二度目となる高遠とアルペンルートですが、今回は雪の大谷ウォークを観たくて、ツアーに参加しました。 同伴者はR隊メンバーで会社の先輩で、おじさん二人旅です。
東京駅7時、新宿駅7時30分に出発したツアーバスは中央道を走り、11時40分最初の目的地、高遠城址公園に到着。 周りにはいくつかの駐車場がありますが、そのひとつは、すでに観光バスで埋め尽くされています。この後に到着するバスはだんだん離れた駐車場に停めることになるそうです。
添乗員さんの後について園内に入りました。入園料がとられるようです。
園内に入ってすぐのところには、昭和11年に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた高遠閣があります。 その前あたりで、まずは記念撮影。 撮影をお願いした方がカメラをたくさん持っていたので、話を聞くと、さくらカラーの時代からその会社にお勤めしていた方でフィルムにも愛着がおありとのこと。 なので、フィルムカメラや二眼レフカメラも含め計4台のカメラをお持ちでした。 当社の取引先でもあったので、しばし、いろいろなお話をしました。
昼時なので、途中で購入したお弁当を食べることにしました。 園内はすでに多くの人たちが、お弁当を食べながらお花見を楽しんでいました。
高遠の桜はコヒガンザクラと言う種類ですが、この日はすでに満開を過ぎて散り始めていました。例年ならまだ間に合ったはずですが、今年は咲くのが早かったようです。
藩政時代、時報に使われていた太鼓櫓(左)と資料館に建つ模擬天守(右)。
同伴の先輩は江戸学を学んでいて 、今回是非行きたいと言う絵島の囲み屋敷を見学しました。
一度ゲートを出てからしばらく歩いたところにあります。
前回私が高遠に来た時には、これがあったのは知りませんでした。
七代将軍家継の時代に大奥で出世した大年寄・絵島が権力争いと事件によりここに遠流、幽閉された。
若い添乗員さんと記念撮影しました。
事件名としては絵島生島事件と呼ばれ、高遠に流されたのは絵島だけだったからでしょうか。生島は三宅島へ遠島。
大奥で前将軍の正室と現将軍の生母感の権力争いも絡んで粛清された事件のようですね。私も行ってみて詳しい事情が分かりました。
自家用車のたんぼの駐車場は遠く、、えんえん歩かされました。園内はクズカゴに入れ切れないごみが散乱し、この印象が強いですね。ところで、囲い屋敷になんで、絵島の相手の名前がないんでしょうか、不思議です。役者との密会スキャンダルが問題化した端緒と聞いてますが。