風の日

35歳で不妊治療を始め、最後の望みに懸けて38歳で夢クリに転院し妊娠→出産!
41歳になりました。

ブログ終了のご挨拶

2012-07-30 15:07:05 | 夢クリ陽性判定後

7月23日に夢クリを卒業して、1週間が経ちました。

まず、卒業の翌日に大出血した時のことを書いておきます。


産院(総合病院)で、
子宮頸ガン検査 → 内診 → 診察 → 採血の指示を受け、
指定場所に行こうとした時に起こりました。

何か出たような感覚があったので、おりものかな?と思い、
とりあえずトイレに行って確認すると‥

下着一面、鮮血で真っ赤でした。

慌てて産婦人科の受付へ戻り、事情を説明すると、
看護師さんが先生に確認しに行ってくれたのですが、
「器具があたった刺激での出血でしょう」 と伝えられました。

今まで内診でもガン検診でも出血したことなんてなかったのに‥
本当に大丈夫なんだろうか‥

不安になり、「鮮血が大量に出てるんです!」と訴えても、答えは
「2~3日で止まると思うので、止まらなかったり量が増えてくるようなら
連絡してください」
と看護師さんに言われるだけでした。

お腹が痛くなければ大丈夫 というようなことも言われたと思います。
安静にしておいて とは言われなかったけれど、
あまり動きまわったりはしないようにしていました。

大量に出たその後は量も減り、茶色い血になり、4日で止まりましたが、
この先また出血しないとも限らないわけで、やっぱり安心は出来ません。




このブログは、“こんな私の妊娠できるまでの軌跡”
を残したいと思い、始めたものでした。

妊娠することだけがゴールではないけれど、もしも、妊娠出来たとしても、
妊娠中のこと、育児のことをブログに書こうとは初めから思いませんでした。


ブログを始める前は、ここまで経験を積んでしまった私からしてみれば、
不妊治療とは言ってもタイミングだけ、人工授精まで、初めての体外受精
という、自分よりはるかに軽いであろう治療歴のブログよりも、
自分と同じような回数をこなしておられる方、それ以上に頑張っておられる方
のブログを読むようになっていました。

身近に治療経験者が居ない私は、
その辛さを誰とも分かち合うことができずにいたので、
自分がブログを書き、それをぶつけよう と思ったのです。

私と同じように、なかなかうまくいかずに苦しんでいる方に読んでもらえたら‥
と思いました。


夫は治療には協力的だけれど、所詮は男。
女の気持ちや立場(子供のいない家庭という)なんて
本当のところはわかるわけがない。

姉や母親に治療の話はするものの、実際に経験者でもないのだから
私の気持ちを心底理解できるわけもない。

ましてや、若い頃出来ちゃった婚した友達になんて相談できるわけもない。
治療を始めたばかりの頃、少し話したことがありましたが、
そんなこと話されても(なんて答えたらいいのやら)困るオーラを感じ取った私は、
それ以降その話題は避けてきました。もちろんむこうからも触れてこず‥


このブログだけが、治療のこと・私の気持ちのすべてをさらけ出せる場でした。


中には、心ないコメント、体外受精自体を批判するコメントなどもあり、
傷ついたことも少なくはありませんが、
それ以上に、温かい言葉や励ましの言葉、「とても参考になりました」という
嬉しい言葉もいただき、それが心の支えとなり、続けてこれたんだと思います。

治療について相談されたり、ご自身の状況を報告してくださることが嬉しく、
あぁブログをやって本当に良かった と思えました。

自分だけが辛いんじゃない。 頑張ってる人はたくさん居るんだ。
私もくじけず頑張らないと! という気持ちも沸きました。


これまで読んで下さった皆様、本当に、本当にありがとうございました。
いつもコメントをくださっていた方々、私のほうがいつも励まされていましたよ。
「ブログやめないで」という言葉もいただき、驚いたのと同時に、本当に嬉しかったです。


私のこの経験が、
一人でも多くの方のお役に立てたのであれば、
少しでも励みになれたのであれば、
何かを踏み出すきっかけになれたのであれば、
本当に嬉しく思います。




以前、ユメちゃんの予定日が2月23日、
私の誕生日も23日、結婚記念日も23日と書きましたが、
振り返ってみると、この卵を採卵した日も23日でした。
そして、卒業も23日となり、23という数字に縁を感じています。 自己満足ですが‥



これで私の “風の日” を終わります。

勝手ながら、この妊娠において重大な出来事が起こった時は、
ご報告させていただきたいと思っております。


7ヶ月間という短い期間でしたが、中身はとても濃かったんじゃないかな?
と自分ではそう思っています。


治療を頑張っておられる皆様のもとに、赤ちゃんがやってきてくれることを
私も心から願っています。
治療がうまくいかず、くじけそうになった時は、このブログを、私を思いだして下さい。
私のカルテには、
「卵巣機能不全」「多嚢胞性卵巣」「排卵障害」「卵管采癒着」「高プロラクチン血症」
と、ずら~っと書かれてありました。
でも移植10回目で奇跡が起きました。
自分を信じてください。
あの時諦めないで良かった と思える日が来ると信じて、
踏ん張ってください!!



