なぜいきなりこんなふりかと言うと、さっきNHKの深夜番組で
80年代ヒット曲を紹介してたからなんです。
なつかしすぎ!
ラインナップされたアーティストはカルチャークラブ、ヒューマンリーグ、デュランデュラン、
デキシーズミッドナイトランナーズ、ワム、ティアーズフォーティアーズ。今改めてVみると笑えるっつーの。
ニューロマンティックなんて言葉ありましたってけ。
カルチャークラブの「Do you wanto~」は名曲ですよね。この曲はほんとうに今でも大好き。
ひさしぶりに見るとゲイ向けに作った映像にもびっくりだけどね。
わたしが六本木で遊び始めたのは18歳。
新宿、渋谷と流れ、六本木に辿りついた。
あの頃の六本木は本当に楽しかった。
ディスコがわんさかあって。
六本木の駅を降りると、次から次へと
女の子というだけで、いろんなディスコの店員がただ券というのをくれる。
しかもフリードリンクフリーフ―ド!
一部チケット制だったけな??
ロアビルというところは地下から10階まですべてディスコ。
記憶を辿ると、わたしが行っていたのは
まず地下にあったは玉椿。
ここは通称タマツバで新宿の椿ハウスの大人版だった。マヌカン(死語)のたまり場。
あとはザ・メーキャップ、ネペンタここはサーファーディスコ。
スタジオワンはソウル系
ギゼはニューウェーブ系でいつも外人がたくさんいた。
お立ち台発祥の店とも言われている。
コースとして玉椿を除いた3店舗をタダ券でチェックし、たまにフーフーにも行った。
近くのビルにソウル系のディスコがあって、
たぶんジェスパという名前だったと思う。
(記憶が定かでないソウル系はキューっのもあった。あるいはジェスパの後、キューになったのか
ほんと忘れました??)
マジックという人気ディスコも行き、
最後はナバーナというコースでした。
自分はソウル系大好きと自覚したのはこの頃。
でもロアビルというのは今思えばほんと凄い。
だってエレベータのドア開くと、
開く度にぜんぜん違う世界があるんだもん。
違うテイスト、違う音楽、違うファッション。
あとになってわかったことだけど、
この当時HEYTAはギゼで、ノリはネペンタで、ユタカはジェスパで
DJをしていたことを知りました。
ナバーナは一斉を風靡したサーファーディスコで
特に金曜に常連が集まる日は「金ナバ」と呼ばれていて、
当時をサーファーだった人には
一番素敵な場所だったんじゃないかな。
それに一番女の子の綺麗度が高かった。
じつは座る席まで決まり事があったのよねー。
アキラくんはここのDJでした。
だからナバーナに行っていた人で彼を知らなければモグリでしょうね。
ミスターMなんかは当時からここで有名でした。
ここの常連はもともと水曜日のレオパードキャットから流れてきた客なんだけどね。
クラブシーンの歴史ではよく椿ハウスとか語られるけど、
東京の人から見ると、
玉椿とか、椿ハウスは地方人が多いという認識だったんですよね。
(あっ、悪口ではないですよ。念のため)
話戻りますが、その18歳の冬から
飯倉の交差点の近くのクレオや渋谷のミルクバー等の
隠家的なところにも遊びに行き始めました。
わたしはとにかく一年中陽焼けしていたので、
けっこう浮いてたかもねー(爆)
ファッションの人ではなく陽焼けしたバカ学生でしたから。
それなのに誰でも彼でも友達になたがり、どこでも遊びに行きました。
たとえその場で浮いていよーとも。
今から思い返しても、ほんと人生で一番貪欲だった時代かもしれない。
夕方のお茶はジャクベにイタトマにフライングアルバトロスにカーディナル
知っている人にはなつかしすぎる名前でしょ?!
そういえばクレオの伝説であるデュランデュランとあの盲目の大物アーティストとの
バッティングもこの頃の話だと思います。
あっ、青山のTOKIOにも行きました。
ここではタツオがDJしてたんだよね。
誰もこの頃のこと書かないので、
何か機会があれえば記録として残しておきたいなと
今、ふと思いました。
明日も普通に出勤なので
寝なきゃ。
80年代ヒット曲を紹介してたからなんです。
なつかしすぎ!
