運命鑑定 麗花 の Spiritual Communication

霊符・四柱推命術奥義・奇問遁甲術奥義をはじめ、人間として麗花による自然界の調和へのメッセージです。

第四章 私と四柱推命と御神術

2006年09月17日 19時54分00秒 | Weblog
私の四柱推命の占術あらゆるものに解決できます。
また、神から私を通して必要なことだけ言葉を受け、お伝えしております。
私は、よほどの大事以外は神様に頼る事はありませんし、四柱推命と自己統一の力で解決をする事が出来ます。
神様を便利屋に使うような事はしないし、軽率に使うものでないし、ならない事です。
必要の無い者に説くべからず。低レベルの基本的な事であります。
私は神との約束をかわし、欲望者や自我・邪心・悪などとの為にも使わないし神も仏も、ソッポを向くであるでしょう。ですから口を止め、言葉に出させてくれません。
御神術を行うのは神の指示のもとで行い、私を通して、お伝えしますが、お節介などという事は致しません。
また、慣れ慣れしくしてますと低い霊が憑き易くなり本来の真の神を求める道からはずれようという事です。
四柱推命メインで御神術の力を借りる事も出来ますが、自己統一で行うだけで、ほとんど神様の力をお借りしないという事です。四柱推命術で用が足りております。
ですから鑑定の際、上文を弁えて頂きたく思います。

第三章 自然との会話

2006年09月15日 14時07分28秒 | Weblog
あれは今年の8月の終わりくらいだったかな・・ある山に行きました。
体調が良くないながらも山に行きたいと思い山へ向かいました。
山に着き、車から降りて少し歩いて、結界がありました。
歩きながら、こんなに木があるのに何故こんなに人間臭いんだろうと感じながら進み途中で湧き水があり・・それも温く不味いもので、この山には生きた水がない。元気がない。力がない・・・お地蔵様や、建物があって、そこには神が居るでもなく余計な物を・・木・山が枯れてるの。
どうして?私に何かできるのか?と木に尋ねた。
今の貴女には出来ないと答えて来た。
ならば、私と、ある人とならできるのか?と尋ねた。
難しいけれど、出来ない事はないと答えた。
体調の悪いのが出てきた。
体調に合わせて、暑い中、なんて涼しい風を・・・向けてくれ痛みをとってくれた。
私は、ありがとう。と伝えた。
私は、泣いてる木に触れた。何故こんな山になったの?
自然は答えた・・上に登れば解ると。
私は、小走りになった。後もう少し、もう少しと。
着いた。
なんて事・・人間が勝手に自分達の目先の思いで気休めで作られたものばかり。
人が言ったわ。ここは、観音様だって。
観音様がいるって?馬鹿馬鹿しい。ここにはいない。それに、正面は違う。違う場所から手を合わしてる。私は、先に本当の正面に足を運んだ。裏側でもない、横。
開かずの扉の中に大きな菩薩がいるの。男性の形で。
誰がこんな物を作れと神が云うた。云ってもないのに、こんな物を作って。
人間の形をした物を作って良いなどと、何処にも教えはない。
それから正面に回りグッと左に真っ先に目がいった。
赤っぽい人間の形をしたもの。
触ってはいけない!と、友達に言った。余計な霊が入り込んでるから。
お経のクジの一部があった。たったこれだけで、悪霊をも退散できない文章だった。
なんて汚い人間ども。怒りと、悲しみと苦しみ。今も込み上げてくる。
あっちにもあると友達は云った。
行く必要はないと答えた。
山を降りる・・・周りを見ながら降りた。
1つ惹起を感じた!友達に行くな!と止めるまもなく友達は階段に上がり手を合わせた。
そこを、どいて!すぐに降りて、離れてと云い、仕方なく、私は友達と同じ位置に立ち(我、神である。あなたは何の恨みをもってここにいるのかは知らないが、この者〔友達〕に何かあらざれば容赦しない。ただ、人間の勝手で恨みあらば謝らなければならないが、あなたは、化け物に変化しつつある。良くない。このままでは良くない。自分を改めるように願う。)と私は、去った。
山を降りながらも自然はこう云った。
ありがとう・・ありがとう・・・と・・
涙が出そうになった。麓で、友達にお礼を言おうとした時、飲み物を飲もうと店にはいった。
その店に入った瞬間、吐き気がした。
もう、ここまできてのか・・・と思った。
その店の、おばさんが菩薩たちの写真を見せてくれた。
私は探した。本当にいてた菩薩を。
あった!その顔があった。しかし着てる物が違う。私が見たものはもっと立派なものを身につけていた。
おばさんの話を少し聞いてた。
耳障りな言葉の中に1つ正直な言葉を言った。
「本当にいるのか解らないんだけどね・・」そう。自己満足。空想。
空想で作られたものなんだよ。何にでも姿は返れるんだよ・・って思った。
でも、おばさんは心から、ここは観音様がいて心の拠り所にしてる。強く心に思ってるもの、今、私が何を言っても信じない、聞こうともしないであろう。
あばさんだけではない。この世の中ほとんどが、こうなんだと実感し無念さを感じた。
私は子供の頃から自然が大好きで全て何事も自然から始っていくもの。凄く大事に思っている。水道代がもったいない、電気代がもったいないのではなく、資源。いつまでもあるものではない。この世にあるもの、いつかは消滅していくもの。
自然が無ければ生きていけないんだよ。
山を登るのに歩きやすく道を作るのは構わないだろう。しかし、あんな広い道なんて必要ないし、余計な物ばかり手をかけ、壊していく。それだけでなく知らず知らずに罪を作っている。
なんて浅はかな・・・
その山と約束をしよう。
私が、いずれ大きくなれば、この山を生き返らせると。