すみれ色ノート ☆☆☆ 「平穏死」を考えるブログ

認知症、要介護5、寝たきりの母に経鼻胃管のチューブを入れるという延命をしてしまいました。

認知症外来へ 2軒目の病院検査

2018-10-04 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)

2015年2月10日の手記より

1月にトイレでウンチまみれで発見され、 数日後に、病院で検査し、「認知症」と診断されましたが、 3月に別の大きな病院の精神科認知症外来へ行きました。

そのお話を・・・。

 

その病院の先生は優しくてきれい女医さんでした。

後日画像診断を受けましたが、 この日は問診でした。

内容は、「桜、電車、猫」「100から7を引いてください」そういった、一般的なものでしたが。

ちなみに、母は「93」だけは言えました。

とっても優しく言ってくださいました。

「電車」という言葉が出なくても 「乗り物ですよ・・・。」 と、ヒントを言ってくださったり。

その日、老人ホームに戻って、母に、「きれいな女の先生やったね。」

と言うと、

「うん、私のさびしい気持ち、解かってくれはった。」

と言っていたのが今でも忘れららません。

忘れられないのは、この時の母の言葉を もっとしっかり受け止めていれば・・・。

診察の話の中で、先生は、

「さみしかったんやねぇ」

そんな話をされていました。

「認知症」と診断されても、「寂しい」という思いは、はっきりしていたのです。

 

それから何日後、 同じ病院で、画像診断を受けました。

全体に靄がかかったように白くなっていて、 アルツハイマー型か脳血管性認知症か、解からないという事でした。

ただ、まあ、「認知症」と言う診断は変わらない。

先生は 「また何かあったら、相談に来てください。」 と言ってくださってたのですが、行ってなかったです。

その時は、何を相談したらいいのか、どうしたらいいのか、 ホント、解からなかったです。

誰に、何を、どう相談したら良かったのか。

今なら、その病院の先生に相談できたかも。

今なら、聞きたいことがあるから、 その時は、聞きたいことさえ解からなかったんです。

母の「寂しい」という気持ちをもっと理解して、 受け止めてやれば良かった。

その日も、私は、夕方、母のいる老人ホームを後に、帰ってしまいました。

こんな状態の時、 自分の生活を変化させるって事、 結局、出来ないんですね。

自分の日常のリズムを変える事が出来ないんですね。


認知症と診断される~桜、電車、猫が言えなくて

2018-10-04 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)

2009年の出来事です。

トイレでウンチまみれで発見された日から、母は、ひたすら眠り続けてました。

私は、いよいよその日・・・母をおくる日、おくりびとになる日が近くなったのかもしれない・・・と違う覚悟をしていました。

いえ、別に早く逝ってほしい・・・と言う意味では決してないのですが、父が亡くなった経緯と重なって、そう思ってしまったのです。

今思えば、あの時、泊まり込んで、母を励まし、勇気づけ、ベッドから立ち上がらせる努力をするべきだったのに・・・という後悔があります。

 

数日後、念のため、脳の画像検査に行きました。

バタン!と倒れたのではないのは、様子から解かるものの、倒れた時に頭を打ってないかとか・・・念のため・・・。

検査を受けた病院は「認知症」専門ではありませんが、脳の専門としては名のある病院だったので、画像診断はとしたは優れているだろうという事で、検査を受けました。

 

検査へは車いすで行って、検査の中で、歩けるか、立った時の様子も診られました。

ずっと車いすに座っていて、いきなり、「さあ、立ってください。」と立ち上がらされた母は、当然、ふらつきました。

1週間前は、歩いていたのに、いくら認知症ったって、いきなり歩けなくなるものなのか。

立ち上がって、立っている時のふらつく様子とか、今だけの様子で、それを、認知症と診断する一つの材料にするには、疑問がある。

お医者様は、初対面で、「今」と言う時間の一部の部分だけを切り取って見て、判断されるのだという事を、今、この記事を書いている時点で感じます。

「桜、電車、猫」の検査もありました。

 

「これから言う、3つの言葉を覚えておいたください。 後で、聞きますから・・・。」

「桜、電車、猫」この後、簡単な質問があります。

そして、「さっき言った3つの言葉を言ってください。」

母は・・・もちろん、答えられませんでした。

画像診断では、海馬が委縮して、脳室と言う部分が大きくなっていました。

あと、小さい梗塞がいくつか見られました。

結果、認知症と診断されました。

これが1月の末で、3月半ばに、別の大きい総合病院の精神科の「認知症外来」へ行きました。

その話はまた、後に詳しく記事にします。 


認知症・寝たきりの始まりは~トイレで、ウンチまみれで発見される

2018-10-04 | 有料老人ホームの母(認知症の始まり)

母の、認知症の始まり。

寝たきり、要介護4への転落の始まり。

それは2009年でした。

 

母は要介護1で、「介護付き有料老人ホーム」に入居しました。

ちなみに、有料老人ホームは「入所」ではなく、「入居」です。

母は「入所者」ではなく、「入居者」です。

要介護1と言っても、当時の基準ですので、今なら、「要支援」かもしれません。

シルバーカー、杖を使って、一人で歩けましたし、身の回りの事も、一人で出来ました。

自立生活は可能でした。

 

ホームに入居して2回目のお正月(2009年)の頃に、 ちょっと危険信号が出ていたのを、私は見逃しました。

私がお菓子を持って行ったとき。

テーブルの上にあるお菓子を見て、 「これ(お菓子)は誰が持ってきたの?」 と尋ねます。

私だと答えた後、数十分後くらいにまた、同じことを聞き、 私は、同じ回答をしました。

その繰り返しが何回がありました。

今思えば、この時の異変にもっと注意すべきでした。

年齢的な事・・・と思ってしまいました。

後から思えば、異変の兆候だったのでしょう。

 