読んでくださった皆様へ感謝の気持ちを込めて
本当にありがとうございました。
qoo-8




 

 ・Kクリニック(不妊治療)  2,290,010円
 ・左卵管切除手術・入院費用(子宮外妊娠)  171,640円
 ・漢方費用(7ヶ月間)  142,059円
 ・Oクリニック(不育症検査)  26,920円
 ・Aクリニック(不育・着床障害検査)  57,170円
 ・神戸元町夢クリニック(不妊治療)  1,681,062円

 不妊治療に費やした期間  3年4ヶ月
 不妊治療に費やした費用  4,368,861円





これまで応援してくださり、本当に
本当にありがとうございました。

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今になって大量出血‥

2012-07-25 17:58:32 | 夢クリ陽性判定後

9w2dになった一昨日の7月23日、無事に夢クリを卒業しました。

これまで出血もなく、順調にここまで来ました


・・・・・・と、書くつもりでいたのですが、

昨日、紹介状を持って産院へ行った時、大量に出血してしまいました。

一瞬にして青ざめました。

医師には、「妊娠初期にはよくあること。2~3日様子見て、ひどくなるようなら
電話して」と言われましたが、
(出血後はエコーで確認してもらえず、口答だけで)
こんなに大量の鮮血なのに?! と、不安で仕方ありません。
それもよりによって、夢クリ卒業の翌日に‥。

現在、出血量は減っていますが、止まってはいません。


本当は、夢クリ卒業の区切りで、このブログも終了するつもりでいましたが、
今になっての大量出血に、一気に不安な気持ちになってしまったので、
症状と気持ちが落ち着いてから、改めて最後の日記を書かせて下さい。


引っ張ってすみません。
どうしてもスッキリとした気持ちで最後を締めくくりたかったので‥。




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妊娠出来た理由を考えてみる。

2012-07-19 18:03:19 | 治療を振り返って

思えば、結婚2ヶ月前より不妊治療専門院へ通い、
私のこれまでの結婚生活は不妊治療一色だった
といっても過言ではありません。

流産や子宮外妊娠の手術後も、充分な期間を空けることなく採卵し、
ひたすら治療に突っ走って来た日々でした。

ただ、その時は、こんなに長くかかるとは考えてもみませんでしたが‥。

体外受精をすれば妊娠出来る と思っていたのはもう記憶に古く、
なぜこんなにも妊娠できない 卵も採れるし、胚盤胞にもなるのに‥
と、不本意で仕方ない辛い毎日でした。


結果が出ず、納得いかない治療法と医師の態度。
このままじゃ諦めるにも諦めきれない。

9回もの移植。 その多くは2個戻し。
結果が出ていなくても、それでも私は自分の体を信じていました。
私は絶対に妊娠できるんだと。


だから、今、もし通っている病院の治療方針に、少しでも疑問を感じたり、
納得がいかない部分があるのなら、
思い切ってすぐにでも転院してほしい と、経験上思うのです。

長く同じ病院に通っていて、良い結果が出ていない場合も同じです。
目安は3~4回(移植)してダメなら‥とよく言いますが、
せめて5回で見切りをつけるべきだった と自分の時を振り返って思うのです。


                       


都会にはいくつかの有名な病院があり、比較的転院もしやすいと思うのですが、
私の地元には、全国的に有名な病院はありません。

専門院がひとつあるだけで、私の知る限り、あと二つ、
体外受精を行っている病院がありますが、どちらも産院としてがメインです。

そんな理由から、転院がここまで遅れてしまったことを悔やみました。


病院が変われば、うまくいくこともあります。
良い(自分にあった)病院に変われば気分もモチベーションも変わります。
今まで未知であった部分が判ることもありました。

私がKクリニックで体外受精を受けた期間は26ヶ月。
移植数9回もとなると、下手に経験を積んでしまい、もうベテランの域というか、
体外受精に関して知らないことなんてないのだ とさえ思っていました。


