Dennis Van der Meer’s Dream Changed the World of Wheelchair Tennis
デニス・バンダーミーアはテニスを通じて車いす社会への偏見を解消したかった
Editor’s Note: 車椅子のスポーツの中で、テニスは最も人気のある種目の一つです。上達をすれば、車いすテニスの競技者とだけでなく、健常者とも多くの試合を楽しむことができます。この数年で車いすテニスが驚くほどの広がりを見せている原因は何なのでしょう。それは、アフリカのナミビアで宣教師の子供として生まれたデニス・バンダーミーア氏が設立したProfessional Tennis RegistryとTennisUniversityによる活動が一因として挙げられます。1939年、彼が6歳の時に、母親が2本の棒に紐を結びつけただけのネットを使って彼にテニスを教えました。PTRのマーケティングとスペシャルイベント担当の副代表であるジュリー・ジリー女史は、デニス・バンダーミーア氏がいかにしてテニスの発展に寄与し、世界有数の最高のテニス指導者として国内外に認められるようになったかを語りました。
Professional Tennis Registry (PTR) は、世界117ヶ国に14,000名以上の会員を保有する、世界最大のテニス指導者のための組織です。そして、我々は、テニスを普及発展させ、全ての人々がテニスに取り組めるようにするために、これらの指導者の皆様たちのお手伝いをしています。 子どもたちへの指導や大人たちへの指導や車いすテニスの指導などについての情報を提供しているのです。テニスの試合で必要となるであろう技術をどのように教えるかについて指導します。より上手なプレーヤーを指導するための情報や、プレーヤーのための栄養摂取に関する情報なども提供します。
PTRは、南カロライナ州ヒルトンヘッドにテニスアカデミーを設立したデニス・バンダーミーアの構想の産物でした。当時アフリカのトップ選手であったデニスに、彼のコーチが教えることを勧めたことがきっかけとなり、20代前半にその道に進む決意をしました。(デ杯代表選手の決定戦で、マッチポイントのショットがネットに当たって自分のコートに返ってきたことから敗戦に繋がり、失意のどん底でした。<訳者補足>)自身も、その決断は人生最良の選択だったと振り返っています。 デニスは、テニスの価値はスポーツとしてだけでなく、理学療法の一つとして有効であると信じていました。南カロライナに来てからまもなく、ビューフォート郡のリハビリセンターを訪れ、「車いすテニスの患者のリハビリには、テニスは有効な療法となりえます。」と説明したのです。そこの職員たちはデニスのその言葉に、「気は確かかい?障害者が車椅子でテニスコートに立つなんてできやしないよ。」と反論しましたが、デニスは、「もちろん、できますとも。」と答えました。デニスは信念を貫き、現在でも、テニスは誰でもできるスポーツであることを信じ続けてきました。センターでの「宣言」が正しかったことを証明するために。
デニスの先見の明により、世界中の障害者のある競技者たちの中で車いすテニスは人気のあるスポーツです
デニスは、テニスが健常者のいろいろな面に貢献してきているのであれば、車椅子の生活をしている人たちにも同様な貢献ができるはずだと信じていました。現在は、車椅子で参加できる競技は数多くありますが、25年前には殆どありませんでした。デニスは、センターの人たちに車椅子の人たちを彼のコートにつれてきてくれるように頼みました。日常生活に使う車椅子でテニスをすることは簡単なものではありませんでしたが、デニスは彼らがプレーすることができることを即座に確認しました。最初にきた人たちは、ボールを打ち、車椅子を操り、陽の光のもとで運動ができたことをとても楽しみました。3〜4回もすると、リハビリセンターの療法士たちはテニスの効能を認めるようになりました。そのことは、患者さんたちが「次はいつテニスに行くの?」と質問を寄せ始まったことも後押しとなったのです。
