上野 成就院 やすらぎ修行会「プチ法話」

御大師さまのご縁日である毎月21日。成就院では「やすらぎ修行会」を行っております。
ご参加お待ちしてます。

第144回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/5/21

2023-05-22 10:55:24 | 第101回~第110回
 ゴールデンウィークの岩手の気仙は、藤、芝桜、水仙、菜の花、芍薬、ツツジなど色とりどりの花が微笑みかける「桃源郷」でした。麗らかな空の下、20人程度の方と歩き詣りをしてきました。

 巡礼にいつも参加してくれるMさんは、明るくおしゃべりをしているかと思うと、ビュースポットではサッと列を離れスマホ撮影を。同行で一、二を争う元気印です。とはいえ、5年ほど前、雨の後、外出先でつるんと尻餅をついてしまったところ、なんと大腿骨を骨折。つらいリハビリを乗り越え、巡礼に参加できるまでに回復しました。でも最後尾を守ることが多く、距離が長い区間や坂道が続くところではサポートカーに乗っていました。

今回、同行の友人に励まされ、疲れが出てくるお昼前の5キロ、先頭にぴったりとついて歩くことにしました。「疲れるから話さない」「写真を取るのは我慢」「左手のストックが役に立っていない」「それ3メートル離れた」、と「指導」を受け黙々と歩ききりました。やった、歩けた!

昼食後は車に乗る予定でしたが、「なにかどこまでも歩けちゃいそう」な気持ちになり、解き放たれたような面持ちで歩き切りました。 「すごいですねー。歩けちゃいましたね」と声を掛けると「今まで自信がなかったので、とにかく人に迷惑をかけてはいけないと思って、自分で枠をはめてしまっていたことにに気づきました」とのこと。

最後の霊場でのお勤めが終わると「やっぱり、優秀なコーチと観音様のおかげ」とにっこり微笑んでくれました。

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第143回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/4/21

2023-04-24 11:39:18 | 第101回~第110回
先日、書院で「パラコード編み」のワークショップが行われました。「パラコード」とはパラシュートの吊り紐のこと。アウトドアに使用されてきましたが、アクセサリー等を編むことが流行しているそうです。

 先生は82歳の方、作品をデパートに出品するほどの評判です。しかし、キャリアはまだ2年ほどだそう。夫の介護が厳しく暗いトンネルのような日々を過ごしていたとき、お嫁さんが「こんなのやってみない」と「パラコード編み」についてのYouTube動画を見せたそう。それから、介護をしながら見よう見まねで腕をここまで上げたとのこと。

そもそもワークショップを開くきっかけとは、知人がパラコード編みのおしゃれなリードを付けて散歩をしているワンコに遭遇、衝動的に「この組紐で私のウクレレのストラップを作ってほしい!作った方を教えて!」と飼い主さんにお願いしたことです。積極的ですね。その後、ウクレレにパラコード編みのストラップを付けて教室に行くと、あちこちから「私も作りたい」との声が。

3時間みっちりと教えていただきましたが、編み方が特殊な編み始めと終わりがとても難しい。みなさん、輪の中を通したり、紐をクロスしたりとパラコードと必死に格闘しておりました。
 
 終わるとき、一緒に付いてきてくれたお嫁さんが涙ぐんでいたとか。きっと、皆さんから「先生」と呼ばれ、明るく堂々と説明をし、参加者全員から感謝されている。大変だったあの時を知っているお嫁さんは思わず心が高ぶったのではないでしょうか。

 「いつやるの。今でしょ」という言葉がひと頃はやりました。新たなチャレンジにもう遅いのではと臆することなどないのですね。

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第142回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/3/21

2023-03-22 13:52:10 | 第101回~第110回
  とある雑誌に掲載されていた「いいじゃん会」。ひとしきりアルコールが入って場が暖まり盛り上がってくると「告白タイム」の時に。一人一人が順に仕事でへこんだことや彼氏とのいざこざなどを高らかに披瀝します。その時は皆で「いいじゃん、いいじゃん」と連呼。「会則」として、この時は「いいじゃん」以外の言葉を発してはいけないとのこと。テンションあげあげでビールがガンガン進みそうです。

 「しゃぁねえ教」というのも目にしました。ひとしきり「告白タイム」が終わると「しゃーねーしゃーねー、そぅりゃあしゃーねー…」と『般若心経』をお唱えするが如く声を揃えてお唱えするとか。複雑な思いが交響し深い声音なのでありましょう。こちらはぐっと落ち着いた雰囲気ですね。

