山口貴美子 発行所・モイブックス 1300円+税
三井三池炭鉱の町・大牟田は社宅の町でした。著者の山口貴美子さんはその社宅のひとつ、四ツ山社宅で昭和三十一年に誕生されています。その社宅はおじさんの家でした。やがて弟も生まれ電化の社宅が空き、家族四人の生活が始まります。どちらの社宅も有明海の堤防の下にありました。
わたしが通っていた小学校児童の半分くらいも、こちらの社宅に住んでいたように思います。二階建ての家が五軒で一棟になり、ずらりと列んでいました。
語りは小学生のきんこちゃんの視線で語られていきます。有明海の干潟に足が「ぬまるとたい。──ずぼっ。ずぼっ。」という潟遊び。堤防の斜面を茣蓙ですべり、その勢いのままドブ溝へ頭から。貧しい暮らしに乾麺に薄い蒲鉾だけの夕食の、ある日。
炭鉱の街は公害の街でもありました。大牟田川は悪水川といわれ魚は一匹もいませんでした(いまは、魚が戻ってきています)。そして弟のまあぼうの激しい喘息。
父さんと母さん(編み物)は「がまだし」て大牟田の北の方に家を建てます。空気がきれいなところでした。たちまち、まあぼうの喘息は治っていきました。
昭和三十八年十一月九日。三川坑で戦後最大の炭塵爆発が起こります。死者458名。そして平成九年、炭鉱は閉山。きんこちゃんは成人し、故郷の小学校、中学校の先生を務め、いまは退職されています。
こどもの目線からのやさしい語り口は、大牟田の子どもたちにわかりやすい「わが町・大牟田の歴史」の副読本となってくれることでしょう。
発行者は馬場真帆さん。個人出版社第一号の本です。
今日は中野で、二十代からの詩友Yに会っていました。われら老いたり。されど詩友阿部圭司との三人で良い時間を過ごしました。われらに悔いなし、でしょうか。Yの健康を願いながら台風の来る町を帰ってきました。同席者は故阿部圭司の詩集を出されたばかりの吉田紀子さん。Yのお世話をしてくださってるIさんでした。
昨日の朗読の会は、初めての企画でした。大成功でしたので、きっと次回も企画されると思います。有難うございました。ライブハウスで行った「打上げ」(ビールと餃子だけの)にも、スタッフ以外にもたくさんの方が残ってくださいました。ありがたいことです。(因みに、21世紀のこみちさんの知人の女優Mさんも出演しています。ホントに、人間て「縁」ですね?!)帰宅は、久しぶりに午前様でした。
うれしい朝帰りですね。付け馬はどうだったのでしょう。Mさんにも感謝しましょう。
阿部はうまいですね。ほんとうの詩人だった、と思っています。
大牟田川、一度見せてもらった川ですね。鉱山の社宅、人の人情と哀愁を感じますね。あと、祇園精舎の鐘の声……とか。
社宅、ご縁があります。明日足尾銅山跡に行って来ます。取り壊される前に行ったことがあるんですよ。
無事でお帰り、よかったです。
まだ禿げ山だった足尾銅山あとを見て寒気がしたのを思い出しています。すさまじい風景でしたが、いまは緑に覆われているようですね。
大牟田もあの異臭はしない町になりました。社宅の友達のところへは何度か遊びに行ったことがありますが、どちらの家もいつもきちんと掃除してありました。
絵本の河さまとCM子さまへのコメントが気になります。
昭和の匂いなのでしょうか。わが家は子沢山だったので折った乾麺をご飯とふかし量を増やしていました。私は塩味がして好きでした。
CM子さん
怪我もたくさんしましたね。従兄弟は堤防から落ちて気を失っていました。いまは元気です。空き缶の真ん中に穴を空け、そこにひもを通し,竹馬のような下駄のようなものもありましたね。スマホなんかありませんでしたから。 (^o^)
これからどこへ歩んでいくのかわかりません。
わからないからおもしろい?
おめでとうございます。お疲れ様でした。
校正がなによりみたいですよ。編集者に聞くと。