数ヶ月が経過したころ、PTRは第1回目の車いすテニス大会を開催しました。1985年のことで、参加選手はわずか6名でした。選手の皆さんは年齢の高い男性の方々でしたが、彼らは毎年戻ってきてくれました。そして、自分たちが経験したことと、車椅子に乗っている人でもテニスができるんだということを伝えて、新しい選手を連れてきてくれるようになりました。 その後、数年をかけて、私達の車いすテニス大会は広がりを見せ始めました。約10年後からは、毎年30名の参加を得るようになりました。当時はおそらく全国で最大規模の大会の一つだったのではないでしょうか。創成期において、デニスはスタッフやリハビリセンターの人たちに、テニスは必ずしも屋外でなく、ジムや食堂など、ネットを張れるだけのスペースが有ればどこででもできるのだということを証明しようとしていました。デニスは、針金でできているハンガーを丸くして、パンティーストッキングをかぶせて「小さなラケット」を作って見せてくれたのです。当時は、リハビリセンターにはラケットもなく、テニスをするときは普通のテニスボールを使っていました。今や、インドアでのテニス用に特別ボールが開発されています。
2013年の車いすテニス大会にご参加ください
少し遡ってみましょう。デニス・バンダーミアが目指したところは、世界中の誰もがテニスを楽しめるようにすることでしたね。車いすテニスに取り組んだ人たちがいかに多くの恩恵を得られたかを確認した彼は、 世界中に車いすテニスを普及させるにはカリキュラムをまとめて、車いすテニスの指導とコーチの仕方を教えるコースを設けることを決心したのです。PTRが6人の選手での最初の車いすテニス大会を開催してから約10年後、デニスはカリキュラムと指導法をまとめ上げ、全国を回ってテニス指導者に車いすテニスの指導について説いて回り始めたのです。
最初に突き当たった難関は、殆どのテニスコーチたちが車椅子の人たちにテニスを教えることに興味を示さなかったことでした。また、コーチの殆どが自分の活動するコミュニティーに車椅子での生活をしている人が多くいることを認識していませんでした。無理もありません。当時は、車椅子に乗ってまちなかを移動する人たちは多くはなかったからです。興味を示さなかったコーチたちは、異口同音に「テニスコートで車椅子の人達を見かけることはまったくないので、我々の周りにはそういった人たちは多くないのではないか。」と言っていました。デニスは、サバンナにあるメモリアル大学の医療センター(皮肉にも、2011年に倒れた時に救急搬送された病院です<訳者補足>)の理学療法部門との協力体制を整えました。春になり始まると、療法士たちは車椅子の患者たちを定期的にデニスのテニスセンターに連れてくるようになりました。 デニスは、患者たちにテニスを教え、療法士たちには患者たちにテニスを教える方法を教え始まったのです。このようにして、車いすテニスは理学療法室とその病院から広まり始まったのでした。
次にデニスが確信を持ったのは、テニス施設で仕事をしているテニスコーチたちに車いすテニスの指導法を伝えることの必要性でした。そうすれば、もし車椅子に乗った人が突然に「テニスをやってみたい。」とやってきても、対応ができるからです。 PTRは30ページの「車いすテニスの指導」というマニュアルを発行し、世界中のPTRのメンバーの方々に無料で配布しました。(勿論、日本語訳になっています。) 同時にPTRは、車いすテニスの指導法のコースを開設しました。残念ながら、このコースに参加しようと思うコーチはほとんどいませんでした。理由は、それぞれの地域に潜在する車椅子生活者の数について把握できていなかったからです。この問題を解決するために、PTRは財団を設立し、車いすテニスの指導法を学ぼうとするコーチたちに参加費の補助を行う奨学金制度をはじめました。
PTR創設当初から、デニスは世界中を自分の足で歩いてテニスをしたり指導を続けてきました。そこで目にしたのは、世界にはテニスの指導法を学ばせるために指導者をアメリカに送り込むお金がない国が多いという現実でした。そこで彼は、非営利の財団を設立して、そういった国々から指導者を招待し、指導法を学んでもらって、母国でそれを伝えてもらうようなシステムを作ったのです。財団設立の彼の目標は、一つの国の一人の指導者に教育をして、その知識を母国で広めてもらうことにあったのです。こういったPTRの慈善活動の一環には、用具の不足している国に用具を提供することも含まれています。デニスには、指導者と用具さえあれば、多くの子供達にテニスを教えることができるということが見えていたのです。そして、12年前に、PTRは神経性の問題を抱える人達のための「スペシャル・オリンピック」のプログラムも始めました。
