五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

不思議な体験と使命(任務)に目覚める切っ掛けを得る

こうして私の使命は開始された
物語(人生ドラマ)の全ては夢の啓示より始まった霊夢体験シリーズ
HP新作UP2001/1/18~最終更新2002/11/15~HP移転UP2005/3/31---2019/6/9ブログへ移転
「α波があなたの未来を決定する」と、「霊夢体験回想録」より抜粋

霊的な父母の言葉

4才から6才頃にかけて何度となく見た夢があります。
広い野原――。
その真ん中辺りに私がポツンと一人で立っています。
気が付くと目の前に、父母のようでもあり、見知らぬ者でもあるような、2人の人物が立っています。
その2人が私をジーッと見つめていて、とても親しみを覚えるのです。
足元を見ると雲のような白いモヤモヤに包まれているのです。丁度、天孫降臨の際に神と呼ばれた人達(宇宙人?)が乗って降りて来た雲のように見えました。
やがて、2人はすーっと音もなく私から離れていきます。
2人が離れていくと急に哀しくなり追い駆けようとします。でも、追い駆けようにも手前の足下には大きな川の流れに変わっていて、どうすることも出来ません。そして、2人は、
「お前にはこれからやらなければならない大切な使命(任務)がある」
そう言ってから、さらに遠ざかり消えるのです。
子供の私にしてみると、それが何を指して意味しているのか、全く分からなかったのです。
やがて、年月と共にその夢のことは忘れ去りました。

電気通信の向学と不思議な体験

時は過ぎ、19才の頃になると会社で仕事をしていても、何故か「家に帰って何かをしなければならない」と、いう思いが込み上げてくるようになりました。それで1日の勤めを終えると何時も早く帰宅していました。
成人式を過ぎた頃になると、これからは電気の時代であると強く感じるようになり、心の奥底から湧き上がるように先ず無線通信の技術でも学ぼうと思い立ちました。
折よく、近くにある電気店の主人はカラーテレビのキットを組み立てて完成させた程の技術があるという話しを聞き、お伺いしましたら名古屋にある専門学校を出たとのことでしたから、私もその学校へ入学しようと入学願書を提出して、後日に面接を受けましたら受かり通いました。
しかし、勉強期間の空白があり授業に追ていけるか不安でもあり、ハンディキャップを感じていました。
入学して1週間くらいは、授業中でも集中できずにボーとした気持ちがいっぱいで学業には馴染めず、内容はさっぱり分からないといった状況で焦りが出てきたのです。

ところが、10日後の夜中のことです。
急に頭の中で何かの大きな変化が起り始めたのでした。
それは丁度、大きな歯車のような物が無数にゆっくりと大回転を始めたと言ってもよいでしよう。蒸気機関車の車輪が動き始める時のような力強い躍動する感じでもあります。
歯車が回転する振動が全身へ伝わっていき、回転のスピードは増したのです。一瞬の不安感から幸福感へと変わり、頭の中がスッキリしたのです。脳の内部が活性化された様に感じられました。
それからは授業に集中できて知識がスムーズに入ってきて、頭の働きが良くなると言う不思議な体験をして、見えない大きな力の存在を感じたのです。
2級無線技術士の問題集を読んでいたら出来そうに思えましたから、担任に資格を取ったらどんな企業へ就職できるかを訪ねると、山中にある辺ぴな放送局の中継所とか離れ島くらいだと言われ体力に自信もなくて断念し、テレビ受像機修理技術士のみに留めました。

未来の姿を見せられる

昭和47年、岐阜にある一流家電品の商社でサービスマンとして働いていた時のことです。
社員の研修として伊勢にある「修養団」の道場に於いて、数日間の講話とか座禅、神社参拝などのトレーニングがありました。
帰宅してからは心身に変調を来たして疲れ易くなりました。不用意な座禅を行ったためにどこかのチャクラが刺激されて、元来から持っていた霊媒体質が強くなった様です。
それから3ヶ月後のある日、社内のデスクで修理の伝票を見ていると、急に頭がボーとして周囲のざわめきが薄れ、
「自分の仕事は、修理のような受け身的なことではなく、何か新しい物を創ったり、研究することではないか」
という、声なき声が頭の中に浮かんだのです。
私はあれっと思い我に戻り、今のは一体何だったのだろうか、と考えました。
しかし、大した学歴があるわけではないし、大それた研究が出来る程の技術や、知識を持っている訳でもないのに、変なことだと思ったものでした。
この頃も、何故か「家に帰って何かをしなければならない」と、いう思いが込み上げていました。
その頃私は、体調が不良で時折休んだりして病院へ通っていて、上司へ診断された様子を報告していました。
26才頃の夢の中で、30才から人生の道が開ける。33才から人生の方向が決まり、35才までに人生の基盤が出来上がる。
そして、自分が生き生きと仕事をする姿が見えたのです。その仕事の内容は、人々を指導する様でもあり、人助けをするようなビジョンであり、そんな意味を示していたのです。

私に与えられた使命(任務)に目覚める切っ掛けを得る

28才の時、ハネムーンでは日南海岸の鵜戸神社で幸運の占いをしたら不思議な体験をしました。
大体に於いて私は子供の頃からボールの扱いには大の苦手で、ボールが飛んでいる感覚が全く掴めなくて、目的の位置に投げ当てる事が出来なかったのですが、この時はどう言う訳か頭の中に何時もとは違う感覚が湧き起こった様になり、自然に腕が動いて遠くの岩に開いた穴へ石を投げ入れる事が出来たのです。
それで2人とも穴へ石を投げ入れられたのです。
これにはタクシーの運転手も驚かれて「何年も前から新婚さんをここへ案内していますが、この様なことは仲間からも聞いたことも無く初めての事です。
大変に珍しいことです。きっと良いことが有るでしょう」と言われました。
私たちは、何か大きな力の存在を感じたのです。

一方、妻が持ってきた嫁入り道具の中に、一風変わった器械を見つけて、何だろうと興味を抱き使用説明書と参考書物を読み進む内に、3年程前の夢(別項)の事を思い出して驚きました。
それは、病気とか怪我の治療に、ある光線を発生する器械を使用すると治癒力が高まるという代物で、病気などの症状によってカートリッジを取り替えると、可視光線の成分が変化して適切な治療ができる、という物だったのです。
夢の中で見たそっくりの器械を現実に目の前で見るとは思いもしませんでした。
さらに、妻がある霊能者より結婚祝いにと戴いた「ヒマラヤ聖者の生活探究」5巻を読み続ける内に、魂が何かに呼び醒まされる様なインパクトを受けました。
そして、不思議な感覚となり、今までに見た夢の内容を色々と鮮明に思い出しました。
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