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今回のネタは、川越伊佐沼の干拓前の昭和初期まで水源だった赤間川です。
旧赤間川と言われて残っているようですが、どこから水が来て、どこへ行くのやら?
昔の面影をたどって、遡っていきたいと思いますよ。
2月に「伊佐沼代用水路」の水源をたどって、見失った轍は踏みたくないですね。
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地図で見ると「旧赤間川」の移り変わりはこんな感じ。
伊佐沼が干拓される前の昭和初期は、柳橋の「鴨田排水」まで伸びていたと思います。
現在は「鴨田排水支川」「伊佐沼代用水路」が横切っているので「鴨田排水」には繋がらないようです。
「今昔マップ on the web」より加工 今昔マップ on the web
「地理院タイル」より加工 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
まずは「旧赤間川」スタート地点に立ちます(❶)。四ツ谷橋のたもと、多分ここで間違いないでしょう。
川をさかのぼる前に、四ツ谷橋でどの水路に繋がっていくか?
・・・いきなり壁に仕切られていますよ(❷)。
「旧赤間川」は、「伊佐沼代用水路」「鴨田排水支川(御成都市下水路)」とも繋がっていません(❸)。
今回の撮影地点はこんな感じです。
❶がスタート地点ですが、どこに繋がっているのか?下流へ行ってしまいました。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
遡る前に下り始めてしまいました。一体どこへ行くのでしょう?(❹)
現在の伊佐沼の手前でいくつもの水路が交錯します。
「旧赤間川」は、江戸時代初期からある「薬師神社」のところで逸れましたよ(❺)。
北伊佐沼橋から上流側を見ています(❻)。
「伊佐沼代用水路」と「鴨田排水支川」は伊佐沼に入ります。
「鴨田排水」は「伊佐沼代用水路」と「鴨田排水支川」を立体交差し、北伊佐沼橋をくぐります。
「旧赤間川」は「鴨田排水」と合流していたのですね。
「鴨田排水」と合流した「旧赤間川」はどこに行くのでしょう?
北伊佐沼橋から下流側を望むと、沼に沿って流れていきます(❼)。
春は桜並木がキレイなところです。
北伊佐沼橋のひとつ下流の橋は蓮見橋(❽)。
蓮見橋の欄干には「鴨田排水路」のプレートが・・・。
今回の撮影地点のおさらいです。
「旧赤間川」は❻のところで「鴨田排水」と合流して流れていきます。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
蓮見橋のそばに伊佐沼と繋がっていそうな分岐点(❾)。
そばに行ってみると水門が(❿)。
ここは伊佐沼の水を放流する水門みたいですね。
残念、伊佐沼との入口ではなく、出口でした。
さらに下流の橋、伊佐沼冒険の森連絡橋から水路を眺めます(⓫)。
伊佐沼へ流れ込む気配は全くありません。一体どこへたどり着くのでしょう?
やっと出口らしき場所、合流点です(⓬)。
結局、伊佐沼へ入ることが無く、伊佐沼を源流とする「九十川」と合流しました。
「旧赤間川」は、入口も出口も伊佐沼と完全に切り離されていました。
結局、スタート地点から一歩も遡ることなく、今回はこれにて終了。
分かったことは、
(1)伊佐沼の昔の水源、「旧赤間川」は現在は「鴨田排水」と合流する。
(2)「鴨田排水」は伊佐沼へ注ぎ込むことなく「九十川」へ合流する。
疑問に思ったのが、「旧赤間川」はいつ頃から伊佐沼と縁が切れたのか?
上流部分の新河岸川への川の繋ぎ変えは、昭和13年頃です。
では下流部分、伊佐沼に入る部分はいつ切れたのでしょうか?
手始めにこちらを調べる必要がありそうです。
伊佐沼の水源を遡るという企画が、いきなり頓挫してしまいました。
続きますが、ローカルネタゆえ人気がありませんので、花画像の合間にたまに作ります。
この分だと長いシリーズになりそうです。
最後までご覧いただき有難うございました。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。