デニスは、テニスの世界的普及のためには2つの鍵があると感じていました。テニスを教えられる指導者と、彼らが自分の地域で指導を始めるために必要な用具を揃えるということです。そして、彼らがある時点で指導をすることで収入を得ることができるようになることを知っていました。そうして、彼らが指導者として成長し、収入を得られるようになれば、その地域で指導に興味を持つ人達が、自分たちもそうなりたいと思って集まってくるであろうと考えたのです。デニスと彼の母親は、数本のラケットとテニスボールを携えて布教地を移り歩き、テニスコートなどない地面で裸足でテニスをしたのです。しかし、デニスがプロの選手となった時に、テニスをしていたことが彼と彼の家族に個人的にも経済的にも与えてくれたことに気がついたのです。 彼は、彼自身がそうして得たように、他の人達にも、テニス教えることで生計が立てられるようになる手伝いをしたいと思ったのです。
デニスは車椅子生活者に対する偏見を変えるようにした
今では、PTRには400名の車椅子プレーヤーが登録し、車椅子に乗っている指導者が25名登録されています。この25名のコーチの方々は、車椅子の競技者を指導するだけでなく、時には健常者の指導も行っています。同様にして、車椅子生活者にテニスを指導する健常者のテニスコーチは世界中に1,000名以上登録されています。これらのコーチたちは、車いすテニスの指導に関する知識と能力を持っているだけでなく、実際に一人あるいは複数の車いすテニスのプレーヤーの指導も行っています。今やリハビリ施設の殆どは、何らかの形のテニスをリハビリプログラムに組み入れています。デニスは、PTRのプログラムの初動段階ではリハビリ病院と協力して展開しました。それもあって、現在、全米でおよそ1,500の施設でプログラムにテニスを組み込んでいます。殆どの施設にはテニスコートはありませんが、スポンジボールを使うことで対応しています。ネットがなくても、2脚の椅子をテープやリボンなどで繋いで、ネットの代用をしています。
デニス自身が車いすテニスを開発したわけではありません。ブラッド・パークスやランディ・スノウといったプレーヤーたちが、車椅子社会に競技としての車いすテニスをスタートさせたと理解しています。 彼らの競技的な車いすテニスという考え方は、デニスが本来考えていた方向とは非常に違った方向でした。PTRでも競技を始めていましたが、デニスの目指すところは、車椅子社会にいる人達にテニスを楽しんでもらうために指導し、理学療法士の人たちにリハビリの一環としてテニスを取り入れてもらうように働きかけることにあったのです。デニスは、車椅子の人たちにとって、テニスはレクリエーションでありリハビリの手助けとなるスポーツであってほしかったのです。デニスは、当時、車椅子生活者にテニスを教えたいと思う指導者が少ないというギャップに直面していました。指導者不足を解消するということが、彼の次なる使命となったのです。
今では、PTRには車いすテニスのプレーヤーが指導者となって、地元の高校のテニス部の指導を行っているメンバーが5〜6人います。高校のテニス部の指導者の存在は、テニスプレーヤーにとって非常に重要な物です。自分たちのことを振り返っても、高校時代の先生やコーチの存在は非常に大きなものであったはずです。教育者としての彼らの存在は、指導する若い生徒たちの人生にとって、計り知れない影響を及ぼします。 車椅子に乗って指導をしている彼らの存在は、車椅子に乗っていることは障害でもなんでもないということを、子どもたちや親たちに証明していることになります。車椅子の指導者達を見た多くの人たちは、彼らができないことでなく、できることに目を奪われるのです。
