底冷えて馬は木馬の上に乗る
秋しぐれ鰐の内股気にかかる
星月夜金魚は真直ぐ立ち上がる
天高くみんなそろって立ちくらみ
いつものように礼状を書いたあとは、童話の続きを書いていました。明日には終わるでしょうが、それから推敲が始まります。この推敲がなんともいえず私は好きです。
筑後の方から頂いた、こけしです。
愛知の消印で送られてきたので、豊川稲荷(もしかしたら)などと空想しています。
運筆ぶりから判断して二十年以上の職人さんでしょう。(私は元看板職人なので、これはわかります)。色も品良く、いまはやりのキャラクターものの下品さと幼稚さはありません。すぐ見えるところに置かせて頂きました。
昨夜は帰りが遅かったので、電車でのんびり出勤。そしてちょろちょろ雑用だけをすまし帰宅しました。カワウソと森のタヌキが来るものですから、いそいそと。
カワウソにパソコンを見てもらいました。二つほど不調でしたが、回復させてくれました。
少年詩ひとつ。未完に。どうしても終行がキマリマセン。飛躍がほしいゾ。という心境です。
はるがきて
はるがきて
クマがあなからでてくる
はるがきて
ヘビがあなからでてくる
はるがきて
カエルがあなからでてくる
はるがきて
ザリガニがあなからでてくる
はるがきて
どこもかしこも
おおあくび
長新太さん? わが家で
昨日のこと。 童話?の続きを書き、お昼。午後から手紙二つ書き神楽坂へ。日本児童文学者協会の理事会でした。
寒いので出席は半分くらいかなと思いましたが、部屋いっぱいに。学校での作品電子利用のことなどが報告され(2020年開始予定)、新人賞選考委員の承認、選考内規の改定など、若手活躍路線が承認されました。
終わり二次会へ。ひでちゃんさまは「明日仕事だから」と帰られました。まあ、みなさん元気で。これでは、まだまだ、日本児童文学者協会は続くことでしょう。
風紋
砂漠のフクロウがいいました
──夜はだれも通りません。
いいえ
月がいいました
──ごらんなさい 風の足跡です。
今夜も風が通ります