 「生老病死」を「四苦」といいます。まあこう仰々しい言葉を挙げるまでもなく、生きていく過程では、思うに任せぬことが陸続と現れます。そんな日常の中、真面目な人ほどそれらの澱をため込み、心のキャパシティーを越えてしまうことがままあるようです。そうなる前に凝り固まった心を解き放つ
ことが大切。

 「しゃーねー」ことはたくさんあるゆえ、「いいじゃん」と笑い飛ばさないとやってられません。名を聞くと笑ってしまうような集会ですが、参加する方にとっては大切な時間/空間なのでしょう。いちいち説明しなくても思いを共有できる仲間は大切ですね。

 重たいことが起きても「いいじゃん」と吹き飛ばしましょう。

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第141回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/2/21

2023-02-21 15:41:07 | 第101回~第110回
お盆の時期に山谷のど真ん中、玉姫公園を会場として「山谷夏まつり」が行われます。いつもはガランとしていますが、この日ばかりは大勢の人で賑わっています。

 入口では、アルミ缶の買い取りを行っています。市場価格より高値で買い取り、そのお金でこの日を楽しんでもらおうという心配り。屋台がたくさんでており、煮込みやフランクフルトお好み焼きなどなど。厚焼き玉子を器用に焼いているおじさんは元寿司職人だとか。どれも100円台と極安。缶ビールもほぼ原価で販売しています。

 夏まつりのスタートは追悼法要から。バックネットに亡くなった「仲間」たちの写真が飾られ、その前に焼香台が。我々が読経する中、おじさんたちが列をなし、敬虔な面持ちで香を頂いては亡き方に手向けています。私たち僧侶は、浄土宗、日蓮宗、真言宗、曹洞宗などいろいろな宗派の者が。日本の仏教界では、教学上、共に読誦できる経典がないため、宗派の垣根をぐっと低くし、『般若心経』、お念仏、ご唱題、ご真言と皆でお唱えいたします。

ビールを片手に屋台の食べ物を買い歩き、みなさんだいぶ盛り上ってきました。まつりは、盆踊りが始まり最高潮に盛り上がります。当時お元気だった山谷の玉三郎もいきな手つき腰つきで踊っていました。するとその時、突然ザーッと大雨が。

おじさんたちも、支援団体の人も、外国人バックパッカーも、ただただ雨を浴びながら歓声を上げては一心不乱に踊り続けています。いろいろな隔たりを取り払い、渾然一体となった空間が生まれました。このような場から新たなモノやコトが生まれてくるのでしょう。今思い出してもゾクゾクワクワクするひとときでした。

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第140回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/1/21

2023-01-21 09:05:43 | 第101回~第110回
津波で大きな被害を受けた陸前高田の街は、15メートルのかさ上げがなされ、その上にスーパーや飲食店がまずでき、図書館、市役所、市民ホール、博物館などの公共施設が建ち、街としての機能も復旧しました。しかしある方は、は「一年後には一年後の、三年後には三年後の、十年後には十年後の『悲しみ』がある」と仰っていました。世界は整えども、悲しみは消えることはない。

 地元の方と共にお参りする「気仙三十三観音霊場徒歩巡礼」も10年を重ねました。コロナ禍の中、一昨年は中止、昨年は、地元の方々による運営とし、東京に住まう私どもは、リモートにて巡礼に参加しました。23名の参加。

お堂の階段にスマホを立てかけてライン電話で気仙と東京を繋ぐと、画面にはおなじみの皆さんの姿が映ります。そして、お経をお唱えしている声、風の音、鳥の鳴き声も聞こえてきます。一緒にお参りをしている感覚を共有できました。スイッチをオフにするといつもの成就院本堂、不思議です。

ライン電話のテスト、経本の配布をしてくれた方、準備体操をリードしてくれた方、「新型コロナウイルス感染拡大防止接触者確認用」用紙を作成、チェックして下さった方、サポートカーを出して下さった方、観音様ラベルの地酒「酔仙」を注文したくれた方、音声・音楽入りの巡礼動画をFBにアップして下さった方、共にお勤め頂いたご住職…。気仙に伺えないというビンチを助けて頂きました。

気仙の方とともに歩んでいこうという想いひとつで、活動を重ねて参りました。多くの方々の心が観音様に向かい、自らの思いで関わって頂けるようになりました。活動に「広がり」と「厚み」が備わってきたように思います。来春も、いかねば!とそわそわしております。


