上野 成就院 やすらぎ修行会「プチ法話」

御大師さまのご縁日である毎月21日。成就院では「やすらぎ修行会」を行っております。
ご参加お待ちしてます。

第158回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/7/21

2024-07-21 15:38:15 | 第101回~第110回
大学時代、農家を営む先輩の実家へバイトに行きました。雑誌広告には「男の子も女の子もワイワイガヤガヤ あなたも涼しい八ヶ岳山麓で高原野菜を収穫してみませんか。交通費支給。三食昼寝付き」と記されていました。ちょっと楽しそうな気がしませんか。

 朝5時起床。まずサニーレタスの収穫、段ボール組み立てなど。朝飯前の仕事です。朝食後、見渡す限り広がる畑に連れて行かれると、先輩が一言「今日はあの木の所まで収穫するから」。ずっと向こうに木が小さく見えます。一人は白菜を根から切り、もう一人は4個を箱詰めし、でかいホチキスでバチバチ蓋をし、私が黙々と畑脇のトラクターへと運びます。一箱20キロ!トラクターが一杯になるとトラックに積み直し、荷台の幌に掴まって農協の集荷場へ。今度は積み下ろしです。

一番多い時は一人で140箱。疲れ果てて言葉が出ないというのは初めての経験でした。昼食後は爆睡。昼寝をしないと午後働けません。ビールは飲み放題と言われたので、やけくそでガンガンのみました。一週間経つと体はムキムキに。5,000円×7日+αで4万円をゲット。
 
 お店の野菜売り場には、光を浴びた瑞々しい野菜が並んでいます。ここに至るまで、畑の収穫から始まり、農協の方、トラックで運んでくれた方、市場の方、店頭で並べる方などなど、果たして何人の方の手を煩わしたのでしょうか、どれほどの労力と時間をかけて今ここにあるのでしょうか。

 食作法の一節を記しおきます。「この食は ほとけの恵み 命の糧を 心静かに戴きます」。

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第157回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/6/21

2024-06-21 09:04:08 | 第101回~第110回
 『雑阿含経』に載る、「長者と4人の妻」のお話です。

「ある都」に、長者がおり、4人の妻がいました。第一番目の妻は、長者がこよなく愛し、高価な衣装を着せ、欲する物を全て与えていました。二番目の妻は、大変な苦労を重ね、多くのライバルと争ってようやく手に入れた妻でした。常に側に置いて言葉を交わしてはいるものの、第一番目の妻ほどは愛してはいませんでした。三番目の妻は、ときどき訪ねて愛し、気ままを言い合い、喧嘩をすることもありますが、すぐによりを戻す妻でした。第四の妻は、こき使いはするが、大切にしたり愛したことは一度もない、そんな妻でした。

 さて、長者が「遠い国」へ旅立たねばならなくなったとき、それぞれの妻に一緒に行ってくれるかと尋ねたところ、一番目妻からも二番目の妻からも断られてしまいました。三番目の妻は、城の外までは送ってくれるといいます。四番目の妻は、必ずお供をいたしましょうと答えました。

 この物語の「ある都」とは「現世」、「遠い国」とは「来世」のことを譬えています。それでは、「4人の妻」とは何を譬えているのでしょうか?

 第一の妻は「身体」、第二の妻は「財産」、第三の妻は「家族」、第四の妻は「心」の譬えです。

 それでは、あなたにとって一番大切なものとは何でしょうか。旅立つその時、誰に何を伝えたいと思いますか。

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第156回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/5/21

2024-05-21 13:39:06 | 第101回~第110回
青い空、川のせせらぎ、新緑の山並、色とりどりの花…春の息吹を全身に浴びながら、気仙三十三観音の歩き参りをしてきました。巡礼二日目、尾根筋を通る旧今泉街道からは、里山の裾に広がるのどかな山村風景を見渡せます。気仙川まで下りると、田植え前の代掻きの様子を眺め、のんびり堤防を歩きます。それから、国道へ出ると単調な道をただただひたすら歩くのみ。

 お昼を使わせて頂く常光寺さんにようやく到着しました。観音堂をお参りの後、ご本堂でご詠歌講の方々が心づくしの手料理を接待してくれました。山菜の天ぷら、しどけのおひたし、蕗の煮物、ウルイの酢味噌、タケノコの煮物、おそばなどなど。春ならではの山の物のほろ苦さ、香りが食欲をそそります。皆さん手分けをして朝から作ってくれたのでしょう。一同その心もありがたく頂戴しました。