夢クリに転院して、ようやく信頼出来る医師に出遭うことが出来ました。

培養技術の重要性も知り、胚盤胞を5日目朝の時点で判断する
(グレード付けなど)のはまだ早く、大きさ次第でその後も培養を続けて
成長を確認すること(初期胚盤胞の状態で変形が始まったり、
成長が止まってしまうことが多い為)、時間と大きさの基準
(KLCのこれまでの膨大なデータによる妊娠確立が高いとされる基準)
があることなどを初めて知ることができました。


体外受精を始めた頃は、当然今よりも年齢も(卵子も)若かったのに、
これまでグレードの良い5日目胚盤胞を数多く移植しても妊娠できなかった
私の場合でも、移植した卵すべてに染色体の異常があったとも考えにくい。
そのうちの何個かは、妊娠出来る力を持った卵であっただろうとは思います。

5日目の胚盤胞でも、成長が早くて充分な大きさに育っていれば、
もちろんそのほうが着床する可能性は高いと思いますが、
私の場合は成長がゆっくりで、5日目の時点ではまだ小さいことが多く、
移植してもすぐに着床できる状態ではなかった=子宮の“着床の窓”
とのタイミングが合っていなかった か、
移植後、成長が止まってしまうことが多かったのではないかな‥と考えています。
 ※Kクリニックでは胚盤胞のグレードしか知らされていないので、大きさに関しては全くわかりませんでした。

胚盤胞移植では子宮外妊娠にはなりにくいと言われていても、
そうなってしまったのは、これも原因のひとつでは‥?とも‥。


私が今までと比べてこんなに効率良く成功できたのは、
夢クリのこの方法が、この技術が、功を奏したのだと思っています。

                


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今改めて母への感謝。

2012-07-18 12:03:52 | 夢クリ陽性判定後

8w3dの昨日、ユメちゃんデカっ でした。

先生が、
「標準より大きいわ~。9週の大きさあるよ。週数間違ってないよね
と、慌てて計算し直してました。 もちろん間違ってません(汗)

私にしてみれば初めての経験で、比べる対象も知識も何もないけれど、
確かに1週間前と比べてかなり成長していたのがわかりました。
細長かったのが二頭身になり、丸々としてきたというか‥。

先週も「標準より少し大きめ‥かな?」と言われており、
「まぁ今の時期はどこからどこまで測るかも微妙だからねぇ」
というお話だったのですが、やっぱりデカかったか

といっても、まだまだ2cmちょっとの大きさです。

順調であれば、来週卒業になります。

昨日も運悪く、行きも帰りも電車が遅れました ほらやっぱり‥



今、私は病院のない日は横になっていることが多く、
家事もあまり出来ていないのが現状で、
近くにある実家を頼りにしているのですが、
母の時はどうだったのか と今回改めていろいろと話を聞いてみると・・・・

当時、うちはスーパーをしていたので、
母は妊娠中でも仕事を休むことはできなかったそうです。
悪阻でしんどくても、厳しいおじいちゃん(父方)に
「妊婦は病人じゃない!」と言って休ませてもらえなかった と‥。

母は、のどかな長野県から見ず知らずのこの土地に嫁いできて、
商売を一から手伝わされ、こちらに親しい知り合いも居なく、
かと言って長野へは簡単には帰れる距離ではないので、
心細くて辛い思いをたくさんしてきたと思います。
(その頃の父は、かなりの亭主関白だったので‥)

出産の前日まで、いつも通り開店から閉店まで冷えた店の中で
大きなおなかを抱えて仕事をし、私達を産み、
その後も変わらず毎日仕事をしながら育ててくれた母に、
今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになりました。

私は実家の近くに住み、調子が悪い今は親を頼り、本当に恵まれているんだ‥
と母への感謝をしみじみ感じている今日この頃です。。。




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採卵・培養の質

2012-07-13 09:14:34 | 治療を振り返って

 「体が選んだそのひとつの卵を採りましょう」

 完全自然周期採卵(がウリの病院)は
、 卵がひとつしか採れない

  
私も初めはそう認識していました。

今まで3年間で4回の採卵、すべて高刺激で採卵してきた私にとっては、
「1個か~‥。10個採れてもダメだったのに、その1個に懸けるのは勇気がいるな‥」
と、正直少し抵抗がありました。

いつも高刺激で10個前後採れていたことに安心していました。
やっぱり 数打ちゃ当たる って単純に考えてしまいます。
凍結がたくさん出来れば、なんとなく安心もできる。。。


