五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

財産は精神と想念と徳から得て天の蔵に徳として継ぐ 成功に導き富を掴む心の法則 2

財産は精神と想念と徳から得て天の蔵に徳として継ぐ 成功に導き富を掴む心の法則 2
真の成功と真の富を掴むシリーズ 当旧HP2001/4/14---2021/9/7ブログへ掲載
「自分を活かし自分を超えるα波操縦術」にも掲載

無限の富を永遠に得る活用法(霊脳研究1989年10月号より抜粋)

皆さん、愛の心と言葉や行いをもって「実相の世界にある無限の富」の、宝庫を開くためのキーとしましょう
反対に利己心をもって「現象に見える有限の富」を得ようとするならば、それは「有限」をお互いに取り分を多く分配しようとするのですから、そこには当然に無理が出て来て争いを生じることになるのです。
ところが、誰がどんなに使っても減らないところの富と云うものが、実相世界には無尽蔵にあるのです。
高次元の世界である神や仏の国に存在する実相の富は常に無限でありますから、皆でそこから幾ら富を引き出して来たところで、そこには尚も無限の富が残っていて減らない訳です。

私たちは、宇宙の一員として母なる地球上に生まれて来たからには、自分の「人間」としての無形な「徳」を積まないでいて、現象世界の富である金品のみを積もうなどと考えてはなりません。
ここで、肝心な背後の天にある蓄えられた「徳」を失っていては、恰も「砂上の楼閣」となった現象の富は、私たちの生活に豊かさと安全とを保証するように見えながら、実は様々な心労を齎すものです。
例えば、それは権力を保証するように見えながら何時しか、嫉妬や羨望と勢力争いとを生じることになります。
それは幸福を保証するように見えながら不幸を招来し、豊かさや繁栄を保証するように見えながら貧乏や衰退を招来し、永遠を約束しながら僅かな間にして消え去るのであります。

建設的で聖なる目的に使うのがベスト

宇宙に展開する現象界の富である金品などは、宇宙の大生命として神や仏の国にある実相の富が、私たちの住む現象世界への延長や反映であることを知らなければなりません
ですからその富は、自らの感情を満たすとか邪悪や利己的な物事にと、ただ貧って蓄積するだけに使ってはならないし、かといって豪奢とか浪費するために使ってもならないのです。
それには、実相世界の荘厳な素晴らしさを私たちの住まう現実世界に現すための、「聖なる目的」のために使わなければならないのです。
つまり、私たち人類の文化生活に役立つ進歩や発展のための道具とか、幸福や平和のためになる建設的な目的にのみ使わなければならない訳です。
聖なる目的といっても、宗教団体や宗教家(教祖)の偉大さや権威を示そうと、必要以上に巨大で絢爛とか華麗な崇拝像や建造物を築いたり、仕事を始め人との付き合いとか、奉仕とか愛行に必要だと言って贅沢や大イベントをする事ではありません
それには既に利己心があるからです。(関連:宗教の目的)

反対に無駄を排除した生き方をするのだとして、単に「清貧礼拝」を推薦するものでもなく、極度の断捨離で進んだ文明社会の生活から離れて、自ら快適や豊かな文化を享受しないと言うのも如何かと思います。
何事にも極端の思考とか生活をするのは、一種の偏狭とか執着に対する精神面が関係しているかも知れません。

何故なら、私たち人間は宇宙の大生命から地上に目的と役割を持って、分霊として如来した存在(菩薩)であり、大生命の神なる荘厳で偉大さを顕現し認めることが出来る、唯一の知的な生命体の存在で万物の霊長であり、高級な生命体であるからです。
私たちは常に全智全能なる宇宙意識(神)の智恵を感受して導きに従うべきでしょう。
私たち人間は高次元から観ると霊体・幽体・肉体などの、多重多層界から構成する高次の霊的な存在であり、さらに良心(ハイアーセルフ)ともいうべき全智全能なる神(宇宙の大生命)が、一人一人の内に宿っているのです。
ですから、私たちは常に瞑想を実践して深く自己の内なる神性を内観し、今、与えられている事象(問題)に対して内なる声を聞き、そこから如何なる方法で蓄えられた富(徳)を円満に処置(活用)すべきかを判断すべきでしょう。
つまり、高次元からのインスピレーションにより、世の中に役立つ発明とか発見を始め、良きヒント・アイデアを得て、ヒット商品を生むことや、企業が財団を創って世の中へ振興や奉仕をすることも真理である訳です。



有形の財産(富)は精神と想念を無形の徳として継ぐ(主に霊脳通信1992年2月号より抜粋)

私たちが何かを得ようと欲し思った時には、その「事柄・何物か」の意識を自分が思考し把握しなければならないのです。
それは、私たちが住むこの世界は感覚的な意識と意志と表現で、幻想的に成り立っている世界であるからです。
私たちは漠然とした感情の中に一つの目的や目標を見い出して何かの事物に憧れます。
月日が経つに連れてその憧れの想いが洗われて純化してくると、段々とハッキリした形態を備えてきて具体的なイメージの想念となり、その想念が無意識から内部の押し出す力によって意欲として現れるようになります。
そして、意欲は動機を引き起こし行動化の意志となり言葉や行動力として現れてきます。
やがて、最初に憧れた事物は現実のモノとして目の前に具現化することになるのです。
もし意識の世界に於いて、その「事柄・何物か」が確実に我がものとして把握されていなかったならば、例え偶然にその「事柄・何物か」が、その人の掌中に転がり込むようなことがあったとしても、それは間も無く姿を消すことになるでしょう。

例えば、富豪の息子が両親の持っている全ての有形の財産や遺産を相続されたとしても、多くは数年にしてその莫大な遺産が失われてしまうことがある事実は、息子さんが自己の意識の世界に於いて「財産」として表現されている無形の「心得・精神・心境」とか、「想念・徳」を両親から受け継いだ訳ではないからです。
これをモラロジーでは「徳が移し植えて無い」とも云われています。
つまり、私たちは努力した甲斐があり自分の懐に金品が多く集まって来ても、自ら人格・品性を高めないで徳を積まなかったり、利他的な心得を実践した「精神」や「想念」という、意識の世界にある「徳」を子孫に移し植えて無ければ、財産は幾ら有っても水の泡のごとく空しい結果に終わります。
従って、どんなに大富豪の家を継いだとしてもその家の財産を、「心得・徳」と共に継ぐことがない家は、いつか没落して行くということになる訳です。
世の中を眺めていますと、お大尽だと言われていた家柄でも数世代も経つと、哀れな姿に成り果てていることがあるものです。
世間の人々の生き方や家の存続について長い目で見ると栄枯衰勢が繰り返されているものです。

同シリーズは、2020/9/20「頭と心で築く 貢献と奉仕で成功し富む 成功に導き富を掴む心の法則 4」と、2020/10/14「成功は思考と才能の発揮と奉仕で掴む 成功に導き富を掴む心の法則 6」でも、紹介しています。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旧HPより移転し再掲」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事