 参加されていた方は、「御詠歌講の方の中にも一緒に歩きたい方がいるかもしれない。でもお料理を作って振る舞うというかたちで、巡礼に参加しているのかも」と仰いました。

翌朝その方は「「駕籠に乗る人、かつぐ人、そのまたわらじを作る人」という言葉があるじゃないですか。「駕籠に乗る人」とは誰なのか、昨日からずっと考えていたんです。「駕籠に乗っている」のは、亡き人を思う心や平和を思う心なのではないかと思いました」と仰いました。

 私たちは、それぞれの立ち位置で「駕籠に乗る人」に心を寄せ等しく関わっている。奉仕する人/される人という差異を無化していますね。ありがたい気づきを頂いた春の巡礼でした。

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第155回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/4/21

2024-04-21 09:55:21 | 第101回~第110回
ホームレス支援団体が運営する住居施設を訪ねた時のこと。チョイ知りの方の様子を尋ねたところ、入居者に金を借りる、喧嘩をする、ふいと居なくなる、果ては布団に放尿、押し入れに脱糞する…。担当者は「ルールが守れないの方なので退去して頂きました」と申し訳なそうに話されました。

子ども食堂を運営されている方とお話しをすると、乱暴な子がいて困っているとのこと。靴を履いたまま家に上がろうとする、机の上に乗る、食事を手づかみで食べる。食事の後も、入ってはいけない所に侵入する、物を隠す、罵る…。でも可愛いところもあるそう。帰り際にスタッフにそっと近づき「ありがと」と言ったとか。

 ママは、ずっとスマホをいじっているのだそう。子どもがトラブルを起こした時、何があったのかまったく知らないので、「きちんと側に居てあげてください」とお願いすると、「先生からは自分で気づかないと直らないので、近くで見守っていて下さい」と言われたとのこと。

 「見守る」とは、何かの時にはすぐに駆けつけその子を守ることができるよう、よく注意して見ていること。「目をそらし」ていては、注意すべきなのか、一緒に謝りに行くべきなのかさえ分かりません。

数年ぶりに会食を再開したところ、言い合いになり固い物を投げつけてしまいました。だいぶ力が強くなったので、もし怪我をさせてしまったらと心配に。とうとう一線を越えてしまったと判断したそうです。その方は「最後まで見守ることができなかった」と、複雑な顔で申し訳なさそうにつぶやきました。

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第154回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/3/21

2024-03-21 13:19:39 | 第101回~第110回
接客業の「さしすせそ」をご存知でしょうか。それは「さすがです」「しらなかった」「すごいです」「センスある」「そうなんですか」を言うそう。相手の自尊心をくすぐって、会話が盛り上がりそうですね。

以前デイサービスに伺い、利用者のおじさいさんおばあさんとお話しをする「プロジェクト・ダーナ」に参加したことがあります。「ダーナ」とは布施の意。「自分の時間をお布施する」という活動です。

 部屋に入ると「今日はお坊さんが皆さんのお話し相手に来てくれました」と紹介の後、テーブルに向かいお話しを伺います。私はおばあさんたちのテーブルへ。「あなたは何宗のお坊さんなの」「この近くに住んでるんだけど、バスが迎えに来てくれるんで楽なのよ」「食事をしてからお風呂に入るのが楽しみで」…。話に花が咲き一時間はあっという間。ホッコリした気持ちで家路へとつきました。

 次の月はおじいさんたちのテーブルへ。「お宅はどちらですか」「近く」、「お仕事は何をされていたんですか」「勤め人」、「午後は何をするんですか」「何をやるのかね」…。会話がブチッと途切れ繋がりません。会話の「さしすせそ」を繰り出す隙間もありません。時計をチラリと見ると3分しか経っていない。なんとあと30分もある!沈黙に耐える辛さ、何をしに来たのかという申し訳なさ。「布施」とはとらわれがあってはならないものですが、なかなかそうはいきません。憔悴してグッタリ帰りました。

この時、「私の総合力が試されている」という言葉が下りてきました。傾聴技術-相づちをうつ、目を見て話す、表情を柔らかく-を身につけることも大事でしょうが、相手をやさしく包み込むオーラを持っていることが肝なのでしょう。果たして今まで私は何を培ってきたのか?反省した一日でした。



