この時期、色々なところで来年のカレンダーをもらいませんか?
私は風邪で喉をすっかりこじらせて行った耳鼻咽喉科で、「どうぞ」と言われて断ったばかりです。
時々、カレンダーを家に幾つも掛けてあるのを見かけます。(私の実家なんて正にそれですが)
うちには1つだけです。カレンダー、そんなにいるのかなぁと疑問。
そして大抵は下部に「◯◯動物病院」とか「美容室□△」などと書いてあるのです。
「くれるから、もらう」のでしょうけど、使わないならもらわなくていいし、
断れなくてもらったからと言って、律儀に掛けておく必要はないのですけど。
この時期は雑誌にも付いてくることが多いですよね。これはちょっと断れない。
中崎タツヤさん並みに、レジで「付録のカレンダーは要りませんので、外してください」と言ってしまえばいいのかも。あと、本屋さんの袋は本当にもったいない。あれは断りたいモノNo1かも。
(気になる方は中崎タツヤさんの『もたない男』を是非一読下さい)
話が逸れてしまいましたが、私が少し前に購入したESSE11月号にもバッチリとスポンサー広告の入ったカレンダーが付いてきました。すかさず下のロゴ部分をカッターで切り取り、上の写真部分は折り返してダブルクリップでとめて見えなくして使っています。
今年の10月から来年12月まで使えたので、早速入れ替えました。
これらのことで何が言いたいかというと、
「何気ない文字の氾濫が雑音になるので、部屋には極力文字を視界に入れないようにしている」
ということです。
他の例で言うと、うちはオーブンレンジを置いたメタルラックの下側に、琺瑯のパンケース(?)を置いていますが、片側には「CAKES」の文字。
それはそれで可愛いのかもしれないけれど、私はそんなものに可愛さを求めていない。
文字が書いていない方をこちらに向けて使っています。
※写真に撮ったら、文字がある方がパキッとしていい感じですが。
意味のよくわからない英語とかフランス語が書かれたTシャツなんかもめっぽう嫌いで、
基本は無地かボーダー。
この辺のことは、金子由紀子さんの著書にもよく書かれていて頷くこと多々あります。
同じように"東南アジア辺りで、よく分からない日本語Tシャツを見る"らしいです。
ネイティブからすると、きっと吹き出すようなモノが多いんじゃないんでしょうか。
こんまり先生の本にも、押入れの中の段ボールの文字の氾濫について書かれた部分がありました。
見えない部分にある段ボールの文字さえ雑音になるのだから、リビングなどに文字があるのはきっと落ち着かないもとだと思います。
家が何だか落ち着かない時には、この文字たちを一斉に駆逐していくのが効果的だと思います。
パッケージとか特に。
まぁ単に私が神経質なのだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
居心地のいい家にするために、私はこれからも文字の氾濫にストップをかけていきます。
活字は好きなんですけどね~。
今日はカレンダーを例に挙げましたが、家の中に入れるものを選ばないとスッキリしない。
特にノベルティやおまけなど、タダでもらうものは往々にしてすぐゴミになるのだから、初めから断った方がいい。
買い物の際にも同じことが言えます。
今日も、靴下一足のために袋に入れてくれようとしたので「シールでいいです」と断りました。
すぐゴミになりますものね。
なんだか随分ダラダラと書いてしまいましたが、ずっと下書きに入れておいた内容をやっと更新できましたー。