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上野 成就院 やすらぎ修行会「プチ法話」

御大師さまのご縁日である毎月21日。成就院では「やすらぎ修行会」を行っております。
ご参加お待ちしてます。

第167「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/4/21

2025-04-21 13:25:14 | 第101回~第110回
4月8日は、釈尊のお誕生を祝う「花まつり」。成就院も門前に花御堂を出し、甘茶とお菓子の御接待を致します。この良き日に夫の供養にと巡礼に訪れたAさん。門前でいろいろお話しを伺いました。このご縁で、毎月毎月「やすらぎ修行会」、「モグモグ食堂」に参加頂くようになりました。

 お料理上手なAさん、楽しくおしゃべりをしながら丁寧に料理を作って下さいます。まったく調理経験がないスタッフの「作品」をチラと見ると、小声で「思ったような物が出来あがらないのも大変ね」と労ってくれました。子供たちが流しにトレイを持ってくると、目線を下げ「よく食べてくれてありがとう。運んでくれて偉いね」と声を掛けてくれました。その後黙々とプレートを洗っている姿が印象的です。 
 
コロナ禍に入り交流が途絶えてしまいましたが、6年ぶりにお電話があり、ご子息の車で来てくれました。現在要介護5で車椅子でないと外出はできないとのこと。成就院HPからプチ法話を読み、私の母親が在宅介護であることを知り、いてもたってもいられず来てくれたそうです。とにもかくにも、直接声を掛けたい。再会を喜んだ後、耳元で「体はだいじょうぶですか」と労って頂きました。「モグモグがほんとうに楽しかった」とも。大きな慈愛の光を注いで頂きました。

次々回6月の「やすらぎ修行会」は土曜日の実施。ご子息はお休み。ぜひ車で来て本堂の外からでも一緒にお参りしたい、明日からそれを目標に過ごしたいとのこと。こんなにお寺を大切に思ってくれている、住職をつとめてほんとうに良かったと思ったひとときでした。

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第166回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/3/21

2025-03-21 09:12:48 | 第101回~第110回
早朝、近くの公園には、ラジオ体操をするため大勢の方が集まっています。掃除をしている方、筋トレに励んでいる方、おしゃべりしている方、それぞれが朝のひと時を思い思いに過ごしています。体操開始。軽快なリズムにのって体を動かしますが、中には、手を動かしているだけで、体を反ることも、腕を伸ばすこともされていない方が散見されます。これって果たして意味があるのか?

母がベットの上で暮らす生活になり半年以上。今は、週に一度ずつ、理学療法士、言語聴覚士の方が訪れてくれます。体を動かさない暮らしは筋肉が固まってしまう。グーパーや、肩や膝を曲げたり伸ばしたり。「痛い」という時もありますが、だいぶ曲がるようになりました。

 言語聴覚士の方は、「ぱたぱたぱた」「たからたからたから」「ぱたからぱたからぱたから」と発声の訓練、そして歌をうたったり…。以前は口をすすいだ後、水をゴクンと飲んでしまいましたが、今は勢いよくペッと吐き出すことができるようになりました。声を出すことで喉の筋肉が鍛えられるのです。

それと「巻き爪」が痛いとも。巻き爪となる原因の一つに「歩かない」ことがあるそう。歩いていると体重がかかり爪が平らになるのだとか。歩かないと爪の本来のカタチに育っていき「巻き爪」に。

 ご飯を食べて、出掛けて、おしゃべりを楽しむ。このごく当たり前の日々の振る舞いが、生命を維持していくためのシステムを支えている。私たちの体とは、実に精妙なるメカニズムによって成り立っているのですね。

公園に行って、ラジオ体操をし、おしゃべりを楽しむ、それこそ大切なこと。「意味があるのか?」なんて思ってしまい、たいへん失礼をいたしました。

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第165回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/2/21

2025-02-21 17:17:00 | 第101回~第110回
昨年12月、いよいよ母の在宅介護が始まろうという時、看護師さんから教えて頂いた「介護の心得」。①睡眠をしっかりとる、②少しずつやる、③介護をひとりで抱え込まない、④介護だけの一日にならないようにする。「介護」の語を「仕事」に置き換えれば「日々を過ごす心得」になりますね。