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第139回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/12/21

2022-12-21 09:02:21 | 第101回~第110回

おかざき真理作『阿・吽』(小学館)14巻完結!「阿吽」とは、弘法大師空海と伝教大師最澄のこと。混乱の平安初頭を舞台に、政界や南都仏教界も巻き込んでの人間模様が描かれます。

物語の中で、最澄は弟子たちに「全世界を救います」と高らかに宣言し、刃を突きつけられ命が脅かされた時でさえも「救います!それでも私は皆を救います!」と絶叫します。

しかし、物語には、最澄の荷に糞尿をいれる僧、女犯繰り返す僧、食べ物を奪うため人を殺める者も描かれます。また、飢饉で死にゆく者、天災で生きる場を失う者、遷都による工事で消尽してしまう者がちらりと描かれます。さらに、物語の外には、四苦八苦にさいなまれる衆生があまたいる。

 『法華経』では「生きとし生けるものは悟りを得ることが可能である」と説き、『涅槃経』では「生きとし生けるものは仏性を自らの中に持っている」と説きます。

 「生きとし生けるものを救う」という言葉を我が身体に重ね合わせると、圧倒的な高さで目の前に立ちはだかります。どのような手立てによって「救う」のか?何を持って救ったと言えるのか?

お勤めでお唱えする「五大願」には 「衆生は無辺なれども誓って度せんことを願ふ」とあります。伝教大師最澄の言葉とぴったり重なります。この言葉は、「願い」であり「誓い」でもある。暗闇の中で足下を照らし、不安な心をふるいたたせ先へと導く言葉なのです。

『阿・吽』を読了し、「誓願」という語がぐっと身に刻まれた思いが致しました。お釈迦様は「ただ犀の角の如く独り歩め」と仰っています。ただただ愚直に精進を重ねて参りましょう。

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第138回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/11/21

2022-11-22 09:20:42 | 第101回~第110回
越前の「ねこ寺」のドキュメントを見ました。ご先代がたいそうな猫好きで捨て猫を保護し、また譲渡会も行い、350匹もの猫を救ってきたとか。ただいま雲水さんとともに16匹の猫が住んでいます。

 休日ともなると近県からも車で大勢の方が猫に会いにやってきます。猫たちはベンチで寝そべっていたり、人の膝のうえで寝ていたり…撫で撫でされても、カメラを向けられても、子供たちに話しかけられても悠々と過ごしています。訪れる方もひととき心癒やされてお帰りになるのでしょう。

 ある人はストレスで仕事を休んでいた時、ここに通うようになりました。自由気儘に自分の好きなように生きている猫を見て、自分も肩肘張らずに生きていくのがよいかと思えるようになったそうです。
 
 また、毎日通っているというご近所の方は、「猫も生きていくのが大変そう」と。喧嘩番長の風太は、ひどく殴られたことにショックを受けボス猫の意識が薄れ、愛されたいという気持ちが芽生えたようで、人にすり寄ってくるようになったそうです。

人が苦手なのか、猫が苦手なのか、境内に入れず一匹離れて過ごす猫もいます。ペンチの下から出てこようとしない猫は、人のことは嫌いだけど、でも人のことは好きという「こじらせ系」とか。

 よく目をこらせば、16匹の猫には、それぞれの生き方がある。味わい深いですね。訪れる人々も自らの生き方を猫に投影して心寄せているのでしょう。

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第137回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/10/21

2022-10-20 19:54:05 | 第101回~第110回
思い返せば、一度目二度目の新型コロナワクチン接種の時期は、会う人会う人、副反応について語り合っていました。痛くて肩が上がらないとか、40度を超える高熱が出たとか、全身だるくて会社を休んだなど。私は腕がちょっと痛い程度、効いているのか不安になる程で拍子抜けでした。
 
 子供の新型コロナワクチン接種が始まりました。ワクチン接種の会場では、注射がいやだ!と大泣きする子が続出。看護師さんたちはだいぶ苦労しているようです。

 先生の中には、泣き叫ぶ子供を前に「ほら、腕を押さえて動かないようにして」と指示する方もいるとか。看護師さんたちは必死に腕を押さえつけるものの「ヤダ、ヤダ」とさらに手足をばたつかせ、大変な状況に。結局ワクチンを打たずに帰ってしまう子もいるそうです。

