いろいろ調べながら、近所を歩く「探求散歩」です。
現在のテーマは「旧赤間川」で、ダラダラ回数が重なります。
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今回の撮影地点です。今までで一番、移動距離が短かったです。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
前回は「二丁町用水」を遡るという、道草の途中で終わってしまいました。
でも、「樋」のところからU字溝をたどってきたら、「田谷堰」も目前です(❶)。
そろそろ「二丁町用水」の探索も終わりになるか?と思っていたのですが、
先日、道路台帳を調べていて、この辺りに「圦橋」という記載があるのを見つけました。
「圦橋」の近くを撮った画像を探したら、1枚だけありました。5月の撮影です(❷)。
「圦橋」を知ったのは最近なので、この時は橋がある事を意識して撮影していません。
右の路地から水路(現在はフタがしてある)を渡る橋だったのでしょうか?
現在は、橋の跡形もないようです。
「圦」という言葉は、嶋田勝郎さんの「赤間川物語」にも載っていました。
赤間川が、新河岸川と繋がる以前の「田谷堰」付近について、下のように述べられています。
「本流に設けられた堰と用水への引入口となる圦があった」
新河岸川と繋がっていない時代の「旧赤間川」、現在とはルートが少し異なります。
「赤間川物語」巻末の「田谷堰附近略圖」と、明治期の地図を参考に下図を作ってみました。
道路台帳に「圦橋」と記載されていた周辺が、昔「圦」があった辺りではないでしょうか?
航空写真では、終戦後から昭和50年くらいまで、「圦橋」の存在を確認することが出来ます。
カラー写真になってから、影などで橋が確認できず、いつ頃なくなったかは不明です。
また、「圦橋」の左側に橋のようなモノが見えますが、堰の遺構かもしれませんね。
航空写真は国土地理院のものを加工しています。https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
8月中旬に、再取材に訪れたので、「圦橋」があった辺りを撮ってみました。
路地側から撮影してみました(❸)。用水路が広かった頃は、橋が無いと不便だったでしょうね。
通りの側から撮影です(❹)。U字溝は、橋のところで切れています。
道路台帳では、左側(下流)部分が完全な暗渠となっているらしいです。
U字溝の切れ目が不自然ですが、この辺りにコンクリートの建築物を壊した痕があります。
橋があったらしき場所に、鉄筋の入った残骸や四角いブロック(❺)。
もしや「圦橋」の痕跡では?確かめようはないですが・・・。
「圦橋」の話題はここまでとして先に行きます。
おしまいに想像写真です。今も橋として残っていたら、こんな感じでしょうか?(❸)。
今回の撮影場所の一覧です。「田谷堰」周辺の画像が中心です。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
「圦橋」を通り過ぎて、やっと「赤間川(新河岸川)」目前に来ました(❻)。
この大きめの升が、「二丁町用水樋管」と繋がっていれば、用水の起点ですね。
グレーチングの中をのぞくと、150mm位の塩ビ管が通っています(❼)。
升のほぼ正面は、「二丁町用水樋管」と書かれている水門です(❽)。
水門の真下をのぞいて見ると・・・升の中にあった塩ビ管が続いています(❾)。
やはり、食品流通センターから続く水路は「旧赤間川(田谷用水)」ではなく、「二丁町用水」の遺構でした。
これが「旧赤間川」だったら、これで赤間川散歩も終了だったのですが・・・。
まだまだ「旧赤間川」には、紹介したいことが残っており、先へ続きます。
ところで、なんで塩ビ管なんか出ているのでしょうか?(❿)
そう言えば、5月初めに来たときは、塩ビ管の先端部が付いていませんでした(⓫)。
これは川から水を汲み上げているのでしょうか?
水面に塩ビ管の先端が見えます。ブルーシートで養生してあるみたい。
もう一度、升の中の塩ビ管を見てみると、東側(左)へ90度曲っています(⓬)
塩ビ管の先は・・・ポンプ小屋みたいですね(⓭)。
川の水を汲んで、どこへもっていくのでしょう?
画像が10枚を超えてしまいました。今回は50mも進めませんでしたね。
長くなるので、キリが良いところでお開きとします。
このポンプ小屋らしきものは何なのか?次回考えてみたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。