仮面の裏

日常の吐き出し場。嬉しいことで半分以上占められたらいいな〜。カテゴリの○は気持ちが明るい。×は暗い。△はその間。

3.11に思うこと

2021-03-12 22:19:00 | 
まずはじめに伝えておくが
普段私は自然災害や人の死について
なんにも考えていない。

これから真面目に書いていくけど、四六時中そういうこと考えているわけではないので。普段の記事でわかるかとは思うが、私は自分のことでいっぱいいっぱいな、その程度の人間。

以下、特に被災者は気分を害す内容かもしれません。
私の体験を正直に記します。
無知が故のバカさです。
私のように無知な人には読んでもらいたいかも。

東日本大震災で私が失ったものは無い。
無いけど、その震災の一部を体験していた。

10年前のあの日、私は修学旅行で東京を訪れていました。

この建物とその周り、という範囲が決まった上での自由行動。その建物の割と高い階にいました。(何階かは覚えてないけど、低くとも6階以上のフロアにいました)

ゲームセンターでは無いのですが、観光向けのゲームのようなものが配置されており、友人Aがそれを楽しんでいるところ。
それをお喋りしながら友人Bと眺めている。

そんな時に揺れを感じ、一気にそれは大きくなりました。あまりに大きく感じたその揺れは、アホみたいですが"建物の揺れ"だと思いました。

私「え!何!?地震!?(笑)」爆笑
A「揺れてるけど(笑)」ゲームを続ける
B「怖い怖い」(笑)

私達の班はこんな感じ。
一応、普通に立つのは難しくてしゃがみました。
けど少し先の方を見ると私服の若い女性二人が「怖い怖い怖い怖い」と青ざめたような顔でお互いの肩に手を置き、しゃがみこんでいました。

それを見た私は、大袈裟だなとしか思いませんでした。

揺れが一旦収まると、笑っていた私には想像できないことが起きた。

階段での避難

もちろん修学旅行生だけじゃなく一般観光客もいたので階段はすぐにごったごた。

避難させられた頃まではあぁお腹空いたもっと見たかったのになんてまだそんなことを考えていた。

しかし建物を出て向こう側を見ると煙が上がっており、友人と「火事かな?」と話したことも覚えている。

少ししたら引率の先生と合流し、更に当校の避難場へと移動。点呼をとり終えるとバス待機となった。

このバスにはテレビがついていて、ずっとニュースを観ることとなった。

地震というより、津波のニュースだったというのが印象深い。

もう記憶が鮮明では無いので記憶違いがあるかもしれないが、この辺りから事の重大さに気付いていく。

死者が2桁、3桁、4桁と。明らかにさっき見た情報と違う。と分かるような変化のある報道。
クラスメイト皆、地元にいる家族に連絡を取るので必死だった。災害のせいなのか回線が込み合ったせいなのか、なかなか連絡がとれない。
私がこの時初めて連絡を取れたのはテレビを観て心配して電話してきてくれた叔母だった。
あんなに母にかけても繋がらなかったのに。

私の安否確認はこれにて完了。多分16時頃だったかなぁ。

実はこの日、修学旅行最終日だった。

のに。

飛行機が飛ばないことになり、帰宅するのが翌日となった。この日1日延びてしまった修学旅行は当校だけじゃない。他校にいる友人達もその該当となった。

想定外の事で夕飯が必要となり、生徒にはおにぎり2個セットが配られた。しかしそれは容器が悪かったのか、おにぎりに容器の紙素材っぽいものがくっついており、食欲を削がれた。

翌日も何時に帰れるか分からないからと、お腹空いたら購入済みのお土産を食べるように指示された。

何時に帰れるか分からない中、多分時間制限の上で空港で自由時間があったんだと思う。

携帯の電池がもたないからと、充電器探しの旅をしたのを覚えている。それが買えるお金残ってて良かったよね…

震災の翌日には地元へ帰れました。





私の地元は地震があってもせいぜい震度1~2。
気づかないくらいの地震が多い。高いところにいると気づくかも。みたいな。

過去の大震災の話を聞いたことがあっても、体験したことないからその大事さがわからず。初めての大きな揺れにはワクワクしてしまいました。

あの時バスで観たニュースもそうなのですが、地元に帰ったあとのニュースの方が一段と"大事なことが起きた"という実感をさせられました。

災害後の悲惨な状態や悲痛な声がたくさん共有されたからです。

自分がいたところはあんなに大きな揺れだったのに、全員が無事で帰れたのは不幸中の幸いだったのだと。



昨日、11日も実家にいる間に
あれから10年
というタイトルでニュースを拝見しました。

普段はこんなこと何も考えていないのですが、東日本大震災に関することを見たり聞いたりすると、必ずあの日の私はバカだったなとそんなことを思い出します。

怖さを知らなかったと言っても、あんな大事なことが起きている中揺れに笑っていただなんて。あの揺れが原因でどれだけの被災者が出たか。

誰に迷惑かけた訳でもないが、今となってはあの頃の無知な、幼い、バカな自分が許せない。

それに危機感を持てないのは危なすぎる。完全に逃げ遅れるタイプ。


昨日観たニュースの話題に戻りますが、
インタビューを受けていた男性が
孫と娘を津波で亡くしたと。

転んだ孫に娘が駆け寄った時に津波にのまれたと。

それを想像してしまって、目に涙が溜まるだけ。かける言葉なんて見つからない。

そのニュースは津波の動画を流していたが無言で見ることしか出来なかった。
水の流れで家が流れて、電柱が倒れて、車や船が転がったり流されたり。

本当に何も言葉が出ない。



昨日この記事を書いていましたが同じカテゴリでも多数派からズレた経験についてでしたので、あえて遅らせて公開させて頂きました。

昨日、いくつか震災の記事を読ませて頂きとても胸が痛む思いでした。
私のように大きな災害を未経験の方は、甘く見た考えから逃げ遅れることがあるかもしれません。こんな私はたまたま運が良かっただけです。

未経験である人こそ、最悪な事態を考えてその先を行動するようにならないといけない。私はそう思います。災害の経験がある人だけが気をつけてもそれはできうる対策としてとても足りないものだと思いました。

地元の今の若い子たちが、私のような後ろめたくなるような経験を今後しなければ良いのですが。

思い出す度、私は辛い気持ちになります。

被災者へ直接的な支援は出来ないのですが、
今は小さな命を預かる場に携わっているので、より一層最悪な事態を考えて危険の回避をできるよう、自分の出来ることを尽くしていきます。

務めた頃から真面目にやってはいますが、やはりまずは避難訓練をしながら疑問になったことを質疑・解決していき、より良い判断能力をつけるべく頑張っていきたいと思っています。(頑張っています)

まあ災害の規模がどうしても違いますが…
それは仕方ないので、この場のやり方を会得しながら柔軟な対応力を身につけていきます。

長々失礼しました。