南カロライナの高校のコーチにジョニー・ジョンストンというコーチがいます。全校生徒が彼のことを知っています。教職員は全員、そして親たちの殆ども彼のことを知っています。彼らは、ジョニーのことを「車椅子の人」とは見ておらず、単にテニスコーチと見ています。彼は、車椅子に乗る生徒だけでなく、健常者の生徒の指導もしています。PTRのプログラムがメンバーのコーチたちや、車椅子生活者に対して行ったことが、地域社会が彼らを見る時に「車椅子に乗った人」ではなく、純粋に一人のコーチとして見るようになったということが、我々の活動に対する自負として言えます。車椅子に乗っている人たちも他のみんなと同じなんだという理解です。我々は車いすテニスが車椅子生活者に対する偏見を拭い去ってくれる助けとなっていると信じています。特に、我々のトップの車椅子テニスプレーヤーが、健常者と試合をして勝ったときなどそれを感じます。車いすテニスの普及が車椅子に乗る人達にテニスをする機会を提供し、これまでにあった障壁や既成概念を崩すことに貢献したと信じています。
PTRが皆さんにできること
PTR Vice President-Julie Jilly
車いすテニスにしても健常者のそれにしても、テニスのもう一つの恩恵は、年齢の壁を超えて楽しめるということではないでしょうか。PTRが初めて開催した車いすテニスの大会には、高齢のプレーヤーだけが参加していました。現在では、我々のシニア向けプログラムは、急速に広まりつつあるプログラムの一つです。施設があちこちで充実してきていることもあリ、昔に比べて、かなり高齢になってからもテニスをしています。インドアテニス用にスポンジボールがつくられるようになるなど、新しい用具の開発がシニアプレーヤーがテニスを続ける助けとなっています。こういったシニアの人たちも、もしかしたらいつかは車椅子に乗るようになるかもしれませんが、そんな日がきても楽しめるスポーツがテニスなのです。
また、テニス専用の車椅子も登場しています。プレーを始めるためには、腕を伸ばしてボールを上げ、それをラケットで打ちます。反り返った時に倒れてしまう可能性もあります。そこで、椅子の後部には”ティップバー”(バーの先端に小さな車輪がついています)というものが取り付けられ、転倒を防止するようになっています。プレーヤーは、転倒する心配もなく、オーバーヘッドやサーブを打つことができます。また、車輪は地面に垂直ではなく、ある角度がつけられ反り返っています。こうすることで、安定性が増し、安全に素早い回転を行うことができるようになるのです。車輪はお互いに30度の角度になるように取り付けられています。また、軽量化も進んでいます。多くの選手達は、コートまでは日常生活用の車椅子で移動し、コートで競技用の椅子に乗り換えています。ですから、選手たちは2台の車椅子を持たねばなりません。競技用の車椅子の軽量化と収納性を高めるために、車輪は片手でも取り外すことができるようになっています。競技用車椅子の車輪を外して車に載せ、より軽くなった椅子を車に積み込んでトーナメントに向かうのです。椅子は、選手が一人で分解して車に積み込んで、コートに着いたら手助けなくすぐに組み立てられるように作られています。
トップモデルのT-5 7000 Seriesのテニス用車椅子です. <画像提供: Sportaid>
車いすテニスの利点の一つは、テニスをしたいと思った時に、車椅子に乗った人を探す必要がないということです。あなたの町のいろいろなクラブや施設ででUSTAリーグに参加することができます。基本となる競技ルールは全く一緒ですが、車椅子のプレーヤーは2バウンドで打ち返すことが許されています。この特別ルールによって、車椅子のプレーヤーは他の人たちと同じように誰とでもテニスを楽しむことができるのです。レッスンを受けたい場合には、地域のUSTAの事務局に連絡をすれば指導者を紹介してもらえますし、 USTAのウェブサイトにも、どうしたらテニスを始めることができるかの情報が得られるコーナーがあります。あるいは、PTRの本部に連絡をしていただければ(1-800-421-6289)、最寄りの地域の指導者をご案内差し上げることもできます。
車いすテニスの指導者の認定を受けるには?