介護が始まると、食事の介助、薬を飲ませる、歯磨きをする、マッサージ、おむつや点滴の交換などなどやるべきことが増えます。また、お医者さん、看護師さん、言語療法士、理学療法士、入浴サービスの方々ありがたいことに毎日のように誰かが状況改善のため手助けに訪れてくれます。

 さて「介護だけの一日にならないようにする」には?妻は数年前から興味を持つようになった幕末史のYouTubeを作業がてら次から次へと視聴しています。ちょっとした時間を見つけては、江戸城、後楽園、上野寛永寺、小塚原刑場跡など幕末史跡巡り。筋トレ動画を見ては、毎日腹筋、背筋、腕立てを。ヨーグルトを食べ、破損した筋繊維の修復に努めています。新たな事にチャレンジ!

私は、13年続けてきた、気仙三十三観音霊場徒歩巡礼の今までを、「エッセイ」という形で地元の方にお伝えしたいと執筆開始。一月半で1200字の原稿25本を書き上げ、いよいよ地元誌「東海新報」誌上での連載が始まりました。

 昔から「忙中閑あり」といいます。綿々とやるべきことが連なっている日常ですが、心を向けて目をこらすと、ポッカリと「すきま時間」が見つかることもある。ささやかな楽しみを掘り起こし、自らの生涯に彩り加えていきたいものです。



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第164回「やすらぎ修行会」プチ法話 2025/1/21

2025-01-21 13:28:36 | 第101回~第110回
学生の頃、高山病になり意識不明、ヘリで病院に搬送・入院したことがありました。真夜中、隣の人がブザーで看護師さんを呼び出すと「薬をまだ飲んでないんだよ。お前じゃだめだ!医者を呼んでこい」と切れています。看護師さんは、「お薬はちゃんと飲んでいますよ」「ごめんね」と何度も謝っています。私は理不尽な態度にイライラ。また、どうして「ごめんね」と謝るのか分かりませんでした。

我が家でも母の「在宅介護」が始まりました。数ヶ月入院していましたが、人と話すことも少なく、天井ばかりを見ている毎日、見舞いに行っても言葉が少なくなり、反応もか弱くなっていきました。

 家に帰っての暮らしでは、ベッドの角度を上げると「痛い」、おかゆに薬を混ぜて飲ませると「甘くてまずい」、マッサージをすると「苦しい」など。マイナスの感情が言葉になって放たれます。

 そんな時、どんな言葉を返すのか。「ごめんね」「どう痛いか分かってあげられなくて」、「ありがとう」「おいしくないのに食べてくれて」、「苦しいね」「どう苦しいの」。

まず、高ぶった心を鎮めること。「ごめんね」「ありがとう」はいったん相手の心を受け止める言葉。あなたのしんどい今に寄り添いますよ、という意味なのですね。この言葉を仲立ちに会話が紡がれていくのです。言葉が交わされ心が動くことにより、少しずつ心が柔らかになり、生きる力が湧いてきたように思えます。「食卓に行きたい」「本堂でお参りしたい」など。へらず口もだいぶ復活しました。

 いつくしみは智慧が溶け込んでこそ、発動するものなのですね。

数十年前のモヤモヤした疑念に、ようやく言葉が与えられ、スッキリいたしました。

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第163回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/12/21

2024-12-21 15:38:57 | 第101回~第110回
教員時代、山岳部の合宿では、各駅停車一日乗り放題の「青春18きっぷ」にお世話になりました。8時半に上野を出発。足を投げ出し本を読んでいましたが、ウツウツ。目覚めると筑波山が。再度本を読みまたウツウツ。いわきで購入した駅弁を食べ、皆とトランプに興じます。外には海が広がっています。だいぶ遠くに来ました。その後、ビルの群れに分け入ると、仙台に15時過ぎに到着。

京都へ行くときは、わずか2時間10分で着いてしまうので、もちろん新幹線を利用します。でも、車内ではどうも本が読めません。すばやく流れゆく車窓の風景に気を取られるのでしょうか。あまりのスピードをどこかで感じ取り緊張してしまうのでしょうか。車窓からの風景で覚えているのは、もちろん富士山!それと浜名湖周辺の湖の上を走っているように感じる所ぐらいです。

各駅停車の旅は、車窓からの風景を愛で、同行とのふれあいを喜び、地元の食を味わう、ゆっく
りゆったり過ごすことで「旅行くこと」を五感で感じ取ることが出来る。でも、せわしない日常を過ごしている人には、まずかなわない、贅沢な時の過ごし方です。新幹線でぴゅーっとすっ飛ばして目的地に向かうしかありません。