ラインナップされたアーティストはカルチャークラブ、ヒューマンリーグ、デュランデュラン、
デキシーズミッドナイトランナーズ、ワム、ティアーズフォーティアーズ。今改めてVみると笑えるっつーの。
ニューロマンティックなんて言葉ありましたってけ。
カルチャークラブの「Do you wanto~」は名曲ですよね。この曲はほんとうに今でも大好き。
ひさしぶりに見るとゲイ向けに作った映像にもびっくりだけどね。
わたしが六本木で遊び始めたのは18歳。
新宿、渋谷と流れ、六本木に辿りついた。
あの頃の六本木は本当に楽しかった。
ディスコがわんさかあって。
六本木の駅を降りると、次から次へと
女の子というだけで、いろんなディスコの店員がただ券というのをくれる。
しかもフリードリンクフリーフ―ド!
一部チケット制だったけな??
ロアビルというところは地下から10階まですべてディスコ。
記憶を辿ると、わたしが行っていたのは
まず地下にあったは玉椿。
ここは通称タマツバで新宿の椿ハウスの大人版だった。マヌカン(死語)のたまり場。
あとはザ・メーキャップ、ネペンタここはサーファーディスコ。
スタジオワンはソウル系
ギゼはニューウェーブ系でいつも外人がたくさんいた。
お立ち台発祥の店とも言われている。
コースとして玉椿を除いた3店舗をタダ券でチェックし、たまにフーフーにも行った。
近くのビルにソウル系のディスコがあって、
たぶんジェスパという名前だったと思う。
(記憶が定かでないソウル系はキューっのもあった。あるいはジェスパの後、キューになったのか
ほんと忘れました??)
マジックという人気ディスコも行き、
最後はナバーナというコースでした。
自分はソウル系大好きと自覚したのはこの頃。
でもロアビルというのは今思えばほんと凄い。
だってエレベータのドア開くと、
開く度にぜんぜん違う世界があるんだもん。
違うテイスト、違う音楽、違うファッション。
あとになってわかったことだけど、
この当時HEYTAはギゼで、ノリはネペンタで、ユタカはジェスパで
DJをしていたことを知りました。
ナバーナは一斉を風靡したサーファーディスコで
特に金曜に常連が集まる日は「金ナバ」と呼ばれていて、
当時をサーファーだった人には
一番素敵な場所だったんじゃないかな。
それに一番女の子の綺麗度が高かった。
じつは座る席まで決まり事があったのよねー。
アキラくんはここのDJでした。
だからナバーナに行っていた人で彼を知らなければモグリでしょうね。
ミスターMなんかは当時からここで有名でした。
ここの常連はもともと水曜日のレオパードキャットから流れてきた客なんだけどね。
クラブシーンの歴史ではよく椿ハウスとか語られるけど、
東京の人から見ると、
玉椿とか、椿ハウスは地方人が多いという認識だったんですよね。
(あっ、悪口ではないですよ。念のため)
話戻りますが、その18歳の冬から
飯倉の交差点の近くのクレオや渋谷のミルクバー等の
隠家的なところにも遊びに行き始めました。
わたしはとにかく一年中陽焼けしていたので、
けっこう浮いてたかもねー(爆)
ファッションの人ではなく陽焼けしたバカ学生でしたから。
それなのに誰でも彼でも友達になたがり、どこでも遊びに行きました。
たとえその場で浮いていよーとも。
今から思い返しても、ほんと人生で一番貪欲だった時代かもしれない。
夕方のお茶はジャクベにイタトマにフライングアルバトロスにカーディナル
知っている人にはなつかしすぎる名前でしょ?!
そういえばクレオの伝説であるデュランデュランとあの盲目の大物アーティストとの
バッティングもこの頃の話だと思います。
あっ、青山のTOKIOにも行きました。
ここではタツオがDJしてたんだよね。
誰もこの頃のこと書かないので、
何か機会があれえば記録として残しておきたいなと
今、ふと思いました。
明日も普通に出勤なので
寝なきゃ。
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