テニスコーチになろうと思ったり、車いすテニスの指導法に興味をお持ちの方はこちらのサイトをご覧ください(www.ptrtennis.org)。車いすテニスのPTR認定指導者になるためには、先ず基本の指導法を修了して認定を受け、その後、車いすのテニス指導について学ぶことになります。手っ取り早く勉強したい方は、車いす指導に関する5時間のコースをお受けいただくのが良いと思いますが、これですとあくまでも修了証が得られるだけで、テニス指導者としての認定は受けられません。認定講習会等に関してのお問い合わせは、 www.prttennis.org か、1-800-421-6289までお電話ください。ウェブサイトには、現時点で11名の健常者のテニスコーチが車いすテニス指導のコースを受けたときのことが掲載されています。実際に車椅子に乗っての講習を行います。全国でテニスコーチとして活動をしてきている皆さんに、車いすに乗るということはどういうことなのかを体験していただきたいのです。この状態でテニスを学ぶ経験をすることは、実際にご自身が車いすのプレーヤーに指導する上で必要なことへの理解が深まると考えています。こういった講習会の様子をウェブサイトでご覧いただけます。
他に興味深いお話として、テニス施設を経営しているご両親のもとに生まれた、生まれつき両足のない若者のことがあります。彼は足の付根だけを使って動き回ってテニスをしていましたが、ある程度プレーすると付け根が痛くなってそれ以上プレーを続けることができなくなったのです。それでもテニスをしたかった彼は、無理して続けたためにその付け根を痛めることになり、車いすに乗らざるを得なくなりました。彼の両親は、今年の我々の大会に彼を連れて観戦に来ました。ご両親は、彼に大会に参加していた選手全員のプレーを見せました。その中に、13歳と15歳の選手が2人づついました。彼は、その選手たちが楽しそうにテニスをしているだけでなく、皆と仲良くしているのをみて、実際に専用の車椅子に乗ってテニスをしてみたのです。そして、車いすテニスならば今までのように身体を痛めることなくテニスを楽しむことができることを確認したのでした。
車いすテニスの指導者のハーロン・マシューズと子どもたち
また、別の13歳の子供に補助金を給付して大会に来てもらったことがあります。彼にとっては2度めの大会でしたが、全国や海外から集まった13歳から70歳までの幅広い年齢の人たちと戦うのは初めてでした。彼は新しい友達がたくさんできたことと、そうすることができた環境に感激しました。同じような状況でコートでプレーする仲間たちをみて、そして、彼らの素晴らしいプレーをみてますますやる気が起きました。こういった事が起こることが、私達が毎年この大会を開催してきている理由の一つです。大会に来て、実際にプレーをしても、あるいは観戦するだけでも、人生を変えることができること、できたことを目の当たりにしています。彼らは、テニスは自分たちを幸せに、そして心身ともに健康にしてくれることがわかります。テニスを生活に取り入れることで、生活の質が向上することに気がつくようになるのです。
Dennis Van der Meer – 指導者たちの指導者
「指導者たちの指導者」と言われてきたデニス・バンダーミーアは、ここぞという時に存在を示しました。語りぐさになっている多くの試合の中でもビリー・ジーン・キングと「テニス界の賭け事氏」と言われていたボビー・リッグスが戦った「両性の戦い」がそれでした。この試合は単にテニスの試合であっただけでなく、男子のテニスと女子のテニスのどちらが優れているかを立証するための試合であったのです。ボビー・リッグスは、プロの選手であっただけではなく、とても優秀なプロモーターで、偉大なボクサーであったモハメド・アリのように、非常に口が達者で、よく目立ち、世界中のメディアの注目を引く才に長けていました。「両性の戦い」と銘打ってビリー・ジーン・キングに挑戦した彼は、この試合を売り込んで全世界にテレビ中継されることを目論んだのです。受けて立たざるを得なくなったビリー・ジーン・キングは、 この世界的なプレーヤーとコーチとの対戦で自分の評判を落としてはならないと考えました。彼女は世界中の女性プレーヤーを代表して戦うことになり、そこで男性に劣らないプレーができることを証明して、テニス界での女性の地位向上と平等性のために戦わなければならないという決意で臨みました。この1試合は、1936年のオリンピクでジェシー・オーウェンス(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェシー・オーエンス)が金メダルをとったことが黒人の競技者たちを代弁したように、女性のスポーツ全体のための試合と言えたでしょう。
