2015年2月10日の手記より
1月にトイレでウンチまみれで発見され、 数日後に、病院で検査し、「認知症」と診断されましたが、 3月に別の大きな病院の精神科認知症外来へ行きました。
そのお話を・・・。
その病院の先生は優しくてきれい女医さんでした。
後日画像診断を受けましたが、 この日は問診でした。
内容は、「桜、電車、猫」「100から7を引いてください」そういった、一般的なものでしたが。
ちなみに、母は「93」だけは言えました。
とっても優しく言ってくださいました。
「電車」という言葉が出なくても 「乗り物ですよ・・・。」 と、ヒントを言ってくださったり。
その日、老人ホームに戻って、母に、「きれいな女の先生やったね。」
と言うと、
「うん、私のさびしい気持ち、解かってくれはった。」
と言っていたのが今でも忘れららません。
忘れられないのは、この時の母の言葉を もっとしっかり受け止めていれば・・・。
診察の話の中で、先生は、
「さみしかったんやねぇ」
そんな話をされていました。
「認知症」と診断されても、「寂しい」という思いは、はっきりしていたのです。
それから何日後、 同じ病院で、画像診断を受けました。
全体に靄がかかったように白くなっていて、 アルツハイマー型か脳血管性認知症か、解からないという事でした。
ただ、まあ、「認知症」と言う診断は変わらない。
先生は 「また何かあったら、相談に来てください。」 と言ってくださってたのですが、行ってなかったです。
その時は、何を相談したらいいのか、どうしたらいいのか、 ホント、解からなかったです。
誰に、何を、どう相談したら良かったのか。
今なら、その病院の先生に相談できたかも。
今なら、聞きたいことがあるから、 その時は、聞きたいことさえ解からなかったんです。
母の「寂しい」という気持ちをもっと理解して、 受け止めてやれば良かった。
その日も、私は、夕方、母のいる老人ホームを後に、帰ってしまいました。
こんな状態の時、 自分の生活を変化させるって事、 結局、出来ないんですね。
自分の日常のリズムを変える事が出来ないんですね。