台本10
2011-11-03 | 自作
僕はあの小さく折りたたまれたキミの姿に打ちのめされていた。
キミの悲しみをわかっているつもりで、キミが本当に以前のキミを取り戻すまで、いつまでもそばにいてキミを安心させたいと思っていたけれど、そんなことは僕の思いあがりだったのだ。
僕はキミを救えると思っていた。
僕たちの間に吹いた冷たい風がふたりを繋いでいたものを全部持ち去ったような気がした。
キミに声をかけられないまま何日も過ぎていった。
僕は苦しくて、苦しすぎてキミのことを頭の中から消してしまいたいと思った。
ふらふらと街を彷徨った。
さそわれるまま遊び歩いた。
知らない女の子に声を掛けた。
振り返った女の子の顔が記号のように見えた。
また何日も過ぎた。
人であふれかえる街の中で、気がつくと僕はキミを探していた。
何万人の中から探し出せると言ったキミを探していた。
僕はもう一度キミをみつけることができるだろうか。
久しぶりに斉藤に会う機会があった。
あまり誰とも会いたくないと思っていたが世話役をしている集まりで行かないわけにはいかなかった。
斉藤にはキミとのことを時々話していたが「なんかいつまでたってももどかしい感じやけど、でも大丈夫や。きっと大丈夫や。」といつも言ってくれていた。
その日の僕の様子がいつもと違うので気になったのか斉藤はみんなと別れたあと僕を誘ってくれたが、今の僕たちのことはすぐに話せなかった。
するとしばらくして斉藤が話しだした。
それは初めて聞く話だった。
「俺はほんまは五歳から柔道をやってたんや。自分では覚えてないけどテレビでオリンピックの柔道を見て親にこれがやりたいって自分で言うたらしい。親はやってもいいけど、ぜったいにしんどいからとか痛いから言うてやめるのだけは許さんぞって約束したんやって。
小学校に入る頃にはもう俺は柔道でオリンピックに出たいと思ってて、ほんまにしんどいも痛いも絶対に言わんと柔道を続けてた。
中学2年でけがをするまでな。左膝をやられて柔道は一生出来んようになったんや。」
「それからの俺はもうなにをしてても面白くないし、誰ともしゃべりたくないし、これからの俺の人生にはなにもないと思った。柔道以外にやりたいことなんかなにもなかった。
でもなぁ、そんなふうに全部終わったみたいにくさってると親とか先生とか心配していろいろ言うてくるし、もういい加減けがしたことも柔道も忘れたような顔して生きていこうと、そうしてるうちにほんまに忘れられるかもしれへんって思ったんや。」
僕は高校に入ったころ、柔道部の勧誘を「痛いことは嫌いやねん」と言って笑って断っていた斉藤を思い出して胸が詰まった。
「でもな、忘れられるはずないねん。忘れたふりすればするほど自分がいかに柔道しかなかったか思い知るんや。きついでぇ。
しんどいことから立ち直るっていうのは、階段を一段ずつ上がって屋上に着くみたいな、山道を一歩一歩登って頂上に届くような、そんなもんやないねん。
屋上も頂上もないかもしれんねん。
もう大丈夫って思った次の日にどーんと突き落とされることもある。
あんなに調子よかったのにって。
そんな時は絶望するで。死んだ方がましやって思う。
でも死んだ方がましやって思うこととほんまに死ぬことは全然違う。
死んだ方がましやって思うのはまだ生きたいって思ってるってことや。
なんとか立ち直りたいって思ってがんばって苦しいから思うんや。」
斉藤が今まで僕にしてくれたことを、掛けてくれた言葉のひとうひとつを思い出していた。
そしてキミとの間にあったことを全部話した。
「俺は柔道に代わるものをいつかみつけるかもしれへんって今は思ってる。
でも彼女はお兄さんに死なれてしまった。
代わるものはないねん。
お兄さんはどこまで行っても彼女にとって絶対の存在やねん。
残念ながらお前はお兄さんの代わりにはなられへん。
どうあがいても無理や。
でもお前はお兄さんの代わりやなくて、お前はお前自身として彼女のそばにずっといることはできるやろ。それだけはできるやろ。」
「彼女はお兄さんに似た人を追いかけてしまって、大丈夫と思ってたことがまただめやったと落ち込んでる。
それに今回はお前にそれを知られてしまった。
彼女が今までお前のことをただの散歩の道連れやと思ってたわけがないやろ。
彼女はずっとお前の気持ちに応えたいと、その時がようやくやってきたと思ってたのにこんなことになってしまった。
お前は連絡を絶ってる。
彼女は取り返しのつかないことをしてしまったと思ってる。」
「十七歳のあの日、あの子をみつけたと思ったんやろ。ほんならこんなことで逃げたらあかん。今が一番あの子がお前を必要としている時やで。わかるやろ」
僕は本当に恥ずかしかった。
いつもどんなときでもキミのそばにいようと決めていたのに、自分の苦しさに負けてしまっていた。
「斉藤、はじめて言うけど、ありがとう。」
僕はもう駈け出していた。
キミに続く道へ。
キミと初めて会った日からずいぶん時が流れた。
今日僕はあの時の風を思い出しながら言ってみようと思う。
「ちょっと早いけど、僕は十七歳でほんまにみつけたのかもしれんなぁ」って。