この世紀の対決の噂が世界中を駆け巡り始まった時、当時最高の女性プレーヤーの一人であったビリー・ジーン・キングは、この重要な試合に向けて「指導者たちの指導者」であったデニス・バンダーミーアをコーチに選びました。当時彼はもうひとりの優れたプレーヤーであったマーガレット・コートのコーチもしていました。 毎夏、デニスはレイク・タホでのビリー・ジーン・キングとマーガレット・コートのサマーキャンプ「テニスアメリカ」で指導をしました。ビリー・ジーン・キングがボビー・リッグスに勝利した後、彼女と、コーチをしたデニス・バンダーミーアの評判は世界中に広まったのです。
テニスから得られる恩恵 <ジャック・グロッペル博士>
様々な分野の世界的な科学者たちは、テニスが心身も含めた健康全体の改善に寄与するスポーツであり、生涯スポーツであることを唱えています。
身体的恩恵
テニスをすることによって:
1. 有酸素運動による脂肪燃焼効果と心肺機能の改善とより高いエネルギーレベルの維持
2. ポイントをプレーしている時の、短時間で激しい無酸素運動とその後の休息により、筋肉内の酸素の有効利用ができる
3. 素早く走ったり、ジャンプしたり、足を踏み出したりという練習をすることで、加速力が向上
4. 予測をしたり、素早い反応をしたり、瞬間的に行動を起こすための力強い1歩目が踏み出せる
5. 前後左右にボールを追って動くことにより、動きのスピードの向上
6. 何回もスタートとストップを繰り返すことで、脚力の向上
7. 良いポジションに入って、上体の動きを調整してボールを打つことから、一般的な身体のコーディネーションの向上
8. 動いていってボールを打つために大きな筋群のコントロール力が高まり総合的運動スキルが向上
9. アングルショットやドロップショットやロブなど、タッチの感覚が求められることから、細かい運動スキルが向上
10. 平均10秒のポイント中にほぼ5回の方向変換をしなければならないことから、敏捷性の向上
11. 何百回もスタートとストップ、方向変換や動きながら打つことで、動的バランスの向上
12. 専門のスポーツ以外で体力が求められるスポーツをすることでのクロストレーニング効果
13. 運動を継続することで、骨の強化、骨密度の向上に繋がり、高齢になった時の骨粗鬆症の予防効果
14. 体力の向上に伴う免疫力の向上が見込まれ、総合的健康と体力の向上や病気への抵抗力が向上
15. エネルギーを増やすための試合前や、試合後に体力の回復を促すための適切な食事のとり方といった食習慣の向上
16. 飛んでくるボールを見極めて、打つタイミングを測ることから、ハンド・愛・コーディネーションの能力が高まる
17. 絶えず身体を伸ばして相手にボールを返球しようとすることによる柔軟性の向上f
心理的恩恵
テニスをすることによって:
18. 労働感の向上: レッスンや練習を通じて一生懸命に頑張ることの意義が確認できる
19. 自律心の向上: 練習でのスキル取得や試合中のペースのコントロール
20. 失敗への対処力の向上: 自分のできることでプレーをすることやミスをした時にどのように受け止め、ミスを少なくすることを考えることはテニスでも人生でも大切なこと
21. 一つずつこなす: コート上での戦いを通じて、競争社会でのアップダウンへの対応力が高まる
22. 自分の責任範囲の認識: スキルの練習や、試合前の用具の管理、試合中の正確なラインコール
23. 逆境への対応: 風向きや太陽などの外的要因に惑わされずに粘り強く戦える
24. 効果的なストレスコントロール: 試合中の身体的、精神的、感情的なストレスがそれに対する対応力を高める
25. 回復力の向上: ポイント中のストレスに対応して、ポイント間に回復をすることは、日常正確にも当てはめられる.
26. 戦術の立案と適用力の向上: 試合中に相手の動きを読んで、それに対応することから身についてくる
27. 問題解決力の向上: テニスは角度と幾何学と力学で構成されるゲーム
28. サーブやレシーブの前に決まった動作をすることで、自分のリズムを作りプレッシャーに対応する。こういったスキルは、試験を受けるときやミーティングを仕切るときや重要な販売戦略のプレゼンテーションをする時などに活かせる
29. スポーツマンシップの習得: テニスは相手とフェアに戦うスポーツ
30. 勝って奢らず負けて腐らず: 勝って傲ったり、負けて言い訳をすることは、テニスでも実生活でも好ましいことではない。勝っても負けてもそこから学ぶことはある。
31. チームワーク: ダブルスをプレーするには、お互いのコミュニケーション力と団結力が不可欠
32. 社交性の向上: 試合前後や、試合中のチェンジコートの際や、試合後のコミュニケーション
33. 楽しむ!: 健全に楽しみ、競い合い、身体を使うことがスポーツの本質
もっと多くの人たちがテニスをすれば、世界はもっと住みやすくなる
