すみれ色ノート ☆☆☆ 「平穏死」を考えるブログ

認知症、要介護5、寝たきりの母に経鼻胃管のチューブを入れるという延命をしてしまいました。

再スタートです

2021-12-02 | ブログのご案内&ご挨拶

長いご無沙汰でした。

平穏死を考えるブログとして、再スタートいたします。


新しい気持ちで

2019-05-01 | 雑記
令和という新しい時代が始まった。
今日の日を記したい。

認知症・要介護4の母を引き取る事を、夫が了解してくれた日の事

2018-10-30 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)

有料老人ホームに入居していた母が要介護4となり、1年以上たった頃の事です。

夫に母を引き取りたいと言ったところ、以外にも夫が簡単にOKしたので、びっくり。

その日の覚え書です。

*=*=*=*

2010年9月15日(水)の手記

有料老人ホームにいる母を引き取りたいと、思い続けてたのですが、今日、話の流れから、

「おかあちゃん、ここ(我が家)に連れてきても良い・・・?」

と、思い切って、言っちゃいましたところ、

意外や、意外!

が「いいよ」と言ってくれました。

ホントの「敬老の日」である今日。

記念日です。

いよいよ自宅介護に向けて、事柄は動き出します。

母の寿命との競争。

間に合うか?

ドラマの言葉を借りれば、

私の選択が正しければ、

母は我が家にくる事ができるでしょう。そう思う。

でも、急がないと・・・。

*=*=*=*=*

8年前、こんな思いで居宅介護に夢のような思いを持っていました。

この記事を書いていた1年後には、母は我が家に居たのです。

 


認知症の母~「お化けがいる!」

2018-10-23 | 在宅介護の日々
認知症のお年寄りは、よく、「お化けがいる。」とか、「何かがいる。」とか、言うようですが・・・。
そんな時は、「そんなのいないよ」とは言わずに、「みんなが、そばにいるから大丈夫。」と言って、安心させてあげましょう、というのが基本のようですが・・・。
わが母の場合、ちょっと違ってました。

*=*=*=*=*

居宅介護をして、ひと月になる頃から、「お化けがいる」と、言うようになりました。
「お化けや、お化けが来た!こわい、こわい。」と、不安げに、恐怖の表情で言うのです。

*=*=*=*=*

ある日の事。
「お化けや、お化けがいる。」
と言い出しました。
私は、母の手を握り、
「お母ちゃん、大丈夫、私がそばにいるよ。」
すると母は、私の方を真面目な顔をして見て
「大丈夫、大丈夫って、あんたには見えないから、そんなこと言えるんや。」
ありやりゃ・・・

*=*=*=*=*

そして、数日後、やはりまた、
「お化けや!お化けがいる。」
私・・・
「お母ちゃん、私、まだ若いから見えないから、オバケがどこにいるか教えて。」
すると、母は、真面目な、怒ったような顔をして、
「そら(それは)、良かったな!」
妙な所で、まともな事を言うのでした。

*=*=*=*=*

またのある日、  
「お化けや、お化けがいる。」と母。
私は母から少し離れて、手を振り回して尋ねる。
「お母ちゃん、お化け、どこにいる?この辺?」
「えい!」
と空(くう)を殴ってみる。
「この辺?」
と、あっちこっち手を振り回し、そのうち、調子に乗って、
「えい、えい!」
足で蹴ってみたりした。
すると母、真顔をし、
「あんたは、私を馬鹿にしてんのか?」
と、怒る。
お化けが見えて、こわいんと違うんか?
私は、そのお化けをやっつけてあげてるんやで。
よう、解からん。

おむつの世話に格闘騒ぎ~寝たきりの母の介護

2018-10-21 | 在宅介護の日々

介護は大変だと言うけれど、何がどう大変か、ホントにいろいろで、それぞれの事情で、ひとまとめにできないでしょう。

寝たきりの母の居宅介護を始めた、最初の頃。

予想していない色んな事で、戸惑うばかりでした。

その頃、書いた記事です。

*=*=*=*=*

2011年4月29日(金)

