「寂しさはもちろんあります。十分にやりきったかと言われれば分からないですけど、私的には本当にやりきったというか、頑張れるところは頑張ってきたかなと思います。達成感はそこまではないですけど、解放感というのは少しあるかなと思います」
福島が使った“解放感”という言葉に、彼女が日本女子短距離界のエースとして長い間、どれほどの重圧を背負ってきたか、想像してみようと試みる。だが、おそらく我々の想像が及ばないほどに、それは重く大きなものだったに違いない。
福島は、北京、ロンドン、リオデジャネイロと、オリンピックに3大会連続で出場。昨年の東京大会で4度目のオリンピック出場を目指したが、結局叶わず、現役引退を決断した。
高校生の時に日本ジュニア選手権で優勝
福島は、早くから全国区でその名を知られた存在だった。
帯広南商業高(北海道)時代には日本ジュニア選手権で優勝の実績を挙げている。しかし、同学年には、インターハイの100mで史上初の3連覇を果たした高橋萌木子、200mで当時のジュニア日本記録を打ち立てた中村宝子といった強力なライバルがおり、当時は、どちらかといえば、高橋や中村のほうが目立っていた。
その後も、高橋とは数々の名勝負を見せることになる。スタートを得意とする前半型の福島に対し、ダイナミックな走りで後半に追い上げる高橋は対照的なレーススタイルで、フィニッシュの瞬間まで目が離せない接戦を繰り広げてきた。
北京五輪は「原点」、56年ぶりの五輪日本代表へ
そんなライバルたちと激闘を演じながら、福島が一気に日本のトップへと駆け上がったのは、北海道ハイテクACに進んで2年目の2008年のことだった。
新シーズンが始まって間もない4月の織田記念で、100mの日本タイ記録(当時)となる11秒36をマークすると、6月の日本選手権で初優勝を果たす。
そして、8月の北京オリンピックに100mで出場した。女子の同種目では56年ぶりのオリンピック日本代表だった。思い出に残る大会を聞かれた福島は、初めてのオリンピックとなった北京大会を「原点」と答えている。まさにこの年から福島の快進撃が始まったと言っていい。
日本選手権はのべ16回優勝…日本女子短距離界のトップに
2009年の日本選手権は、100mは右脚の付け根に張りがあり決勝を棄権したが、200mで今度は当時の日本新記録をマークし優勝した。
そこからは他の追随を許さなかった。
日本選手権のタイトルは、100mが2010~16年の7連覇を含めて通算8回獲得。200mも8回(2009年、11~16年、18年)の優勝を飾っている。特に、2011~16年は6年連続で100mと200mの二冠を成し遂げており、長きに渡って日本女子短距離界のトップに君臨してきた。
国際大会でも活躍を見せてきた。2010年のアジア大会では日本女子で初めて100m、200mの二冠を達成。さらに、2011年の世界選手権テグ大会では、100m、200mともに、日本女子初の準決勝進出を果たす快挙を成し遂げている。2015年世界選手権北京大会でも準決勝に駒を進めた。
個人種目だけでなく、4×100mリレーにも2012年のロンドン・オリンピックに出場。エースとして48年ぶりの五輪出場に導いた。
福島の偉業を並べ立てていくと、枚挙にいとまがないほど。数々の“日本女子初”を果たし、歴史を切り開いてきた。
記録の面でも、各種目で日本記録を連発。100mは2010年に11秒21、200mは2016年に22秒88まで記録を伸ばした。両種目ともに、今なお破られていない。特に200mは、日本で23秒を切っているのは、福島ただ一人だ。
しかし、日本記録保持者であり続ける一方で、純粋に速さを追い求め続けた福島にとって、10年以上のもの間、自身の100mの記録を更新できずにいたのは、もどかしかったことだろう。
怪我に苦しんだキャリア後半…最後まであがき続けた
2016年のリオ五輪の後は、一度は引退も考えたという。さらに2018年以降はアキレス腱炎などのケガにも苦しみ、全盛期とはほど遠い走りが続いた。特に、本来東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は絶不調で、100mでは、自己記録どころか、一度も12秒を切れずにシーズンを終えた。高校1年生で初めて11秒台で走って以降、一度も11秒台で走れずに1年間を終えるのは、実に17年前の中学3年時以来のことだった。
「目指している目標に対して“やりたい練習”よりも“やれる練習”を選択することが多くなってきた」
そんなもどかしさを抱えながらも、もう一度オリンピックのスタートラインに立つことを目指して、福島は諦めなかった。
現・日本陸連強化委員長で、男子400mハードルで3度のオリンピックに出場した山崎一彦氏に指導を仰ぎ、リハビリやフィジカルトレーニングの面では、男子マラソンの大迫傑のトレーナーを務めていた五味宏生氏に指導を受けた。
そして、昨年は2年ぶりに11秒台をマークし、日本代表選考レースの日本選手権に出場を果たすなど、最後まであがいた。結局、東京オリンピック出場は叶わなかったが、福島の最後の挑戦は多くの人の心に残った。
福島が引退会見を行った翌日、大阪ハーフマラソンでは4大会連続でオリンピック出場を果たした福士加代子がラストレースに臨んだ。短・長ともに、世代交代は進んでおり、一時代を築いたトップアスリートが、第一線を退くことになった。
福島が身をもって見せてきた“世界への道”
女子短距離は、兒玉芽生(福岡大)が新エースに成長。鶴田玲美(南九州ファミリーマート)や齋藤愛美(大阪成蹊大)、さらに若い石川優(青山学院大)や青山華依(甲南大)といった選手らとも切磋琢磨し合い、力を付けてきた。昨年5月の世界リレーでは女子4×100mリレーで4位に入り、昨夏の東京オリンピックの出場権だけでなく、今夏の世界選手権オレゴン大会の出場権をもすでに獲得している。
新たに女子短距離界を牽引する世代は、福島の背中を追いかけ、そして、福島の強さを間近で見てきた最後の世代ともいえる。福島とレースを共にし、感じたこと、学んだことは大きかったのではないだろうか。
北京オリンピック男子リレー銀メダリストの高平慎士氏が、以前こんなことを言っていた。
「日本の男子4×100mが世界大会で結果を残せているのは、上の世代から下の世代へと、バトンと共に経験をリレーできているから」
日本女子においては、10年にもわたってトップを走り続けた福島が、まさに世代間をつなぐ役目をも果たしてきた。そして、その経験は、次の世代へと引き継がれていくことになる。男子に比べると女子は、なかなか世界の壁を突破できずにいるが、世界で戦ってきた福島の経験はきっと日本女子短距離界の飛躍の鍵になるに違いない。
これ『福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた』と題した Sports Web 和田悟志さんの 2022/02/01 11:03の記事である。
100m日本記録10:21の保持者福島千里がついに引退を表明した。
常日頃より陸上競技が好きな私は特に100mは花形だから好きだった。男子は山縣亮太が9:95でトップだ。女子は前記のように福島千里だ。最近は福岡大の兒玉芽生が11:35を出している。確実に福島千里の後継者として頑張っている。何とか福島の記録を抜いてもらいたいものである。
ガンバレ兒玉芽生!
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