最近気付いたこと、いえ、変わった事があります。先日息子が海外へ行っていた、2週間・・一人だけの為自分のペースだけで日々を過ごす事ができました。
個展の後で忙しかったせいもありますが、意外や意外、スペシャルな何々がしたいとか、特別何かが欲しいとか、そんなことがなくなっていた。毎朝、まったく同じ時刻5時13分にパッと目が明き、少しの間、ベッドの中で
ぼーっと、そして起きる、2時間仕事をする。それから朝ごはん、家事をする。その繰り返し、淡々と繰り返す。 例えば朝ごはん、一枚のトーストと野菜スープとヨーグルトとサラダ、それを2食続ける事もあったけれど嫌ではない、同じものを同じ時間にできることが口にすることがなんだか心地よい。
変わったなぁ~私・・・・・、いい事か悪いことあ分からないけれど年をとると言う事はこういう事なのかと実感。
一昨日実家に行き、同じ話をした、その同じ事が出来ると言う事に感謝よね。・・と。階段から落ちて腰を痛めていた母、私の生き方を見て
「令子に負けないように頑張って元気でいなくちゃ」
と笑顔が戻ってきた。愚痴の多かった母・・。
宥めたりすかしたり、叱ったり、諭したりしましたが、結局言葉なく私の生き方をみて
「もう他人の態度など気にせずに楽しく生きていくわ」と言ってくれた。以前も母から
「一生懸命生きるということを娘である令子から教わりました。死ぬその日まで一生懸命生きます」
という手紙をもらった。
私には今、お金を出して贅沢をさせる余裕もなく自分の”生きる”でぎりぎりです。でも唯一、ぎりぎりだから示せることがあるとしたらその姿を両親には見せてあげたいと思うのです。ぎりぎりだから一生懸命の中に未来を感じると思うのです。
死ぬその日までの未来は誰もが持っている。
他人との悩みにエネルギーを使うのはもったいないからやりたい事やって楽しく生きてねと言う言葉を残して帰宅。今日はホームベーカリーが届く、このGWの間にパンを焼いて両親に食べさせてあげようと思うのです。
私流の親孝行、それは誰でも近づいてくる死、短くなる生の時間、残された時間でどれだけの単純な笑いを作って上げられるかです。