戦争時代や原爆投下後の様子を描いた「はだしのゲン」というマンガを,小学校の図書館に置く,置かないで問題になっている市教委がある。マンガには,原爆で皮膚がドロドロに流れ落ちながらふらふら歩いている場面や,過激な性描写(強姦シーン)などもあるという。
学校の図書館において小学生に見せたほうがよいという人の言いぶんは,「戦争時の本当のことをきちんと後世に伝えたほうがよい」というものが主だ。私はこのブログでも何度も訴えてきたが,極論を持ち出して相手の意見を否定するという方法はいけない(正しい結論に至らない)。
真実の歴史を伝えていくことは行わなければいけない。しかし,だからといって小学生の段階でそれを教えなければいけないとはならない。私は小学校低学年の頃に,恐怖マンガで見た怖い一コマが半世紀以上にわたって時々思い出され,その都度怖くて悲しい思いをしてきた。小学時代は涙が出て,中学では恐ろしい思いをし,大人になってからも「ああ,いやだなあ」という思いをしてきた。あの1コマの絵さえ見なければ…と後悔している(具体的には,母親が気持ち悪い妖怪のような姿にさせられた絵であった)。戦争時の衝撃的なシーンのマンガや写真を見せるのは,ある程度成長し,戦争時の事実を詳しく学び始める中学校でよい。発達段階を無視して,小学時代に見せなければいけない正当な理由は見当たらない。
また性描写については,小学校高学年などが見るとどうなるか容易に想像できよう。それについて,ある有識者は「子どもを信じてやりたい」と話していた。性本能を呼び覚まし,高め,あるいはショックを与え,最後に子どもに責任を押し付ける。これが正しいやり方だろうか。先日このブログにも書いたが,子どもは未熟なので大人たちが守ってやらなければならない。「子どもを信じてやりたい」,この言葉は禁句にしてもらいたいものである(これについても極論を持ち出しての否定はやめてもらいたい。子どもをいつでも信じる,信じないの問題ではない。子どもが正しいことを言ったり行動したりする時もあるが,それはたまたま教育的指導後の部分なのである)。
事実だから教えたほうがよいという短絡的な話はいけない。事実だからといって,どのように食肉に加工するかを教えるために牛や豚を殺したり加工したりする工場を見せたり,死刑の様子を見せたりする必要はない。
話は少しそれるが,学級で名前を付け,ペットとして大切に育てた豚(ピーちゃん)を最後に食べるという実践をした新米小学校教員がいたことを思い出した。それもすごいが,現在ある大学で教育者を育てる仕事をしているということもひどい(佛教大学)。肉牛を育てている慣れた大人の牧場主でさえ,牛に名前は絶対につけないという(最後に殺されるので,情がわかないようにするため)。私は,この元小学校教師の行動は虐待で訴えられるべき事象だと思っている。当時の教え子の保護者たちは訴訟も考えてみてほしい。それができなければ,最低限教師を育てる仕事からは外れてもらいたいものである(現在も本人が自己批判しないため)。