どういう困った事がおこるか、介護を始めてみないと解らないこともありますよねぇ。

私も、予想しなかったいろいろな問題で、参っています。

先ず、母が、私がおむつの事で身体に触れる事を、拒絶するので、難儀してます。

母の身体そこら中の関節が硬くなり、どこを触っても痛いのは解る。

ヘルパーさんや、看護師さんには遠慮もあって、我慢しているところもあるのもよく解る。

でも、私が触るときの拒絶は激しい。

 

夕方、ヘルパーさんが来てくれて、尿とりパットを3枚にしてもらいます。

その後、私が寝る前に、1枚抜くのですが、させてくれない。

身体で拒絶します。

身体の向きを変えようとして、声をかけても、「(尿は)出ていない。」と、身体を動かせないよう、力をいれる。

「子泣きじじい」ならぬ、「子泣きばばあ」のように重くて動かせない。

何とかなだめて、1枚のパットを抜くのに、30分ほどかかる。

日曜日は、ヘルパーさんは1回しか来てもらえないので、

巻き式のおむつそのものも替えないといけないときもある。

もう、大騒ぎで、格闘です。


認知症の母を引き取ったこと、後悔はしていないけどやっぱり大変だった!

2018-10-14 | 在宅介護の日々
有料老人ホームにいた母を家に引き取り、居宅介護を始めて、一か月もたたない頃、考えていたのと違う大変さに、かなり追いつめられていました。
その頃の記録です。
 
2011年4月22日(金)
 
「『介護は大変だ大変だ』と言うけれど、どんなに大変かは、経験した者にしか分からないよ。」
とある人が言ったけれど、今、ホントにそう思う。
色んな事を想像し、どんな事があって向き合おう!と始めた事だし、後悔もしていない。
でも、母がこんなに攻撃的な言葉を次から次に言うとは、想像していなかった。
「キライ」と毎日何回も言われるのも、もう慣れっこ。
こんなだと判っていれば、我が家へは連れてこなかったかもしれない。
あのまま、有料老人ホームでお世話になっていたかもね。
でも、連れてきたからこそ、こんなだと判ったのだから、連れてこなければ、判らなかったのだから・・・。
もし、連れてこなかったら、
「家で世話をしてやりたかった。」
と、後悔をし続けるわけだし。
居宅介護をしても、しなくても、後悔はあったのだから、して後悔する方がいいな。
・・・って、後悔してないんだから!!!
詳しい話は追々・・・。

認知症、寝たきりの母の事をブログにしようと思った理由

2018-10-07 | ブログのご案内&ご挨拶

認知症、寝たきりで、今は、「経鼻胃管」のチューブを鼻から入れている母の事をブログ記事にしようと思った理由。

過日、テレビで杉田かおるさんのお母さんの介護の話を観ました。

その中で、「お母さんに寄り添って介護をするうちに、(最後への)覚悟も出来ていったのでしょう」という言葉を聞いたのです。

その時、「そうなんだ~」と私の中の兄弟姉妹の事を思ったのです。

私の兄弟姉妹は介護は私に丸投げでした。

彼らには、母に寄り添うという気持ちは全くなかったという事に初めて気が付いたのです。

私の兄弟姉妹ですから、皆、50歳代、60歳代です。

そんな年齢の彼の中には「百歳近い母の死」という事に対して、その時への覚悟の気持ちが全く育っていなかった。

今まで、10年近い、母の寝たきり、認知症という事がらと、今がつながっていなかった。

すべての事柄が、ピンポイントでしが見えていなかった。

「今、お母さんが死ぬのはいやだ。鼻からチューブを入れたら今は死なない」 と、今の事しか頭にない。

それがどういう事か、事柄が続かない。

チューブから注入された栄養を戻すこともあります。

チューブを嫌がって、抜きました。

口から物を食べる事は、もうありません。

何の楽しみもなく、チューブが抜かれるのは、死ぬ時です。

 