それから、2週間後くらいにやたらと「しんどい」と言うようになりました。

予約していた訪問美容のカットを断ったりしたようです。

普段から、「しんどい」はよく口にするので、 私の認識としては、年だから、少しずつ 老化していく道中何だろう・・・でした。

この時、もっと、真剣に考えてあげれば良かった・・・ この時期の私の対応は、大きな後悔です。

 

そして、その1週間くらい後、大きな事柄があったのです。

タイトルのような事。

朝、7時頃、食事の声掛けに来たスタッフに発見されたのです。

お手洗い(個室についている)で、倒れていた母。

バタン!と倒れた様子でなく、よろけてしまって、 そのまま立ち上がれなくなったようです。

お手洗いに用を足しに行ったのですから、 ウンチで、壁やあたりが汚れていたそうです。

よろけて倒れて、慌てて立ち上がろうと思っても 立ち上がれなかったのでしょう。

トイレには、大きな、非常用のボタンもあるのですが、押すこともできず・・・。

そのまま、ウトウトとしていたのでしょう・・・と思われます。

何時間くらいそのままの姿だったのか、 発見された時は、ウトウトとしていて、手も冷たかったので、 2時間くらいは経っていたかもしれない・・・との事でした。

私が駆け付けた時は、何時間か後だったので、トイレの掃除もすんでいましたが、すごい匂いでした。

その後、ひたすら寝ているのです。

その異変に、戸惑うばかりでした。

 

こうして、お話をしていると、今更ながら、いろいろ細かい事に気が付いてきました。

トイレで立ち上がれなくて、そのまま何時間も・・・。

今から思うと、その思いはどんなだっただろう・・・。

今思うと、この年末年始、そして、1月がおおきなネックでした。

 

記事作成  2018/10/04


ブログのご案内

2018-10-04 | ブログのご案内&ご挨拶

要介護5で寝たきりの母が、今は経鼻胃管のチューブを入れています。

母に寄り添って生きてきた10年の記憶を綴っていきます。

パソコンの中に、手記のように綴っていたものを順次掲載していきたいと思います。

思い付きの感情で書いたものも多く、繰り返す事柄もありますが、また、整理もしてきたいと思います。


明けましておめでとうございます

2018-01-06 | ブログのご案内&ご挨拶

明けましておめでとうございます。


再登録です、すみません。

2016-07-31 | ブログのご案内&ご挨拶

アメブロに引っ越そうと思ったのですが、

やはり、戻ってきました。

再登録、同じ内容ですみません。


ごあいさつ~試行錯誤のブログですが

2016-06-16 | ブログのご案内&ご挨拶

このブログ「すみれ色ノート」を作っていくのに、 試行錯誤・・・ですが。

「乳がん&甲状腺癌の闘病記録」という、しっかりしたものを作る力も、私にはなさそうだし・・・。

自分自身の覚書程度の、思いつくまま、無秩序に展開していくことになりそうです。

 

「放射線治療とは・・・」とか、 「抗がん剤治とは・・・」とか、

そういう事を上手くまとめていく程の知識もなしで。

 

気楽にいきたいとおもいます。

 

手術前は、乳腺外科と耳鼻咽喉科の通院で、大変忙しくしていましたが、

今は、通院の回数も減り、気が抜けたような感じです。

 

今日は、一日中、雨。 梅雨ですし、雨も必要ですものね。

これからは、こんな、 「今日は、暑かった」とか、

そんな日々の記事も掲載するかも、ですが.

 

何分、気持ちが右往左往する、落ち着きのない私のことで、

 

要するに、思いつくまま、その時その時の成り行きブログですが、

どうか、よろしくお願いします。

 


乳がん&甲状腺癌のブログを作成していくことについて

2016-06-10 | ブログのご案内&ご挨拶

乳がんと甲状腺癌の手術をした事をレポートのような、記録として、

ブログを作成していこうと思ったものの・・・。

どういう形で作成していこうか、試行錯誤の真っただ中です。

私は、私の場合の乳がん、甲状腺癌の事しか知っていないのですから、

事実あったことだけをまとめていくことにします。

私が私の経験をブログにしようと思ったのは、

私が乳がんになって、初めて、乳がんの事を何も知らなかったことに気付いたのです。

 

癌を経験していない方とか、多くの方がそうだと思うのですが、

「放射線治療」と「抗がん剤治療」の区別さえ知らなかったのです。

 

乳がんが転移するのは、肺、肝臓、骨、脳らしいのですが、

そんな事も、最近知ったのです。

「転移、再発」の説明を受けたとき、恥ずかしくも

「再発したら、胃がんとかになるのですか?」

と先生に質問してしまいました。

乳がんの再発で胃がんにはならないのですね。

・・・もう、癌といえば、「胃がん」しか思いつかない、

そんな知識レベルです。

そんな私が知った事をまとめていこうと思います。

 

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あけましておめでとうございます

2016-01-01 | ブログのご案内&ご挨拶

あけましておめでとうございます。

昨夜のNHK紅白歌合戦は、いつもと違う思いで見てしまいました。

「乳がん」「甲状腺がん」とダブルがんとなり、

今までとは、感じ方が違っていました。

今は天国に居住している、父と、最後に過ごした年越し、お正月を思いだしたり・・・。

松田聖子の「赤いスイートピー」は当時、独身で初々しかった(?)私のカラオケ、十八番だった曲。

NHK朝ドラの「紙ひこうき」も妙に涙腺を刺激する。

今年は、忙しい年。

へこたれている間なんかない。

頭のCT検査が控えている。