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第153回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/2/21

2024-02-21 12:38:41 | 第101回~第110回
みなさまご存知の正岡子規。号の「子規」は「ホトトギス」とも読みます。結核に罹患し吐血した自分自身を、口の中が赤いため「鳴いて血を吐く」と言われるホトトギスに重ねて名を付けたそうです。

子規は、「花鳥風月」という美意識や技法にとらわれず、「写生」という理論を掲げ、作者のまなざしや実感を重視する詠み方を提唱しました。これにより表現の可能性が飛躍的に拡大したのです。

 瓶にさす 藤の花房 短ければ 畳の上に 届かざりけり     子規

藤の花房が畳の上に届いているのかいないのか、よく見るとなんと届いていなかったのだ、という感懐が一首の眼目。「けり」は「気づき」の助動詞といわれます。ここで注目すべき所は、花房を斜め上からではなく真横から眼差しているということ。作者の病臥している視線から見つめられているのが分かります。

 子規が活躍した10年は、病が日に日に重り行くとき。隣の部屋に行くことかなわず寝返りをうつことさえ辛くなりました。その閉ざされた狭い部屋の中で様々な「気づき」を得、多くの歌を詠みました。

確かに死を覚悟した子規だからこそ、感性が研ぎ澄まされたのかもしれない。しかし、私たちも、世界を見定めるまなざし、対象の本質を感じ取るやわらかな心が欲しいですね。そうなれば、周囲のモノやコトは、もっと私たちに活き活きと語りかけてくれるようになるのでしょう。


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第152回「やすらぎ修行会」プチ法話 2024/1/21

2024-01-21 13:07:47 | 第101回~第110回
「もう、夕方だ」「ああ、土曜日になった」「あれ、今月も終わってしまう」「ああ、春も暮れていく」…。身の回りに、いつも時の過ぎゆくことをぼやいている人はいませんか。こういう人の口癖は「まあ、いいか」だそう。自らが楽しみを見つけようとしていないということに気づいていないのでしょう。

 数年前、ご近所の一人暮らしの方が実家の近くに越されました。電話で話をすると「バス停やコンビニまで歩いて30分、買い物でさえも姪に車を出してもらわねば行くことができない。この地に閉じ込められて一生を終えるのか」と嘆いていらっしゃいました。

 最近お電話でお話しましたが、弾んだ声で「今が一番幸せ」と仰います。通っている病院の先生から教室を紹介され、昔から習っていた民謡のみならず書道と水泳の教室にも通っているとか。民謡の先生は、三味線も教えてくれることになった上、車での送り迎えも、なんとお菓子やお食事まで用意してくれているそうです。「周りからは図々しいと言われるけれど甘えちゃってるの」とキュートです。さらに「実はプールで一番派手な水着を着ているのよ」とのこと。

人間には「教育(今日行く所)と教養(今日の用事)」が大切だと言われます。「木曜日には書道教室、ついでにお買い物」、「来週は…」「来月は…」、行く先に連なる「楽しみ」が「生きる力」を供給し続けてくれるのです。

自らが作っている枠組から「エイッ」と一歩外へ出てみることが大切ですね。ワクワク楽しく過ごしましょう。

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第151回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/12/21

2023-12-21 10:20:46 | 第101回~第110回
玄関先で巡礼の方と世間話をしていると、菩提寺の住職が苦手なのだという話になりました。それは昔から、「どんな仕事をしているのか」「仕事は大変なのか」「両親は元気なのか」など一方的に問われるからだそうです。何か責められているような気になり早くそこを立ち去りたくなるのだとか。

 とりとめのない話を続けるロボット「ポケボー・キューブ」の番組を見ました。「ネコらしいね」「ネコね」「そうなの」「いるらしいね」「スナネコだね」「ふふふ」…。3体のロボットが互いに体を揺らせ、うなずきあいながら声を出しています。それが仲良く話しているように見え、なんとも癒やされるのが不思議です。

思えば日常の会話とは、共通の話題に熱中しているかと思いきや、あちらへこちらへと話が飛び、それぞれが話したいことを話している。筋があるようで無い、無いようで有る。それを楽しかったと満足できるのは、「相づち」や「うなずき」が感覚を共有させる「魔法のわざ」だからなのでしょう。

会話とは相手にゆだねる余白が大きいもの。自分でなんとかしなくては、と頑張るものではありません。場を共有し言葉を紡ぎ続けることによって抱く「幸せな感じ」は、「はかないもの」なのかもしれませんが、それこそ「私がここにいること/私がここで生きていくこと」を支えているのです。

 最後に俵万智さんの歌を一首。「すごいねという語が すごく見えてくる うなずくものが そこにいるとき」。さすが!