「今、母を死なせたくない」と思うだけで、そのあとのチューブ入れた後がつながっていない。

事柄を部分的にしが考えることが出来ない・・・そういう人たちだという事に、今、やっと気がついた。

もう、遅いですが・・・。

私は、母が認知症、寝たきりとなった母に寄り添い、一緒に生きてきました。

母の苦しみ悲しみを感じてきました。

その、「寄り添った思い」を綴っていきたい。

母の思い、苦しみ、そんなのを出したい。 そうしないと、母の苦しみが無駄になる。

上手く思いを文章にすることが出来ません。


認知症、寝たきりになる直前の母からの最期の電話

2018-10-06 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)
2015年2月28日の手記より

肩を骨折&亜脱臼した後、寝たきりになる少し前の話です。
母からの最期の電話、今でも、忘れられないです。
4月の最初の土曜日だったかなと思います。
 
ベッドの下に落下予防のマットが敷かれていて、それによって歩きにくい。
新たな転倒事故を防ぐためであったのですが、その歩きにくいマットの上を歩いて、電話の所まで行き、私に電話をかけてきたのです。
 
「何か、寂しいてな(寂しくってね)。あんたの声が聞きとうて(聞きたくて)。」
 
透き通るようなその声が、今でも忘れられません。
それから後は、電話が出来る状態では無くなってしまいました。
 
今、こうして思い返すと、可哀そうで、可哀そうで、仕方ありません。
もっと、一緒にいてやれば良かった。
・・・と言っても、
今、そうすればいいのにね。
特養にいるのだから、もっと面会に行けばいいし、そうしないと、また、後悔する。
 
ベッドの下にマットが敷かれたことが、母の混乱を大きくしてしまったのですが・・・。
夜中に、ベッドから起き上がって、降りようとして、マットに足を取られ、転倒し、失禁したりして、起き上がれず、場合によっては、下半身裸で、「助けてちょだい」状態の時が多くなってしまったのです。
その、母の混乱への道物語は、また、改めて記事にしたいです。

認知症、寝たきりへの道~ベッドから落下、肩を骨折

2018-10-05 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)
 2015年2月23日の手記より

トイレでウンチまみれで発見され、正式に(?)認知症と診断され、混乱しているというか、様子がおかしくなり、戸惑っているうちに、あの運命の日が!
ベッドから落下し、肩を骨折しました。
 
記事タイトルを「落下」とインパクト強くしてしまいましたが、ベッドから降りようとして、ストンと尻もちをついた時、それをかばうように右手を床に付いたようです。
右肩を「骨折、亜脱臼」しました。
 
保存治療っていうのですか、腕を三角巾で吊って、治療はしないっていう方法。
病院からは、介護タクシーでなく、普通のタクシーでホームに帰ったので、その時の母は、車いすにも乗っていなくて、それなりに歩けていたのですが・・・。
 
それから、大きく母の異変が始まりました。
三角巾をされて、それを止める、バンドのようなものを体に巻かれたのですが、混乱して、混乱して・・・。
 
帰りのタクシーの中では大騒ぎでした。
「ウンチが出るーっ。止めて」
同行してくれた、ホームのスタッフの方に
「おじさん、おじさん。止めて」
とかいうので、
「おじさんと違うやろ」
と私が言うと、
「お兄さん」
とチャンと言いかえるあたりが、面白い。
タクシーの運転手さん、さぞ、あきれていただろうな・・・と今更ながら思うけど。
 
ホームの自分の部屋に戻った後、パジャマに着かえるというので、パジャマを着替えさせました。
時間は、よく覚えたないけど、2時になっていたか、いなかったか、そんな時間だったと思います。
 
