今年が明けて早くも3か月も経ってしまいました。
世間では 卒業する人や入学する人、新卒で入社する人々、桜見物の人でにぎやかなのでしょうか
すっかり外界と隔たっての生活を繰り返しています。since COVID
メランコリーな3月も終わろうとしています。
3月10日は東京大空襲の日、11日は東日本の震災の日、20日は地下鉄サリンの日です・・・
一族郎党が17名犠牲になった震災の日に、大叔母と母が両国の震災記念堂に行っていたので、昨年から引き継いで行くことにして行ってきました。
地元の本所区、向島区、城東区、深川区、浅草区の人たちが大勢亡くなり、その末裔が今でも たくさんここにに住んでいる不思議。
なぜなら、横網公園内が、お参りする老若男女の自転車で溢れかえっていたので、それがわかりました。
311の日は、思い出しても恐ろしかったですね。昨日のことのようにおもえますが もう15年も経つんですね。
あの時は(特に原発が吹っ飛んだときは)もう、日本が終わるのかと思いました。
アメリカと欧州の親戚・友人が「今すぐ逃げて来い」とオファーをくれたのに、東京大空襲の後に人が戻ってくるように、ここから動かなかったんですね。
オウム真理教は、どんなだったかWEBなどでよく勉強しました。
私も通勤通学は中学生からずっと地下鉄が多かったので、恐ろしい話です。
叔父叔母が小伝馬町に住んでいましたが、その駅で一番人が犠牲になりました。
亀戸で生物兵器を作っていて異臭問題もあったり、町内にお住いの旧華族のおばあさんのお孫さんが松本サリンで亡くなったりもしました。
わたしも、年取ってきて、いろいろな過去を振り返るようになりました。
この3年間、ずっと心身ともに病弱でしたが、だんだん良くなってきたようで、これから春の訪れとともに、前向きに生きてゆきたいと思います。
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