人生の味わい方も旅と同様、効率を求めて過ごさねばならない日々ですが、たまにはゆったりと「今、生きていくこと」を五感で感じながら過ごすことが大切です。「各駅停車」と「新幹線」、ふたつの物差しを持ち、意識して使い分けることが大切なのではないでしょうか。

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第162回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/11/21

2024-11-21 13:34:10 | 第101回~第110回
陸前高田市広田半島の先端、鳥の囀りや風のそよぎが聞こえる森の中、カフェ「森の小舎」がひっそりたたずんでおり、前庭には朱色で塗られた円筒型の「漂流ポスト」が設置されていました。これは、宛所のない手紙が漂流し、そして漂着するポスト。大切な人を失った苦しい胸の内を吐露した手紙が気仙ばかりでなく全国から千通以上も漂着いたしました。

 今年から、ポストと手紙が徒歩巡礼で訪れる慈恩寺さんに移管され、私も初めて目にしました。

 ある手紙には「向こうからの眺めはどうですか。ゆっくりのんびり過ごしていますか。でも心は冬の日の寒さの中。誰にも本音を打ち明けることが出来ず、いつも一人風の中です…」と記されます。「逢いたい。逢いたい。逢いたい」と「逢いたい」が連ねられている手紙、また「あのとき助けることが出来なくてごめんな。左手でつかめなくて。「俺つかむとこない」という最後の言葉。その後、親父の沈んでいく姿。苦しかったべ」と後悔と懺悔が綴られた手紙もありました。

 別の手紙には「一番嬉しいのは、出会えたこと 一番寂しいのは、会えなくなること 一番悔しいのは、伝えられないこと 一番怖いのは、忘れ去られること」と記されます。

悲しみは乗り越えるものではなく、抱きしめて生きていくもの。繰り返し思いを言葉にすることで、その「覚悟」がカタチをなしていくのではないでしょうか。

 「弔う」とは「訪らふ」。私もずっと気仙を訪れ、弔いを重ねて行きたいと思います。

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第161回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/10/21

2024-10-21 09:34:58 | 第101回~第110回
 グランドに怒声が響くクラブがありました。部員の動きが気に入らないと、顧問が全員を止めて「指導」する。その時、部員は「下を向いて声が頭の上を通り過ぎるのをじっと待っている」のだそうです。言葉として認識せずに音としてやり過ごすのが自らを守る術だったのでしょう。結果どうなったのか。怒鳴られないよう自分の所にパスがくるとすぐ他人に回してしまうようになってしまったとのこと。

 とある子ども食堂にお手伝いに行ったとき。トレイに食事を載せた子どもがテーブルに向かおうとすると、デンと転んでしまいました。ちょと足が不自由な様子です。ママは、「せっかくの食事がもったいない。どうしてできることをちゃんとやらないの」とどなります。子どもは泣き出し、他のママたちが片付けをしてくれています。新たに食事を盛りつけ、なだめなから食べさせてくれる人もいます。ママは怒りが収まらず、向こうの部屋へ。
 
 「はぐくむ」の語源は、親鳥がひなを羽で包み大切に優しく育てること。まず、スタッフへいっしょに謝り、いっしょにお礼を言うことが大切なのではないでしょうか。失敗しても背中を押して勇気づける、それが「はぐくむ」ということ。ただ叱られるばかりでは、結局失敗しないようにと、何もしない人間になってしまう。

でも、片付けを手伝ってくれたママはこう言っていました。「ママは、だいぶ疲れているんじゃないかな」と。ママも子どもも、温かな心で優しく包んでくれていました。

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第160回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/9/21

2024-09-19 16:15:14 | 第101回~第110回
 「しんちゃん」から着信があり、折り返すと、「あら間違っちゃってごめんなさい。でも元気そうな声が聞けて良かったわ。またこちらに来た時に寄って下さいね」とのこと。

 「しんちゃん」は奥多摩駅前の細い小路を入った所にある居酒屋です。大学時代、先生に連れて行かれてから、かれこれ30年以上も通っています。といっても一年に一度行くか行かないかですが…カウンターに6,7人で一杯というお店。冷奴、マイタケの天ぷら、鱒の塩焼き、おでんなど、その時ある物を出してもらっています。生ビールと地酒「澤乃井」で無事下山をお祝いします。乾杯!
 