いろいろ頓智を利かせ落ち着かせる先生もいるそうです。「一回目より二回目は全然痛くないって知ってた?あれ、知らないの?」と言ったり、「君には髪の毛よりも細い針を特別に使ってあげるね。でも友だちには内緒だよ」とか、「今日は新しく開発した針のない注射をするからね。ちょっと向こうを見ててね」など。それまで泣いていても泣き止んで、看護師さんに腕を委ねる子も多いとか。

 また、別の先生は「そんなに注射がいやなら無理にしなくてもいいよ。でも、今日打っておいた方がいいと思うけどなあ。ちよっと考えてみてよ」と考えさせると、「56秒経ったらやってもいい」とのこと。「じゃあ、56秒数えたら注射するよ」、「1、2、3、4…」子供はおとなしく注射をさせたそうです。

やはり、強制的に押しつけるのではなく、自分で考えさせ、そして決定させるという方がよいようです。


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第136回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/9/21

2022-09-23 08:40:34 | 第101回~第110回
以前にもご登場頂いた、小児科医の熊谷晋一郎先生、子供の頃、脳性麻痺となり、現在は電動車椅子のユーザーです。

先生が生まれた1970年代、脳性麻痺は早期にリハビリをすればほぼ治ると言われたそうです。よって、物心つく前から、座位、膝立ち、片膝立ち、立位など「健常な」姿勢をなぞる訓練を、また寝返りの打ち方、茶碗の持ち方などの日常における「健常な」ふるまいを反復する訓練を、毎日、3度に分けて5、6時間行ってきました。母親からは常に監視され続け、思うような軌道で手足が動かないときは厳しく修正されたといいます。そして、「あなたはまだ努力が足りない」と叱責される。

 母親は、「この子を何とかしなくては」「できるだけ苦労はさせたくない」という強い愛情ゆえ必死にリハビリを行ったのでしょう。ちなみに仏教では「愛」とは執着です。自分を縛り付けるものであり、相手を縛り付けるものでもある。

 最近「愛より理解」という言葉と出会いました。「理解」とは、双方向の運動です。「どうして」と尋ね、返ってきた「答え」を味わいそして考え、次の問いを発する。その繰り返しによって少しずつ「理解」が深まっていくのです。

 「愛」を一方的な注ぐのではなく、何を心地よいと思っているのか、何が好きなのかを聞き出し「理解」することが必要だったのでしょう。

「愛より理解」この言葉は、私たちそれぞれが、噛みしめ、味わい、栄養としなくてはならないことばでありましょう。

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第135回「やすらぎ修行会」プチ法話 2022/8/21

2022-08-21 10:11:40 | 第101回~第110回
 街に戦禍の跡消えやらぬ昭和25年、浅草の外れ隅田川のほとりに「蟻の街」が誕生しました。「蟻の街」とは、戦火の為に家や仕事を失った人々が、廃品回収を生業とし共に暮らした街です。ひと頃は150名を超える人が住んでいたとうかがいました。

街はおよそ600坪、周囲を簡素な塀で囲まれていました。中心には屋根に十字架を据えた教会が、食堂や公衆浴場(ドラム缶風呂)、洗濯場、倉庫などの建物が建っています。門を100台の大八車や5台のオート三輪がせわしなく出入りし、中では運び込まれた物を分類する人、運ぶ人、値踏みする人、売りさばく人と役割を分担し、まさに「蟻のように」目まぐるしく働いていたのです。

仕事のないときは、皆で軽く一杯やりながら夕涼みをしたり、子供たちと運動会を行ったり、囲碁将棋に興じたり、青空の下髪を刈ったり…。なんと「蟻銀行」もあったとか。仕事の手間は全て渡すのではなく、貯金を推奨したのです。「蟻の街」は、困難に直面し心折れそうになった人々を支え、癒やし、力を取り戻させる、母の胎内のような「楽土」だったのでしょう。
 
それから10年が経ち、「蟻の街」は深川8号埋立地へと移転します。しかし、市街地から遠いことや高度成長期に入ると日雇い労働などがもてはやされたこともあり、次第に人が少なくなっていきました。人心が荒れた暗い時代にひとときの「きらめき」でした。

 「蟻の街」があった場所は、土が盛られ桜が植えられ「築山」と呼ばれています。そして、今も炊き出しが行われています。土地には昔の記憶が刻み込まれているのでしょうか。

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