窓から外を見て、
「もっと広い世界はないのか」
と言っていたのを覚えています。
狭い部屋で、息が詰まっていたのでしょうか。
この日も、私は夕方帰宅したので、
「トイレでウンチまみれ」の日にしても、同じ部屋に泊まるかどうかは、別にして、急で、宿泊の用意をしていなかったにしろ、遅くまで付いているとか、したら良かったのに・・・と、後悔しています。
自分の生活を優先してしまったのです。
 
 
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認知症初期の母の混乱~時間がわからなくなる

2018-10-05 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)
2015年2月14日の手記より
 
認知症の症状として、「時間がわからない、わからなくなる」というのがあるようです。
トイレでウンチまみれの事件(?)の後、ひたすら眠る日が続きました。
あの頃、母の事を記録として文章にするという思いがなかったので、その時の事を詳しく書き留めてないのです。
1月の下旬に「トイレウンチまみれ」で、2月が書き留めてないのです。
3月の母の異変が書き留めてあります。
3月に、1月に行った病院とは別の病院にいく事になって、その為に書き記していたのだと思います。
異変は3月の初めからあったので、おそらく2月からあったのだと思います。
 
母は時計を見て、時間を認識する事が出来なくなってきていました。
それが本人にとっても、大変な混乱状態でつらいことなんです。
 
毎日のように、私のとこへ電話を何回もかけてきて、
「今何時や?朝か晩か?」
と聞くのです。
 
例えば、夜の7時頃に電話がかかってきます。
「今何時や?時計を見ても解からない。」
「長い針はどこ指してる?」
「12」
「短い針はどこ指してる?」
「7」
「そしたら、何時や?」
「7時か?」
「そうや」
「朝の7時か?晩か?」
「朝の7時がこんなに暗いことないやろ?晩やで。」
 
それが、10分おきにかかってきたり、もう、大変でした。
その混乱は、午前中は起きず、午後、夕方からなのです。
 
認知症は「朝夜逆転する」とか言われますが、
そういう言い方って、ちょっと疑問なんです。
 
昼食後、ベッドの上でウトウトしていて、目が覚める。
そうなると、一日の流れが分断されたように、訳が分からなくなってくるのだと思います。
うまく表現できないのですが、私も、以前、似たような経験をしたので、そう思うのです。
その経験は、また改めて記事にしたいと思います。
一日中する事がなく、ウトウトする時間が増えると、夜、熟睡できないと、翌日日中、またウトウトする・・・
そういう悪循環で、認知症だから、昼夜逆転するというのでなく、昼間、しっかりと過ごせるような何かする事があったら、ウトウトする時間が少なかったら、夜も眠れるだろうし・・・。
昼夜逆転は認知症だから・・・と言うのでなく、逆転しないよう生活のリズムをつける事の方が、ホントは大事だったのだと思います。

幼い子供は、時計を見て、時間という概念が理解できないからパニックを起こすこともないです。
お年寄りはだんだん幼児のようになるといっても、時計というものが時間を示すものだという事は理解しているから、それを見て、時間として理解できない、その恐怖心、不安感。
それを私は、その時は解かってなかった。
解かってやれなかった。
 
その頃、ホームの看護師さんと話をしていて、「本人も混乱されている」という内容の事をおっしゃったのですが、今思えば、その通りだったのですね。
その時は「そうですね」みたいな感じで、その事を深く考えてなかったんです。
今思えば、あの時、母の混乱をもっと理解し、側についていてやれば、良かったのに。
今そう思って、今の私がその当時の私にそうは言っても、なかなか、難しい。
 
ただ、ちなみに、電話は短縮ダイアルを設定していたので、私の家の電話番号の短縮ボタンを押して電話しているのです。
それは、ちゃんと出来ていた。
その辺が不思議であり、脳がどんな混乱の作用をしているのか、可哀そうで、自分もなるような事があるのかもしれないと思うと、こわいです。
 
 
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