長いご無沙汰でした。
平穏死を考えるブログとして、再スタートいたします。
有料老人ホームに入居していた母が要介護4となり、1年以上たった頃の事です。
夫に母を引き取りたいと言ったところ、以外にも夫が簡単にOKしたので、びっくり。
その日の覚え書です。
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2010年9月15日(水)の手記
有料老人ホームにいる母を引き取りたいと、思い続けてたのですが、今日、話の流れから、
「おかあちゃん、ここ(我が家)に連れてきても良い・・・?」
と、思い切って、言っちゃいましたところ、
意外や、意外!
が「いいよ」と言ってくれました。
ホントの「敬老の日」である今日。
記念日です。
いよいよ自宅介護に向けて、事柄は動き出します。
母の寿命との競争。
間に合うか?
ドラマの言葉を借りれば、
私の選択が正しければ、
母は我が家にくる事ができるでしょう。そう思う。
でも、急がないと・・・。
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8年前、こんな思いで居宅介護に夢のような思いを持っていました。
この記事を書いていた1年後には、母は我が家に居たのです。
介護は大変だと言うけれど、何がどう大変か、ホントにいろいろで、それぞれの事情で、ひとまとめにできないでしょう。
寝たきりの母の居宅介護を始めた、最初の頃。
予想していない色んな事で、戸惑うばかりでした。
その頃、書いた記事です。
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2011年4月29日(金)
どういう困った事がおこるか、介護を始めてみないと解らないこともありますよねぇ。
私も、予想しなかったいろいろな問題で、参っています。
先ず、母が、私がおむつの事で身体に触れる事を、拒絶するので、難儀してます。
母の身体そこら中の関節が硬くなり、どこを触っても痛いのは解る。
ヘルパーさんや、看護師さんには遠慮もあって、我慢しているところもあるのもよく解る。
でも、私が触るときの拒絶は激しい。
夕方、ヘルパーさんが来てくれて、尿とりパットを3枚にしてもらいます。
その後、私が寝る前に、1枚抜くのですが、させてくれない。
身体で拒絶します。
身体の向きを変えようとして、声をかけても、「(尿は)出ていない。」と、身体を動かせないよう、力をいれる。
「子泣きじじい」ならぬ、「子泣きばばあ」のように重くて動かせない。
何とかなだめて、1枚のパットを抜くのに、30分ほどかかる。
日曜日は、ヘルパーさんは1回しか来てもらえないので、
巻き式のおむつそのものも替えないといけないときもある。
もう、大騒ぎで、格闘です。
認知症、寝たきりで、今は、「経鼻胃管」のチューブを鼻から入れている母の事をブログ記事にしようと思った理由。
過日、テレビで杉田かおるさんのお母さんの介護の話を観ました。
その中で、「お母さんに寄り添って介護をするうちに、(最後への)覚悟も出来ていったのでしょう」という言葉を聞いたのです。
その時、「そうなんだ~」と私の中の兄弟姉妹の事を思ったのです。
私の兄弟姉妹は介護は私に丸投げでした。
彼らには、母に寄り添うという気持ちは全くなかったという事に初めて気が付いたのです。
私の兄弟姉妹ですから、皆、50歳代、60歳代です。
そんな年齢の彼の中には「百歳近い母の死」という事に対して、その時への覚悟の気持ちが全く育っていなかった。
今まで、10年近い、母の寝たきり、認知症という事がらと、今がつながっていなかった。
すべての事柄が、ピンポイントでしが見えていなかった。
「今、お母さんが死ぬのはいやだ。鼻からチューブを入れたら今は死なない」 と、今の事しか頭にない。
それがどういう事か、事柄が続かない。
チューブから注入された栄養を戻すこともあります。
チューブを嫌がって、抜きました。
口から物を食べる事は、もうありません。
何の楽しみもなく、チューブが抜かれるのは、死ぬ時です。
「今、母を死なせたくない」と思うだけで、そのあとのチューブ入れた後がつながっていない。
事柄を部分的にしが考えることが出来ない・・・そういう人たちだという事に、今、やっと気がついた。
もう、遅いですが・・・。
私は、母が認知症、寝たきりとなった母に寄り添い、一緒に生きてきました。
母の苦しみ悲しみを感じてきました。
その、「寄り添った思い」を綴っていきたい。
母の思い、苦しみ、そんなのを出したい。 そうしないと、母の苦しみが無駄になる。
上手く思いを文章にすることが出来ません。