
「詩を書いてる」というと、世間では好感よりは比較的にマイナスっぽいイメージが強いようだ。
そう、僕も詩を書いていた。
詩を書くようになったのは高2のこと。
当時付き合っていた彼女(それなりの大恋愛だったと今でも思う;)と、第三者の意図で無理やり別れさせられた(!?)後にそのいてもたってもいられないような精神的につらかった時期があった。遠い地へ行ってしまったために、離れ離れになることを余儀なくされたのだ。
当時高校生だった自分には想像すらままならないような遠い地であった。
するとどうだろうか、それまでの自分の人生というか毎日の生活の中ではまったく感じることのなかったような、不思議な感情が湧き出してきたのだった。
初めて味わうその気持ちを、感情を、なんとか形にしておけないものだろうか、後々に自分で振り返るとき、ただなんとなく思い出すのではなくて、もっと鮮明に思い出すことが出来れば、今後の自分の性格や人格に大きな影響をもたらすのではないだろうか。そう考えたのだった。
そしてものすごい勢いで書いたのが、とある一つの詩。
そのときの頭の中にはあるメロディーが鮮明に鳴り響いていて、
そのメロディーにのりながらその詩は5分足らずで完成した。
それが人生で初めて書いた、自分の詩であった。
それと同時に、永久に誰かの耳に聴かれることのない、
最初で最後の曲だった。
詩人はキモいだとか、詩を書く人は理解できない、関わりたくない、そう考える人たちがいる。
もちろん、僕自身も、世の中のミュージシャンや詩人たちのすべての詩や詞に賛同できるわけではない。ましてや、それが素人の作ったものならばなおさらだ。
だけど 僕は書き続けたし、それを隠すことなく、多くの人に読んでもらえるようにしてきた。
もちろん、褒めてくれたりだとか、好きといってくれる人も多くいたが、その逆がいたのも確かだ。
自分の考えだとか人の考えだとか、そういうものを数行の文章で表現すること、それを読んで何かを感じることはそんなにおかしなことだろうか?
詩を書く上でそれが下手くそだとか、上手だとか、そういう比べ方をする人もいるだろう。
けれど詩はどれでも素敵にその作者を魅せてくれる。
惨めなキモちや切ない気持ち。
うれしかったり、苦しかったり。
なにかを主張したり、誰かに伝えようとしたり。
詩人はキモいという人の書く詩を、僕は読んでみたいと思う。
きっとまた素敵にその人を魅せてくれると思うから。
まぁそういう自分も、どこかでキモいとか思っているのかもしれないな。
だって同じ人間だもの。
その可能性は否定できないよね。皮肉なものだね。
自分の感情やモノの考え方を形にして誰かに伝えるという点では、世の中のあらゆるものが詩と同じ要素を持つことになるだろう。
音楽だってそうだし、映画だってそうだ。
小説だったり漫画だったり、そういったメディアもそうだろうけど、新聞記者だって、テレビのコメンテーターだって、ニュースキャスターだって同じことじゃないのか。
さらには普段使っている食器や家具だって、誰かが考えて作り、その気持ちやセンスを伝えようとしたものだろう。
生きてるからには、表現しなきゃ。
だってみんな、誰かとお互いを知りたがるものじゃないか。
誰かのことを知り、自分のことを知ってもらう。
そうじゃなきゃ、生きてる意味がつかめないでしょ。
そう、僕も詩を書いていた。
詩を書くようになったのは高2のこと。
当時付き合っていた彼女(それなりの大恋愛だったと今でも思う;)と、第三者の意図で無理やり別れさせられた(!?)後にそのいてもたってもいられないような精神的につらかった時期があった。遠い地へ行ってしまったために、離れ離れになることを余儀なくされたのだ。
当時高校生だった自分には想像すらままならないような遠い地であった。
するとどうだろうか、それまでの自分の人生というか毎日の生活の中ではまったく感じることのなかったような、不思議な感情が湧き出してきたのだった。
初めて味わうその気持ちを、感情を、なんとか形にしておけないものだろうか、後々に自分で振り返るとき、ただなんとなく思い出すのではなくて、もっと鮮明に思い出すことが出来れば、今後の自分の性格や人格に大きな影響をもたらすのではないだろうか。そう考えたのだった。
そしてものすごい勢いで書いたのが、とある一つの詩。
そのときの頭の中にはあるメロディーが鮮明に鳴り響いていて、
そのメロディーにのりながらその詩は5分足らずで完成した。
それが人生で初めて書いた、自分の詩であった。
それと同時に、永久に誰かの耳に聴かれることのない、
最初で最後の曲だった。
詩人はキモいだとか、詩を書く人は理解できない、関わりたくない、そう考える人たちがいる。
もちろん、僕自身も、世の中のミュージシャンや詩人たちのすべての詩や詞に賛同できるわけではない。ましてや、それが素人の作ったものならばなおさらだ。
だけど 僕は書き続けたし、それを隠すことなく、多くの人に読んでもらえるようにしてきた。
もちろん、褒めてくれたりだとか、好きといってくれる人も多くいたが、その逆がいたのも確かだ。
自分の考えだとか人の考えだとか、そういうものを数行の文章で表現すること、それを読んで何かを感じることはそんなにおかしなことだろうか?
詩を書く上でそれが下手くそだとか、上手だとか、そういう比べ方をする人もいるだろう。
けれど詩はどれでも素敵にその作者を魅せてくれる。
惨めなキモちや切ない気持ち。
うれしかったり、苦しかったり。
なにかを主張したり、誰かに伝えようとしたり。
詩人はキモいという人の書く詩を、僕は読んでみたいと思う。
きっとまた素敵にその人を魅せてくれると思うから。
まぁそういう自分も、どこかでキモいとか思っているのかもしれないな。
だって同じ人間だもの。
その可能性は否定できないよね。皮肉なものだね。
自分の感情やモノの考え方を形にして誰かに伝えるという点では、世の中のあらゆるものが詩と同じ要素を持つことになるだろう。
音楽だってそうだし、映画だってそうだ。
小説だったり漫画だったり、そういったメディアもそうだろうけど、新聞記者だって、テレビのコメンテーターだって、ニュースキャスターだって同じことじゃないのか。
さらには普段使っている食器や家具だって、誰かが考えて作り、その気持ちやセンスを伝えようとしたものだろう。
生きてるからには、表現しなきゃ。
だってみんな、誰かとお互いを知りたがるものじゃないか。
誰かのことを知り、自分のことを知ってもらう。
そうじゃなきゃ、生きてる意味がつかめないでしょ。