麦のひと粒を考えてみましょう。手のひらに乗せるととっても小さなものですね。もし落としてしまったら、見つけるのは難しいでしょう。しかし、肥沃な土地に植えると、その実は育ち、沢山の実ができます。そうして収穫できたものを繰り返し繰り返し植え続けることで、世界中の飢えを満たすことになります。アフリカのナミビアで宣教師の子供として生まれた、若きデニス・バンダーミーアは、アフリカの土の上で母親がテニスを教えてくれた時には、将来、テニス界を動かす人物になろうとは夢にも思わなかったでしょう。デニスの現役時代は、主に南アフリカで活動していましたが、競技生活を続けるよりも指導の道を選ぶことにしたのです。
デニスが19歳の時、カリフォルニア州バークレーのバークレー・テニス財団が彼のスポンサーになって、アメリカでの指導者としての道を開いてくれました。クラブには既に彼のチェコスロバキア人の友人のヤロスラフ・ホウバが働いていて、彼が財団にクラブで働けるように働きかけてくれたのです。 そうして、デニスの指導力の高評価が噂となると、彼の生徒数は徐々に増えてきました。しかし、彼はすぐに、自分ひとりでは全員を教えきれないという事に気が付きました。彼自身のビジネスを成長させ、テニスを広めていくためには、彼の指導法を理解して働いてくれる仲間が必要だと考えました。そこで、夏の間、「テニス・ユニバーシティ」というキャンプを開講し、テニスの指導法を教えました。そこでも、彼の秀でた指導力を聞きつけて、一人では教えきれないくらいの生徒が集まりました。彼が考案した素晴らしい指導法の噂を聞きつけた受講生は世界中から集まってきました。やがて、彼の移動のスケジュールは厳しさを増し、そのペースをいつまでも続けることはできないと考えるようになりました。そこで考えたのが、彼と彼の指導を受けたスタッフが常駐し、世界中からやってくる生徒たちを指導するトレーニングセンターを設立することを考えました。
「テニス・ユニバーシティー」は、10日間のコースで、一人ひとりにデニスの指導理論に基づいた、段階的指導法を教えるコースです。テニス・ユニバーシティーのシステムの大きなメリットの一つは、現在テニスをしているプレーヤーの技術を短時間で向上させるために、最もシンプルな方法に分割してデニス自身が指導してくれることにあります。デニス自身、毎年日本や南アメリカなどの国々を訪れ、それぞれの国の指導者たちに彼の指導法を伝授し続けていました。それぞれの国の指導者たちに指導法を伝えることによって、テニスの普及は早まり、より多くの愛好者が増えることになるのです。
デニスが南カロライナ州ヒルトンヘッドに広い土地を入手できる機会がやってきた時、彼は思い切ってその土地を購入し、テニスコートとプロショップを作りました。屋根付きのコートも作って、天候に関わらずレッスンが行えるようにもしました。それが1980年のことで、彼はそれまでカリフォルニア州パロ・アルトにあった本部を、南カロライナ州ヒルトンヘッドに移すことを決めました。(訳者は、その時に初めてアメリカに行き、現地でもテニスユニバーシティーを受けました。)当時は合計18面のコートで、そのうち4面が屋根付きでした。次いで、3面のインドアコートを含めた18面の施設も作りました。また、アダルト・テニスキャンプとジュニア・テニスキャンプもスタートさせました。生徒の人たちをヒルトンヘッドの施設に収容することができるようになったので、デニスはそれまでのように海外を回る回数は少なくなりました。
ヘルマ・キャップは、「彼の活動の立ち上がりの時期に、デニスは、テキサス州のベイラー大学で原子物理学の博士号を収めた、現在の私の主人のルイ・キャップを採用しました。お互いに初めて出会った最初の夏の後でした。ルイは、博士号を収めた1974年から、デニスの下で働き始めました。2011年の2月に、デニスは脳卒中で倒れました。 今は、彼の奥さんのパット・バンダーミーアが、PTRの実務面を行っています。
PTRは、テニス・ユニバーシティーやそれに関連する講習会を修了した生徒たちがコーチとして登録している組織です。主人のルイは、現在、テニス・ユニバーシティーの指導を担当しています。PTRは毎年1,200名のメンバーが増えています。現在では、PTRは、車いすテニスの指導プログラムを持っているだけでなく、世界最大の車いすテニス大会の一つを運営しており、世界中から様々なレベルの選手が集まって競い合っています。
PTRについてもっとお知りになりたい方は、www.ptrtennis.org をご覧いただくか、800-421-6289か843-785-7244のいずれかにお電話ください。
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車椅子生活者のための情報交換ページ
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