でも、こんなに卵が採れてきたにもかかわらず、妊娠できていない現実‥。


数じゃない‥。
刺激法が変われば卵の質も、これまでの悪い流れも変わるかも‥
と、ふと感じ、今までと全く別のやり方をしている病院に転院しよう
と思い立って、夢クリに転院を決めました。


夢クリ1周期目は、自然には排卵できないと訴えた私でも、
薬一切なしの完全自然周期で、
先生が今後の治療方針を見極める為の大事な期間のようでした。

思った通り、いつまでたっても卵胞が育たず強制リセットとなり、
次の周期からは、私に合った低刺激での採卵を目指しました。

低刺激‥というか、私の場合は薬&注射(1~3本)だったので、
中刺激と言うべきか‥。

それでも、高刺激の時とは比べ物にならないぐらい、
体への負担も少なかったように思います。
(採卵後のホルモン値も問題なく、続けて採卵できていたので)

過去の高刺激周期の時、
採卵→移植→判定→陰性→出血が始まったにもかかわらず、
2週間以上も体温が下がらず、
その後ルトラールを飲んでもまだ下がらず、
その後も高温を維持‥

結果として3ヶ月間も高温層が続いたことがあり、
驚いた医師に、再度
妊娠検査をされそうになったぐらいです ← あ、ありえん‥



夢クリ3回目の採卵では、
 ・フェマーラ(3日分+追加で3日分)
 ・フォリスチム3本

7個の卵(成熟卵5個・未成熟卵2個)が採れたので、受精数で考えると、
高刺激で採卵した時とさほど変わらない(またはそれ以上の)数になり、
自分でも驚きました。

自然周期(がウリ)の病院でも、方法や体質によっては
こんな数が採れるんだ‥と意外でした。

夢クリで3回採卵した内、こんなに数が採れたのはこの時だけなので、
運が良かったというか、たまたま卵巣の反応が良かったのだと思います。


そして、前の病院もそうですが、おそらくほとんどの病院では、
成熟卵しか受精(培養)させていないのではないでしょうか‥。 違っていたらごめんなさい

私も高刺激の採卵をしていた頃は、成熟や未成熟よりも、
採れた卵の数 だけを気にしていたように思います。

受精結果は、採れた数の半分になってしまった ということもよくありました。
※ 異常受精もあるので、全部が全部、未成熟卵だったというわけではないのですが


高刺激の病院の場合、ここからが重要なのですが、
いくら高刺激でたくさん卵が採れたとしても、未成熟卵が多いと、
たくさん採った意味はなくなってしまいます。
成熟卵しか受精させてくれないのですから、
採れた数ではなく、成熟卵の数が問題になってきます。


夢クリでは、未成熟卵を培養し、
成熟卵になってから受精させてくれるので、
未成熟卵も無駄にはなりませんでした。
※ 超未成熟卵の場合は無理なようです
   
貴重な卵のひとつひとつを大切に慎重に扱ってくれている
と感じることができ、恥ずかしながら、ここで初めて、
今までの未成熟卵はどうなっていたんだ‥
ということに気付きます。 


貴重な卵、そのひとつでも無駄にはしたくない。
未成熟卵であっても、培養し、成熟卵にさえなれば、
元々成熟卵として採れた卵と何ら条件に変わりはないのですから。


複数の卵胞が存在した時の採卵周期のポイントとして、
その複数の卵胞が、ほぼ同じ大きさで育ってくるかどうか
これがとても重要なのです。

すべてが成熟卵というのも難しい話ですが、
エコーでいくらたくさん数が見えていても、
その大きさがバラバラ過ぎるとダメなんです。


私はこの採卵周期、先生から
「今周期は良い傾向が出ている」
と言われたのは、これだったようです。

初めは言われた意味がよく解らず、
数がたくさん採れそうだからかな~と思っていたのですが、
大きさのバランスが良い という意味合いも含んでいたようです。

未成熟が2個ありましたが、培養後に成熟卵になり、
受精も出来ました。


せっかく高刺激でたくさん採れても、未成熟卵は破棄される運命にあるのだとすると、
連日の注射で卵巣に鞭打ってまでたくさん採ったのに‥と虚しくなります。

高刺激でたくさん卵が出来るほど、大きさをそろえるのは難しいことだと思いますし、
結果的に、未成熟で採れて、破棄されてしまう卵が何個かあるというのも
仕方ないことなのかもしれませんが、
その卵が妊娠出来る強い生命力を持っていたかもしれない と思うと、
なんだかとても残念で悲しいことに思えてしまうのです。




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