そんなことを言う僕を、きっとキミは笑って見ているだけだろう。
完
キミの悲しみをわかっているつもりで、キミが本当に以前のキミを取り戻すまで、いつまでもそばにいてキミを安心させたいと思っていたけれど、そんなことは僕の思いあがりだったのだ。
僕はキミを救えると思っていた。
僕たちの間に吹いた冷たい風がふたりを繋いでいたものを全部持ち去ったような気がした。
キミに声をかけられないまま何日も過ぎていった。
僕は苦しくて、苦しすぎてキミのことを頭の中から消してしまいたいと思った。
ふらふらと街を彷徨った。
さそわれるまま遊び歩いた。
知らない女の子に声を掛けた。
振り返った女の子の顔が記号のように見えた。
また何日も過ぎた。
人であふれかえる街の中で、気がつくと僕はキミを探していた。
何万人の中から探し出せると言ったキミを探していた。
僕はもう一度キミをみつけることができるだろうか。
久しぶりに斉藤に会う機会があった。
あまり誰とも会いたくないと思っていたが世話役をしている集まりで行かないわけにはいかなかった。
斉藤にはキミとのことを時々話していたが「なんかいつまでたってももどかしい感じやけど、でも大丈夫や。きっと大丈夫や。」といつも言ってくれていた。
その日の僕の様子がいつもと違うので気になったのか斉藤はみんなと別れたあと僕を誘ってくれたが、今の僕たちのことはすぐに話せなかった。
するとしばらくして斉藤が話しだした。
それは初めて聞く話だった。
「俺はほんまは五歳から柔道をやってたんや。自分では覚えてないけどテレビでオリンピックの柔道を見て親にこれがやりたいって自分で言うたらしい。親はやってもいいけど、ぜったいにしんどいからとか痛いから言うてやめるのだけは許さんぞって約束したんやって。
小学校に入る頃にはもう俺は柔道でオリンピックに出たいと思ってて、ほんまにしんどいも痛いも絶対に言わんと柔道を続けてた。
中学2年でけがをするまでな。左膝をやられて柔道は一生出来んようになったんや。」
「それからの俺はもうなにをしてても面白くないし、誰ともしゃべりたくないし、これからの俺の人生にはなにもないと思った。柔道以外にやりたいことなんかなにもなかった。
でもなぁ、そんなふうに全部終わったみたいにくさってると親とか先生とか心配していろいろ言うてくるし、もういい加減けがしたことも柔道も忘れたような顔して生きていこうと、そうしてるうちにほんまに忘れられるかもしれへんって思ったんや。」
僕は高校に入ったころ、柔道部の勧誘を「痛いことは嫌いやねん」と言って笑って断っていた斉藤を思い出して胸が詰まった。
「でもな、忘れられるはずないねん。忘れたふりすればするほど自分がいかに柔道しかなかったか思い知るんや。きついでぇ。
しんどいことから立ち直るっていうのは、階段を一段ずつ上がって屋上に着くみたいな、山道を一歩一歩登って頂上に届くような、そんなもんやないねん。
屋上も頂上もないかもしれんねん。
もう大丈夫って思った次の日にどーんと突き落とされることもある。
あんなに調子よかったのにって。
そんな時は絶望するで。死んだ方がましやって思う。
でも死んだ方がましやって思うこととほんまに死ぬことは全然違う。
死んだ方がましやって思うのはまだ生きたいって思ってるってことや。
なんとか立ち直りたいって思ってがんばって苦しいから思うんや。」
斉藤が今まで僕にしてくれたことを、掛けてくれた言葉のひとうひとつを思い出していた。
そしてキミとの間にあったことを全部話した。
「俺は柔道に代わるものをいつかみつけるかもしれへんって今は思ってる。
でも彼女はお兄さんに死なれてしまった。
代わるものはないねん。
お兄さんはどこまで行っても彼女にとって絶対の存在やねん。
残念ながらお前はお兄さんの代わりにはなられへん。
どうあがいても無理や。
でもお前はお兄さんの代わりやなくて、お前はお前自身として彼女のそばにずっといることはできるやろ。それだけはできるやろ。」
「彼女はお兄さんに似た人を追いかけてしまって、大丈夫と思ってたことがまただめやったと落ち込んでる。
それに今回はお前にそれを知られてしまった。
彼女が今までお前のことをただの散歩の道連れやと思ってたわけがないやろ。
彼女はずっとお前の気持ちに応えたいと、その時がようやくやってきたと思ってたのにこんなことになってしまった。
お前は連絡を絶ってる。
彼女は取り返しのつかないことをしてしまったと思ってる。」
「十七歳のあの日、あの子をみつけたと思ったんやろ。ほんならこんなことで逃げたらあかん。今が一番あの子がお前を必要としている時やで。わかるやろ」
僕は本当に恥ずかしかった。
いつもどんなときでもキミのそばにいようと決めていたのに、自分の苦しさに負けてしまっていた。
「斉藤、はじめて言うけど、ありがとう。」
僕はもう駈け出していた。
キミに続く道へ。
キミと初めて会った日からずいぶん時が流れた。
今日僕はあの時の風を思い出しながら言ってみようと思う。
「ちょっと早いけど、僕は十七歳でほんまにみつけたのかもしれんなぁ」って。
そんなことを言う僕を、きっとキミは笑って見ているだけだろう。
完