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第150回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/11/21

2023-11-21 09:54:40 | 第101回~第110回
深い森の風景にせせらぎ音や小鳥のさえずりが乗せられた動画がよく上がってきます。ざわついた心をリラックスさせるのに効果的です。でも最近は、ヘッドスパや、耳かきなどロールプレイの動画が人気だそうです。女性の「おかげんはいかがですか」「何でもお声がけください」という優しい声、施術の際にでる衣擦れの音、機具をコツンと机に置く音などとてもリアルです。その場にいる私を想像し、ああ、「大切にされているという安心感」がすっと眠りへと導いてくれるのでしょう。

 よく散歩の途中に立ち寄ってくれる保育園の子たち、木々の中に入ったり、坂を駆け上がったり下りたり、石を拾ったり、とてものびのびと過ごしています。いつも感心なのは、先生たちが子供たちに目を合わせて話を聞いてあげていること。「見守られているという安心感」が自由に遊び回れるベースとなっているのでしょう。大きくなるにつれ、それらの記憶の多くは失われてしまいますが、「感情の記憶」は残っているに違いありません。

 私の子どもの頃の記憶のかけらを探してみると、夜、おばあちゃんの薄暗い部屋に呼ばれ、こっそりキリンレモンを飲ませてくれたことが浮かび上がりました。冷蔵庫も無いためるかったと思います。でもないしょで飲ませてもらった映像とともに、やさしく温かな感触が残っています。親戚のおじさんや近所の方々、友だちのおばあさんなどなどたくさんの方に、かぞえられないほどの多くの機会に、やさしい心を掛けて頂いたのでしょう。でもそれらは、記憶の底に沈み浮かび上がってきません。

 そんな「感情の記憶」こそ、成長した後、人と繋がるための根となり力を与えてくれ続けているのではないでしょうか。こんな題の本と出会いました。『人は人を浴びて人になる』、素敵な言葉ですね。

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第149回「やすらぎ修行会」プチ法話 2023/10/23

2023-11-06 11:25:50 | 第101回~第110回
大阪西成発のフアッションブランド「NISHINARI YOSHIO」は、工房に集う70代、80代のおかあさんたちが、歩んできた人生や身近な人などから得た発想をデザインに落とし込んで製作した服のブランドです。その常識にとらわれない自由なデザインは、業界からも高い評価を得ているそうです。

昨年おかあさんたちに出された課題は、「自らの人生を象徴するファッション」。ずっと魚屋を営んでき方は、当時着ることのできなかったカラフルなエプロンを。真紅をベースに両腕の部分はカラフルな花柄です。子どもの頃貧しくてピアノを習えなかったという方は、ピアノの発表会で着る服を。黄緑と深緑を基調に首と裾には大胆なフリルが付けられています。

 ある方は、夫が亡くなった悲しさのあまり、思い出の品をすっかり捨ててしまったそう。唯一残っていたのが、山バッチがたくさん付いた登山帽でした。これを活かして何か服を作りたい!先生との対話の中で、帽子のカタチをポンチョに見立ててデザインを考えることになりました。

 ふわりと広がった服の胸の部分には、お母さんが着ていた浴衣の生地を、そして山バッチの柄をいくつかを刺繍で再現しました。刺繍をしていると二人で穂高岳や大山に登った時の記憶が蘇えり、「これええやろ」「ええで」と対話をしながら針を刺していたとか。母と夫がが自分に掛けてくれた思いを感じながら作ったとのこと。

 服を作っていると、古着を提供してくれる人、アバイスをくれる先生、共に励まし合う仲間、ひょっこり立ち寄るご近所の方、真摯な眼差しを注いでくれる業界の方、支援者など、いろいろな出会いが生まれます。そして過去の自分自身との出会いも。ファッションは時間や場所を越えて人を繋いでくれるのですね。

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