 お客は気さくな地元の方ばかり。フジ子ママも加わり、「どの山に登ってきたの」「若い頃は登ったもんだけどもう足が痛くて」「スーパーがなくなって不便になった」「前に比べるとお客さんがだいふ減ったわ」…。私も長い間訪れている街なので、いろいろな話題が共有できるのです。

翌日は、体を酷使した末の筋肉痛とともに、「しんちゃん」でのほっこり感を身にまといながらひと日を過ごします。そして、また奥多摩の山に行きたいなと思うのです。

 帰りの電車で酔って熟睡していた時のこと、「青梅で乗り換えだよ。また奥多摩に行っちゃうよ」。揺り動かされ目を開けると「しんちゃん」での飲み友、ひげ面の通称「王子」(私と同じ年)が起こしてくれました。きっと近くで心配して見ていてくれたのですね。助かりました。

成就院も「しんちゃん」のように「日だまり」のような場所でありたいと思っています。

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第159回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/8/21

2024-08-21 12:36:07 | 第101回~第110回
 パリ・オリンピックが閉幕しました。インタビューの中で印象的だったのは、多くの選手が「この場を楽しみたい」と言ったこと。長年厳しいトレーニングを重ね、辛いことも、苦しいことも、喜びも経験して今ここに立っている。「緊張を楽しむ」ということは選ばれし者のみが見られる風景なのでしょう。

体操個人総合で金メダルを取った岡慎之助選手は、少年時代極めて消極的な性格だったといいます。新たな技にチャレンジする時もコーチから厳しく指導されようやく一歩を踏み出し、ミスをした理由を聞かれてはいつも「きつかったからです」としか答えられなかったとか。

 そんな彼の転機は、膝を痛め手術をしたとき。トレーニングでできないその時期に、コーチから一週間に一冊本を読み感想文を書くよう勧められました。果たしてどのような本を読んだのでしょうか。アスリートのエッセイなのか、自己啓発本なのか、はたまた小説なのか?

練習に復帰すると言葉が紡ぎ出せるようになったとのこと。成功、失敗の原因を説明できるようになり、必要ないと思えば断れるようになった…。それから以前にも増して生き生きと演技ができるようになったそうです。

言葉を得るとは考える手立てを得ること。考えることで自らを見つめ、そして変えていくことができる。 私たちも新たな言葉を獲得して世界を広げ、自らを更新していかなくてはなりません。

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第158回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/7/21

2024-07-21 15:38:15 | 第101回~第110回
大学時代、農家を営む先輩の実家へバイトに行きました。雑誌広告には「男の子も女の子もワイワイガヤガヤ あなたも涼しい八ヶ岳山麓で高原野菜を収穫してみませんか。交通費支給。三食昼寝付き」と記されていました。ちょっと楽しそうな気がしませんか。

 朝5時起床。まずサニーレタスの収穫、段ボール組み立てなど。朝飯前の仕事です。朝食後、見渡す限り広がる畑に連れて行かれると、先輩が一言「今日はあの木の所まで収穫するから」。ずっと向こうに木が小さく見えます。一人は白菜を根から切り、もう一人は4個を箱詰めし、でかいホチキスでバチバチ蓋をし、私が黙々と畑脇のトラクターへと運びます。一箱20キロ!トラクターが一杯になるとトラックに積み直し、荷台の幌に掴まって農協の集荷場へ。今度は積み下ろしです。

一番多い時は一人で140箱。疲れ果てて言葉が出ないというのは初めての経験でした。昼食後は爆睡。昼寝をしないと午後働けません。ビールは飲み放題と言われたので、やけくそでガンガンのみました。一週間経つと体はムキムキに。5,000円×7日+αで4万円をゲット。
 
 お店の野菜売り場には、光を浴びた瑞々しい野菜が並んでいます。ここに至るまで、畑の収穫から始まり、農協の方、トラックで運んでくれた方、市場の方、店頭で並べる方などなど、果たして何人の方の手を煩わしたのでしょうか、どれほどの労力と時間をかけて今ここにあるのでしょうか。

 食作法の一節を記しおきます。「この食は ほとけの恵み 命の糧を 心静かに戴きます」。

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