本箱の奥から、古い手帳が出てきた・・そこには仕事の事やマイカーや当時ラリー界を席捲してた車のこともあった。
①当時の仕事:石油化学プラント輸出に関するものだ、IJPCイラン向けの当時6000億円の巨大プロジェクトやトルコへのポリ・オレフィンプラント・・シカゴで開催されたPOWDER SHOWに関するものもあった。
②マイカー:当時乗っていたセリカ1600GTヤマハのDOHCエンジンにSOLEXのツウィン・キャブを装着した、排ガス規制直前のハイオク仕様の車だった。結構気に入っていて休日にはダート・コースで走ったり高速道路を180キロ以上のスピードで飛ばすことさえあった。STRATOSと同じPIRRELLIのチンチュラートP7やフェレロ製のステアリングを装備したスペシャル・バージョン。寒い朝などエンジンがかかり難いのも今では懐かしい。
③ラリーカー:1970年秋イタリアのトリノ・ショウにドリーミングな車として最初の「ストラトス」がベルトーネ(カー・デザイナー)のスタンドに姿を現した。ファンタスティックなだけでなく実に精悍なスタイルに加えて強烈なパワーを秘めていたのである。将来のラリーカーであるとのコメントがあったものの・・パワーはレースに合わせてセッティングされた。モンテカルロでは300/8200(馬力/回転数)だったし、サファリでは250/7800だった。エンジンはフェラーリ・ディーノのV-6、2.4リットルをベースにした65度V-6DOHC圧縮比 9.0但しワークス仕様では10.5である。イタリアン・スーパースポーツの文法に従ってモダーンではあるが、極力「遊び」を排除して実戦的でもある。ピレリのチュンチュラートP7の最良のシューズを与えられたLANCIA「STRATOS」の道路ホールディングは完璧だし今までベスト・ハンドリングと評価されてきた「DINO」の水準さえ凌いだ。
ちなみに、「STRATOS」は・・・層雲という意味だ。
他では 川奈ゴルフ(PAR71)のフル・バックで75で回った記録もあった。 その後川奈ゴルフでの川奈ホテルに宿泊してのプレーは数回にのぼる。いい女性とは「ストラトス」や川奈ゴルフ場のようなファンタスティックなものをいうんだと思う。しかし、ほとんどは、つまらない女が多いのも事実だ。